「語らずして語る」農夫と老牛

映画『牛の鈴音』

2009年11月号 連載 [IMAGE Review]
by K

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映画『牛の鈴音』

映画『牛の鈴音』(12月より東京銀座シネパトス他、全国ロードショー[配給/スターサンズ、シグロ])

監督・脚本:イ・チュンニョル/出演:チェ・ウォンギュン、イ・サムスン

韓国映画の主人公はペ・ヨンジュン、チョン・ウソンら韓流二枚目スターばかりではない。年老いた農夫と牛が主役として登場するのが、韓国で話題をさらったドキュメンタリー映画『牛の鈴音』である。彼らの素朴で頑固な生き方は、近代的都会に住み文明生活とやらにどっぷりつかった現代人が喪ったものをもう一度思い起こさせてやまない。

原題『ウォナンソリ』は、牛が耳からあごの下にたらした鈴の音という意味。慶尚北道北部にある奉化郡の片田舎が舞台で、79歳になる農夫のチェ爺さんには30年間ともに働いてきた牛がいる。牛の寿命は15年ほどといわれるのに、この牛は40年も生きていて、水田の耕作、薪運びなど役牛として使役されてきた。

今では誰もが耕作機械を使うのに、頑固な爺さんは牛を使って耕し、手で稲を刈り取る。草取りに農薬も使わない。牛が食べる草が「毒」で汚染されてしまうと考えるからだ。そんな爺さんに長年連れ添ってきた婆さんは、機械や農薬を使えば楽ができるのにと不平不満が絶えず、不幸の原因はこの老いぼれ牛にあるとこぼしている。そんなある日、回診にきた獣医が「この牛は今年の冬を越すことはできないだろう」と告げる。

監督のイ・チュンニョルは1966年、全羅南道出身。テレビの演出家としてドキュメンタリーを中心に撮ってきた。イ監督の劇場長編映画第一作となった今作品は、97年のアジア通貨危機で韓国の父親たちが失業したことがきっかけだった。自分たちを育て、国を育ててきた父親たちが仕事をなくした時、父親の映画を作りたいと思ったのだ。農夫と牛の話になったのは、99年、取材に訪れた牛市場で、新しい主人に売り渡された牛が涙を流すのを見て、農夫だった監督の父が牛と働いていた風景を思い出したからだった。

爺さんも牛も境遇は同じ。死ぬまで働きづめだ。高血圧などで頭痛に襲われても「死んだらゆっくり休める」と言って、農作業を休もうとしない。日本の旧盆にあたる秋夕(チュソク)には子供たちが家族を連れて帰省、牛を売って隠居したらいいと勧めるが、老人は結局、牛を売ることができない。けれども、生きていかなければならない現実からか、老牛を死ぬ間際まで酷使し続ける。牛の立場も安泰ではない。代わりの若い牛が市場から買われてきて、エサを争ったり牛同士の生存競争もしっかり描いている。

韓国で今年1月に公開されると口コミで観客が広がり、ドキュメンタリー映画では破格の300万人を動員、「牛の鈴症候群」という言葉まで生まれた。春夏秋冬の自然の美しさがよく、日本映画『阿弥陀堂だより』のような感じがした。固定カメラの映像が多く、「ドキュメンタリーらしくない」との批判もあったようだが、毎日の暮らしは同じことの反復であり、牛や爺さんの動きもゆっくりで、固定カメラの方が安心して見られる。

感動させようとする技巧も施さず、牛も老人も黙々と働く。しかし、語らずして語るからこそ心に響くものが深い。かつて日本にも似た風景があちこちにあった。韓国だけの話とは思えないリアリティーを持つ映画である。

   

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