「最後のサムライ」の鮮やかな復権

2009年2月号 連載 [「軍略」探照灯 第34回]
by 田岡俊次(軍事ジャーナリスト)

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1月20日発足した米国オバマ政権の閣僚である退役軍人省の長官に、ハワイ生まれの日系3世エリック・K・シンセキ大将(66)が就任した。彼が米国の大臣ポストに就いた初の日系人であることは日、米の新聞でも報じられているが、彼がイラク戦争の開戦直前、米国陸軍の制服組のトップ、陸軍参謀総長として米議会に出席、大胆率直にイラク戦争の長期化を警告したためD・ラムズフェルド国防長官ら「ネオコン」の逆鱗に触れて退役した将軍であることは記憶するに値しよう。

シンセキ(漢字では新関)大将の祖父は広島県出身で、同大将の母フデコさんの祖父母は同県海田町からハワイに移住した石井儀三郎・トミ夫妻。高名なプロゴルファーのデービッド・イシイ氏は母方のいとこだが、同大将の祖父が広島県のどこの出身かはイシイ氏も知らず、同氏はシンセキ大将に聞いてくれたが「本人も聞いていないらしい」との答えだった。

シンセキ大将は1965年にウエスト・ポイントの陸軍士官学校を卒業、砲兵少尉に任官したが、のち機甲科に転じ、ベトナム戦争に2回従軍、ヨーロッパ勤務が長く在欧米陸軍総司令官を務め、99年に56歳で陸軍参謀総長に就任した。この職は第2次大戦前にD・マッカーサー、同大戦直後にD・アイゼンハワーが就いた米陸軍の総帥と言うべき要職で、その上に政治任用の「陸軍長官」がいるが、これは名目上の存在に近い。

「ネオコン」の楽観論に冷水

シンセキ大将はイラク攻撃開始の約3週間前、2003年2月25日の米上院軍事委員会に呼ばれた際「イラクを攻撃すれば宗派、民族紛争が予想され、数十万人の兵力を数年間駐留させる必要があると考えます」と答弁した。当時イラク攻撃を主張し、強引に米国を戦争に向かわせつつあった「ネオコン」集団は「7万5千人でもやれる。作戦期間は数週間だろう」とか「イラク人は圧政からの解放者として米軍を歓迎するはず」「イラク軍は部隊ごと、大量投降するのではないか」など、極端な楽観的見通しを振りまいていた。

ところが陸軍の制服トップがこれと正反対の見通しを述べ、冷水を浴びせることになったからラムズフェルド国防長官は激怒し、議場で「それは個人的な見解にすぎない」と大喝し、ネオコン中の最右翼と言うべきP・ウォルフォウィッツ国防副長官は急遽記者会見を開いてシンセキ大将を罵倒した。湾岸戦争の直前に米空軍参謀総長M・デューガン大将が新聞記者に「今度の戦争は空軍が主体だ。陸軍は歩いてクウェートへ入ればよろしい」と放言して更迭されたなど、不穏当な言動で軍幹部がクビになった例は少なくないが、議場で叱りつけたり、記者会見を開いて非難するような省内不統一の丸出しは珍しい。「数十万人を数年間駐留させる必要がある」と陸軍参謀総長が言うのは「米陸軍はイラクを攻撃すべきでないと判断している」と言うのとほぼ同然だから、主戦論者が慌てたのも無理はない。

3月20日に始まった米、英軍のイラク攻撃は当初順調に進み、4月9日にバグダッドを占領、5月1日には太平洋上の空母リンカーン艦上でブッシュ大統領が勝利宣言を行ったため、戦争をよく知らない人々はすでに終わったと思い、シンセキ大将は見通しを誤ったように言われ、6月に退役となった。4年の任期を勤めたから一応は円満退職の形だが、退任式に国防長官も副長官も出席しないという異例の非礼をあえてした。

