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「黒川レポート」日米評価格差に愕然

「フクシマ」から教訓を学ぶ全米科学アカデミー。日本の政治家と政府は愚鈍ではないか。

2013年1月号

科学誌「サイエンス」を発行するアメリカ科学振興協会(AAAS)の"Scientific Freedom and Responsibility"賞を11月に受賞した黒川氏

AAASのウェブサイトより

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の手による「国会事故調査報告書」(以下、報告書)が衆参両院議長に提出されたのは、その発足からおよそ7カ月後の7月5日だった。

592ページにも及ぶ大部な報告書は、そのスタッフらの手によって衆参両院に所属する国会議員すべての元にも配られた。

それから、およそ5カ月。

国民の信頼を、世界からの信用を取り戻すために設置された委員会の思いを込めた報告書は見向きもされず、店晒しにされたままなのである。

「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」に基づき、国会に設置されながらも、報告書が国会で議論されることもなければ、委員長の黒川清氏が国会に呼ばれ、その内容を説明し、議論されることもなかった。

黒川委員長以下10人の委員とスタッフは延べ1167人の関係者から900時間に及ぶヒアリングを行った。さらに、被災者計400名を集めた3回のタウンミーティングや1万人を超える被災住民からアンケート調査を行い、海外調査も3回に及んだ。限られた時間の中で、委員とスタッフが心血を注いだのが、この未来への提言書ともいうべき報告書だった。

そもそも、日本の憲政史上初めて衆参両院議長の下に、この委員会を設置したのは、東京電力、政府という事故の当事者から独立した調査機関によって事故の真相を明らかにし、国家としての信頼を取り戻すのが目的ではなかったか。

世界が称賛「英訳レポート」

報告書の冒頭は、次の一行で始まっている。「福島原子力発電所事故は終わっていない」と。 しかし、皮肉なことに、この言葉を真摯に受け止め、福島第一原発事故に切実な危機感を抱いているのは、日本の国会でも国会議員でもない。1863年に米国政府の学術機関として発足した全米科学アカデミー。今回、同アカデミーが米連邦議会から福島原発事故の調査依頼を受け、独立調査委員会を設置、その委員会による公聴会が11月26日に開催されたのである。

東京・港区にある政策研究大学院大学の教室には、米国政府研究機関、財団、大学などの研究者に加え、米駐日大使館の高官らが顔を揃えていた。それぞれの研究分野は、原子力工学はもちろん、公衆衛生、物理学など多岐にわたっていた。だが、関心はただ一つ。福島第一原発で何が起き、それに対して、どう対応してきたのか。そもそも事故の原因はどこにあり、それが今、どのように改善されたかという点にあった。

20名を超える調査委員会メンバーの前に登場したのはもちろん「ドクター・クロカワ」だった。報告書は9月に英訳され、事故調のホームページから自由にダウンロードできる。それは「黒川レポート」と呼ばれ、米国だけではなく、原発を保有する国々で高い評価を得ていた。

およそ45分に及ぶ黒川氏のスピーチの後、会場から堰を切ったように質問が相次いだ。

「福島第一原発の吉田昌郎所長への聞き取りはどのように行われたのか……」「アイスランドの地熱はほとんど日本のメーカーの装置で運営されているのに、日本ではなぜ地熱発電に力をいれないのか……」

詰まるところ、参加者の関心は「黒川レポート」に対する日本国内の対応、とりわけ今後のエネルギー政策や原子力政策にどのような影響を与えたかという点だった。

「日本で初めて国会の下に第三者委員会を設け、事故調査を行い、報告書を提出しました。こういう委員会を、世界が注目しています。しかし、残念ながら、我々が掲げた明日への提言に対する明確な対応はとられていません。報告書を生かすも殺すも、日本の政治家のリーダーシップにかかっています」と、黒川氏は苦言を呈した。

犯罪に等しい愚鈍と無責任

参加者の多くが黒川氏に聞きたがったのは、報告書に指摘した「マインドセット」の問題だった。「思い込み」と訳されたこの言葉は、報告書を読み解く重要なキーワードの一つである。

たとえば、報告書16Pの「問題解決に向けて」の章では、事故の根源的な原因を「人災」と断じたうえで、「原子力を扱う者に許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思い込み、常識)にあった」と論じている。

黒川氏は、この言葉の日本的な意味について、日本固有の個人よりも所属する組織を優先する思考、個人が組織に埋没してしまう傾向などについて述べた後、「政府もTEPCO(東京電力)も安全だと言い続け、知らぬ間に彼らは自分たちで日本の原子力発電所は安全だと思い込み、信じ込んでしまった」と指摘した。

政府も事業者も麻痺している。黒川氏の説明を聞いた、参加者の間から、少なからぬ日本への失望と驚きの声が上がった。

一方で、日本の政治家と政府は、核不拡散の問題や使用済み核燃料の問題など、原子力発電所を持つ国としての責任を放棄するかのような「原発ゼロ」政策を口にし、メディアは無批判で報ずる。いずれも当事者意識を欠いている。

黒川氏が報告書で訴えたかったもう一つの論点は、責任回避を最優先し、責任の所在が不明朗な組織、制度が、この国に蔓延している点でもあった。

「国会事故調のような独立委員会が重要政策ごとに設置されるべきだ」と、黒川氏は訴える。背景には、我が国の民主主義が官僚任せに陥り、国民主権=国会が機能していないことへの危機感がある。黒川レポートを評価し、教訓を得ようとする米国の真摯さに比べ、日本の政治家と政府の愚鈍、無責任さは犯罪にも等しい。

外務省は衆院選の真っ只中の12月15日~17日に「原子力安全に関する福島閣僚会議」を郡山市で開催した。黒川氏のもとへ、その出席打診に訪れた外務官僚は、悪びれることもなく「この報告書はいつ出たんですか」と尋ねた。黒川氏が出席することはなかった。

歴史的な未曽有の事故から学ばぬ日本の病巣は根深い。