2008年10月号 POLITICS [ポリティクス・インサイド]
自民総裁選に立候補しなかった古賀派(旧宏池会)の谷垣禎一・国土交通相(63、当選9回)の足元で「寝耳に水」の事態が起きた。谷垣氏は京都府北部の舞鶴や福知山などを含む京都5区が地元だが、そこに異色の新人が国民新党公認で立候補を表明したのだ。
この人物は東京出身の元日本経済新聞記者、沼田憲男氏(60)。新人とはいえ、その政財界人脈の広さは、弁護士出身で財務相や自民政調会長など華麗な経歴を誇る谷垣氏に劣らない。
早大政経学部卒で、71年に日経に入社、東京証券部で兜クラブのキャップやデスクをつとめたが、ヒラ記者時代から花井正八・トヨタ自工会長ら経済界の重鎮にかわいがられる異能の持ち主で、「爺さん転がし」と呼ばれた。
長崎支局長時代に、竹下内閣に始まり7代の内閣で官房副長官を務めた石原信雄・元自治省事務次官の懐に飛び込み、91年には第3次臨時行革審会長の鈴木永二氏(元日経連会長)に請われて会長秘書に出向、霞が関との折衝で官界に人脈を広げた。復職後、日中の架け橋役を志して94年に日経を退社。中国青年国際人材交流中心の賈棣鍔氏の知己を得て共産主義青年団(胡錦涛主席の出身母体)と交流、コンサルティング事務所を設立した。
日本の郵政省の依頼でPHS(簡易携帯電話)を中国に普及させるためパイオニア役をつとめ、今日の利用者1億人の土台をつくった。96年には当時の永野健・日経連会長らと北京で青年経営者養成講座を開いたほか、中国の仏教文化の映画製作や、内蒙古の国有企業近代化にも協力している。
98年の中国大洪水後は砂漠化する内陸の荒廃を憂え、共青団などが進める国民植林運動を日本が支援する構想を立てて、経団連など財界や首相官邸に働きかけた。99年、訪中した小渕恵三首相は植林運動支援を表明、100億円の「小渕基金」創設が閣議決定された。そうした貢献が評価され、曾慶紅・前国家副主席ら中国要人から釣魚台の迎賓館に何度も招待されている。
沼田氏が次にめざすのは日本の地方振興。昨年から今年6月まで、宮津市に設立された「丹後通信」の社長として、ドコモから携帯電話の回線を借りて地域密着型の通信サービスを開拓する実験を行った。このアイデアは政府も採用、地域活性化統合本部で「ふるさとケータイ事業」が政府決定されている。
今回の出馬はその延長線上。従来型政治家とは発想が違うが、政官財の人脈と実行力があるだけに、谷垣氏にどんな戦いを挑むか、注目の的だ。