ところが後任がすぐに決まらなかった。ラムズフェルド長官は参謀副長を昇任させようとしたり、中東担当の中央軍司令官を後任にしようと口説いたが「この任務が終われば退役すると妻に約束しましたので」などと次々に断られた。シンセキ大将は後輩たちに尊敬されていたし、問題の答弁も議員に聞かれたから正直に答えたまで、と分かっていたから、他の大将も不人気のラムズフェルド長官に誘われるまま、ホイホイと参謀総長に就任しては男がすたる。結局3年も前に退役していた元特殊戦司令官P・シューメーカー大将をかつぎ出した。陸軍大将ではあるが特殊戦司令部は陸軍とは別組織。陸、海、空軍の特殊部隊を統一指揮する。陸軍から見れば傍流だ。まるで企業の役員全員が大株主に反発し「社長に」の声が掛かると次々に退職、やむなく子会社の元社長を引っぱりだしたような形だった。シンセキ大将の退任は6月11日、シューメーカー大将の就任は8月1日だったから、米陸軍は2カ月近くトップ不在で戦争する珍事態となった。

先見の明を誇らない智将

その後イラク戦争はシンセキ大将の予測通り長期化し、開戦後6年近くたった今も米軍は14万人以上を駐留させざるをえず、08年末で死者4147人、負傷者は3万人を超え、アフガニスタンを含む「テロとの戦い」の戦費は1兆ドルに達している。ベトナムの戦費は今日の価格に換算して5700億ドルだった。出口の見えない戦争に米軍人は苛立ち、07年10月には元イラク駐留米軍司令官だったR・サンチェス中将(退役)が「現実離れした楽観論」に起因した「破滅的欠陥のある作戦計画」により「絶望的な戦いを強いられた」などとジャーナリスト会議で講演するありさまで、その前から、他の多くの将校たちもテレビなどで同様な解説をしてラムズフェルド長官らを批判し、辞任を求める署名運動まで起きたほどだった。

当然、米国の記者達はハワイに隠退したシンセキ大将を訪れ、さかんに水を向けたのだが、同大将は穏当な答えに終始し、非難めいたことは決して言わない。最初から彼に全く同意していた私としては「何か言えばいいのに」と一瞬感じたが、考えてみれば後輩達が悪戦苦闘しているさなか「だから私はそう言ったでしょう」などと先見の明を誇るのは立派な軍人のすることではない。正しい判断ができ、問われれば一身の利害を顧みずに率直に答え、冷遇されても平然とし、部下の心情を思いやる。これぞ軍人の鑑、「最後のサムライ」ではないかと感動した。

彼が長官となった退役軍人省は2500万人の退役軍人の年金や傷病兵の治療、障害者給付金などを担当する。職員約28万人、病院・診療所153カ所を持ち、年間予算960億ドル、規模では国防総省に次ぐ。イラクから帰った負傷兵が入る軍の病院が古く患者が惨めな環境に置かれたり、障害の認定が遅く支給開始まで何年もかかる、などの不満が噴出する今日、部下思いで知られたシンセキ大将は退役軍人省の改革に適任の人物だろう。イラク戦争前の答弁が示すように、彼は情勢の客観的判断と先読みの能力があるから、イラクの大量破壊兵器の存在に関して失敗したCIAの長官にも適していようが、退役軍人省長官は他省庁の長官にくらべ政治的な動きをする必要が少ないだけに誠実な軍人に向いた職務だろう。

オバマ大統領が選んだ閣僚の中には、就任前から疑惑を追及されて辞退した人までいるが、ネオコンに苛められたシンセキ大将を閣僚に任じ、鮮やかに復権させたオバマ氏の手腕はさすがと思わせる。

著者プロフィール
田岡俊次

田岡俊次(たおか・しゅんじ)

軍事ジャーナリスト

1964年早稲田大学卒。朝日新聞社防衛庁担当記者、編集委員、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、筑波大学客員教授などを経て、現在CSTV朝日ニュースター・コメンテーター。

   

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