当事者のクレームに「裁量」で突然削除。足跡が残るのを知らず、いまや赤っ恥の「無謬神話」。
2007年2月号 DEEP
2006年秋、最高裁判所がインターネットで公開しているホームページが、いったん掲載した判例を突然消してしまった。ネット上で公開したものを勝手に修正したり、削除したりすれば、目ざといユーザーがたちまち騒ぎ、邪推を呼んで抗議が殺到、サイトを閉鎖(俗に言う「炎上」)せざるをえなくなることはよくある。「ネットのルール違反」だからだが、国民にルールを守らせるのが使命の裁判所がこれでは「灯台下暗し」ではないか――。
問題の判決は、東京地裁民事第46部(設楽一裁判長)が06年4月27日に下したもので、平成15年(ワ)第12130号不正競争行為差止等請求事件(第1事件)と、平成15年(ワ)第11159号賃金請求事件(第2事件)である。判決から数日後に裁判所HPの「知的財産裁判例」のコーナーに掲載されたことは、「グーグル」などの検索エンジンでキャッシュを見れば明らかである。
判決文には本来、著作権がない。判事も検事も弁護士も、いや、訴訟当事者だって判例が頼みだ。つまり、国民共有の知的財産である。判例の生殺与奪の権は誰が握っているのか。
この民事訴訟の舞台となったのは、経営コンサルティング会社、ニューチャーイノベーション(本社・東京)。同社の代表取締役だったA氏が独立して米国法人カタナニューヨーク・インク(本社・ニューヨーク)を設立した。しかしセミナーで使うテキストは古巣で制作したものだとして、ニューチャー側がA氏と元社員らを相手取り、不正競争防止法に基づくテキストの発行差し止めを求めた(第1事件)。そしてA氏は、ニューチャー代表取締役解任前の役員報酬不払い分の支払いを求めて応訴したのだ(第2事件)。
東京地裁は原告の訴えを認め、A氏らにテキストの印刷・出版・販売を禁止、コンピューターからテキストを抹消するよう命じた。また、ニューチャーに対してはA氏への不払い役員報酬の支払いを命じた。現在は知財高裁に控訴されている。
ベンチャー企業の仲間割れとノウハウの争奪は珍しいことではない。A氏は1956年生まれ、日本能率協会を経て2001年ニューチャー取締役に就任、03年にカタナ社を設立した。判決文が裁判所HPから削除されたのは、A氏が最高裁にクレームをつけたからではないかと見られる。本誌はカタナ社およびA氏にその確認を求めて取材を申し入れたが、A氏は電話にも出ず、文書回答もしなかった。
そこで最高裁に説明を求めた。驚いたことに、裁判所HPに判例が掲載されるプロセスは非公開なのだ。しかし複数の関係者の取材で流れが解明できた。
判決を出した裁判部(裁判官3人ないし4人で構成)が「掲載すべきだ」と判断をした判決文を、まとめ役に指定された裁判部に集約する。そこで絞り込まれた判決文は、原告・被告名などを仮名にし、総務課から裁判所HPを管理する最高裁に送られ、掲載される。
最高裁は、送られてきた判例の取捨選択の判断を基本的に行わない。地裁も最高裁も、裁判をするにあたっては同格であり、干渉されないという「司法権の独立」(憲法76条)があるからだ。しかし一部裁判所には、知財・医療関係の判決文を全てHP掲載の対象とするよう上から指示が下りており、やはり緩やかな編集意図はあると思える。
ちなみに裁判所HPには、最高裁判例集、高裁判例集、下級裁判例集、行政事件判例集、労働事件判例集、知的財産判例集の六つの判例コーナーがあるが、正式の判例のお墨付きがつくのは最高裁判例集のみ。あとは“参考事例”という扱いらしい。また、裁判をした当の地裁・高裁は、判例のHP掲載に基本的に関与していない。一度載った判例をすぐHPから削除できるのは、最高裁しかないということになる。
A氏の判決は知財分野で、最高裁事務総局行政局の所管である。本誌の取材に最高裁広報課は、1週間かけたあげく「知財判例の登載、不登載は個別事案の具体的事情をも考慮して決めている。この判例の削除については、事柄の性質上、回答を差し控えたい」と答えた。
何も言っていないにひとしい。具体的事情とは何をさすのか。「たとえば当事者からの閲覧制限の要請がある場合、民事訴訟法92条を根拠にする。この場合、記録の閲覧もできなくなる」(広報課)という。
最高裁のこの解釈はほとんどこじつけである。同条(秘密保護のための閲覧等の制限)の直接の対象は、判決文ではなく訴訟記録(裁判でやりとりされる書面や証拠)であり、公開の制限は当該部分に限定されるべきだからだ。
それに「事柄の性質上」とは一体何なのか。判決文をいくら読んでも、A氏の「私生活上の重大な秘密」やカタナ社の「営業秘密」(同条)が入っているとはとても思えない。
ある地裁関係者が裁判所の本心を明かしてくれた。「そもそも裁判所HPの判例集は、最高裁の裁量で国民に提供している“便宜”。個人情報やそれが推知される文言、企業の秘密などについて、当事者から載せてほしくないと言われれば、裁量で削除することもありうる」
結局、A氏の判例は最高裁の「裁量」で削除されたらしいが、その経緯は闇から闇で、官僚の「ことなかれ」の言い訳にしか聞こえない。「判例集は公の知的財産ではないのか」との本誌のツッコミ質問に、最高裁は「判例に著作権はない。だから(削除しても)著作権法の問題もない」と議論をすりかえた。
もともと最高裁は、紙のメディアに対しても判例情報の提供には消極的だった。97年に立ち上げ、昨年3月に大改良したHP判例集では、それなりのプロセスを作ったのにブラックボックス化してしまった。一切説明せず、責任を負わず、最高裁の「無謬性」を守ろうとする頑な姿勢が見えるが、ネットではキャッシュに足跡がつく。それを知らぬ最高裁の骨董級の浅知恵は、滑稽を通り越して悲惨ですらある。
しかし、企業法務の現場では、内部統制やコンプライアンス対応、知的財産管理の国際基準化に追われ、紛争予防の観点からも、判例を参照する必要性が高まっている。当事者の求めに応じて無原則に判例を削除していたら、法的判断の指針が虫食い状態になりかねない。
海外の法情報や判例情報に詳しい町村泰貴・南山大学法科大学院教授はこう指摘する。
「アメリカやフランスに比べ、日本の判例は“不正義”と言えるほど公開数が少ない。判例は公共財であり、公開の基準とプロセスが検証可能であることが必要だ」
天網恢々、疎にして漏らさず。いつか裁判所HPが「炎上」させられる日が来るに違いない。