ハーグ条約批准で問われる「加盟後」

日本はG8諸国で最後の条約締結国。国内法に反映せずにほったらかしでは済まない。

2013年6月号 GLOBAL [特別寄稿]
by 棚村 政行(早稲田大学法学学術院教授)

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「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」は、1980年10月のハーグ国際私法会議第14会期において採択され、83年に発効した。ハーグ条約の名で知られる。国境を越えた児童の不当な連れ去りを防止し、連れ去られた子どもを迅速に元の居住国に返すために、国際的司法協力を促進する条約で、現在欧米を中心に世界の89カ国で批准承認されている。

日本はG8諸国の中で唯一のハーグ条約未締結国である。ハーグ条約締結国は国際結婚が破綻して一方の親が子どもを連れ去ることを「誘拐」とみなし問題視しており、最近では子どもを連れて米国から日本に帰国した母親が米国に再渡航した際、逮捕される事例もあった。米国などが日本政府に対し早期の対応を求めていたが、今年になって急速に事態が動き出した。首脳会談を控えた1月、安倍内閣は日米同盟再強化の一環としてハーグ条約批准の方針を打ち出した。3月に承認案と関連法案を閣議決定、承認案は今国会で承認される運びだ。

今回の条約批准は、米国などの外圧も影響して実現した。ハーグ条約ができた80年代にはまだ日本では国際結婚が今ほど多くはなく、国内の実情が追いつかなかった上に、法曹関係者もこうした問題にあまり関心がなかった。今回は中央当局を外務省が引き受けることになった。実現は確かに遅かったが、条約批准の意義は大きいと思われる。

批准に直接影響を受けるのは国際結婚の当事者だけ、と捉える向きもあるかもしれない。だが日本のハーグ条約加盟は、子どもの実力的奪い去りの防止だけでなく、国際司法協力の促進や国際問題の早期解決などの大きなメリットがある。また国際的なルールに対応し、野放しだったところに一定の手続きを導入することは、国際社会の一員として当然の責務といえる。

民法の親権概念にも影響?

しかし、日本と加盟各国の法制度は大きく異なっている。

たとえば国際結婚でなくても、日本では単独親権の原則を採り、母親による無断での子どもの連れ去りは「子連れ別居」として違法とされない。これに対し、欧米など海外では共同親権・共同子育てが一般的で、子の連れ去りは犯罪とされる。DVやストーカーの対策も整備されていることが多い。将来の法的紛争の予防や安心して子を返還し暮らせるような条件整備への対応も比較的手厚くなされるのに対して、日本人女性(母親)は司法へのアクセスや社会的支援も受けられず、孤立しやすい。

したがって条約批准は、直接的にではなくても、離婚後の共同親権・共同監護の可否、単独親権・単独監護の基準、子の引き渡しの判断基準など国内の親権・監護法制の整備と改革を促進することになるだろう。ちなみに日本弁護士連合会は11年2月、ハーグ条約に関する意見書を公表。条約締結にあたり、子どもの意見を適切に聴く法制度の整備、個人通報制度の導入、関係者に対する国際人権法の研修の措置が十分にとられることなどの条件整備を求めている。

連れ去り事件の迅速かつ適正な解決のため、外国法令や外国裁判所での運用・判決の紹介、加盟国相互の情報連携・行動連携、国際司法共助なども必要になる。国際結婚に伴う当事者支援の制度の整備をしなければ、締結が一方的に不利益となるケースが出ないとも限らない。

またこれまでの例では、調停委員、調査官、裁判官等の司法関係者が欧米諸国の共同親権・共同監護の制度目的や理念を必ずしも理解していない面もあった。外国人親の感じ方、ニーズ、日本人親のこだわり、不安などを十分に踏まえたうえで、法的争点を析出し、合意形成を支援する専門家の養成と確保も強く求められる。

海外で一般的な共同親権・共同監護の考え方を日本でも認めるとすれば、国際結婚の範疇にとどまらず、民法の親権概念の見直しにもつながる可能性がある。事実、一部民法改正を促す声も出ている。ただ、条約加盟がただちに法改正に直結するかといえば、それは早計だろう。そもそも日本では協議離婚が多いこともあって、離婚の際に頼れる行政のガイダンスやカウンセリング、裁判所のチェックの仕組みなどが圧倒的に不足している。面会交流のための支援の仕組みを作るなど、地道な取り組みがあって初めて法改正につながるのではないか。

国際家事調停支援が課題

ハーグ条約は、何よりも子どもの権利や福祉への配慮から生まれたものだ。国際人権法としては、ハーグ条約のほかに児童の権利に関する条約がある。

これまで、国際的な子どもの監護紛争では、子どもの奪い合いが繰り返されることが少なくなかった。しかし、親の共同養育責任が明記され、面会交流や親子の絆を維持する方向できめ細やかな調整が実施され、また、親教育やガイダンスなどの教育的な働きかけがあれば、紛争予防にもつながる。実力行使や子どもの奪取自体もかなり少なくなるのではなかろうか。

DVやストーカー対策ももちろんであるが、面会交流など子どもの視点に立った紛争解決のルールや手続き(子の代理人制度、子の意向聴取など)が整備されれば、紛争は円満かつ実効的な解決をみることが多くなるだろう。その意味で、国際的な家事調停・合意形成支援の専門機関の設置、専門家の養成が、今後の喫緊の課題となる。

日本は外圧に弱いせいか、これまでも政治の取引材料として、児童の権利条約や女性差別撤廃条約を批准してきた。だが批准後は国内法に反映させずほったらかしにし、勧告を受けても是正せず、結果「日本は何をやっているのだ」と批判を受けることにもなってきた。

今回こそ条約の精神を積極的に生かせるか。批准後の政府の取り組みを見守りたい。

著者プロフィール
棚村 政行

棚村 政行(たなむら・まさゆき)

早稲田大学法学学術院教授

1953年生まれ。弁護士。専門は民法・家族法。青山学院大学法学部教授を経て09年より現職。

   

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