「座して死を待つか」/欧州AI敗戦の予言書「Europe2031」の衝撃

予言書は言う。欧州は座して死を待つか、米国隷属か、中国に接近するかの3択だ――と。

2026年9月号 DEEP

仏マクロン大統領はメンシュ氏を「フランスが生んだ天才」と絶賛する

Photo:Jiji

欧州の政策立案者を騒然とさせたレポートがある。「Europe 2031」というタイトルで、欧米のAI研究者やベンチャーキャピタリスト、ジャーナリストによって書かれた。レポートといっても論文ではない。2026年中旬までに実際に起きた出来事を踏まえ、31年に欧州が陥るであろう状況を描いた物語風の「予言書」だ。

「計算資源」で米国に劣後

大半の予言書がそうであるように、このレポートが描く未来は暗澹とした、さながら欧州にとってのディストピアだった。

米国のAI企業が誇る圧倒的な計算資源を目の当たりにしても、欧州の政策立案者の腰は重い。データ主権を自国で自立的に管理する「ソブリンAI」の理想を掲げるだけで、思い切った大規模投資に踏み込めない。米政府は最先端AIモデルの供与国を3つに分類。欧州はティア2に位置づけられ、制限から最先端モデルを自由に使用できなくなる。AI活用の遅れから製造業の競争力が削がれ、成長は止まり財政危機に陥る。欧州に残された道は座して死を待つか、米国への隷属か、中国への接近しかなくなった――。

レポートが注目を集めたのは、ネット公開の翌6月12日に予言通りの出来事が実際に起きたからだった。米政府は米アンソロピックの最先端AIモデル「Mythos 5」と「Fable 5」を輸出規制対象とし、欧州のアクセスを遮断した。2週間後に部分解除されたものの、米国が生殺与奪の権を握っている事実をまざまざと見せつけられた。

半年ごとに処理能力を倍々に高めるAIの成長スピードは速い。対応が遅れた分だけ取り返すのにかかる時間とコストは指数関数的に膨れ上がるが、それでも欧州の動きは鈍い。加盟27カ国の合意が必要というEUの政策決定の遅さに加え、計算資源がなくても自分たちが先導する規制・ルールでAI企業の暴走を抑え込めるという傲りが見え隠れする。

そんなEUの誇るルール覇権が張りぼてだとばれる出来事が起きた。最先端AIモデルのアクセスに関する情報を得るため、欧州議会が7月14日に開いた公聴会。アンソロピックが代表者として派遣したのは求められていた政策担当トップではなく、技術担当のドニー・グリーンバーグ氏だった。

自身が経営していた会社がアンソロピックに買収され、4月に社員になったばかりの人物だ。何を聞かれても「技術者で政策担当者ではないので答えられない」と繰り返し、用意した資料をただ読み上げるだけの同氏に、公聴会はしらけきった雰囲気で終わった。

「欧州委員会はいまだに自分たちですべてできると考えているが違う。ルールは技術の中から作られていくものだ」。オランダの半導体製造装置ASMLホールディングのクリストフ・フーケCEOはノキアやSAPといった欧州企業トップとともに、欧州委に政策提言する枠組みを立ち上げた。フーケ氏を突き動かしたのは遅々として動かないEUに対する焦燥と苛立ちだった。

AIに不可欠な最先端半導体を作るには、超微細な回路を焼き付ける極端紫外線(EUV)露光装置が必要だ。世界で唯一EUV露光装置を手がけているのがASMLで、米国のAI企業もこの装置がなければ計算資源を拡張できない。いわば欧州にとっての「戦略的切り札」と言える。

「Europe 2031」では主人公である欧州委でデジタル政策を担当するフランス人女性が「ASMLについては完全な失敗だった」と振り返る。米国務省がASML技術の中国流出を「核兵器の拡散に匹敵する脅威」と見なし、最先端AIモデルのアクセス遮断をチラつかせ欧州に圧力をかける。結果としてASMLは米国とオランダの共同持ち株会社に移行し、生産計画と顧客選定の支配権を米国が掌握した。

たとえルール形成戦略に一日の長があっても、最先端の半導体製造技術を囲い込んでいたとしても、圧倒的な計算資源を擁する米国には勝てない。そんな現実を見抜き、早くから米国に対抗できる計算資源を持つよう訴えてきた人物がいる。フランスのAI新興、ミストラルAIの共同創業者兼CEOのアルチュール・メンシュ氏だ。

「電力は重要な経済基盤。米国人に電気を売れば彼らはAIによって10倍の値段で転売する。2年後には手遅れになる」。総発電量の7割を原子力発電所が占めるフランスの電気代はEU平均より3割安い。AIを動かす巨大データセンターは電気を大量消費するため、メンシュ氏はエマニュエル・マクロン仏大統領に原発大国の利を生かし、計算資源を確保するよう説いてきた。

メンシュ氏はどのような人物か。在欧IT専門家は「AI新興の創業者ゆえに欧州版サム・アルトマン(米オープンAIのCEO)に例えられるが、実際は無償OS『Linux』を開発したリーナス・トーバルズ氏に近い。シリコンバレー流への警戒心が強く、オープン性を重視する。自転車移動を好むなど、経営者というより技術者然としているのも似ている」と言う。

現在34歳のメンシュ氏はフランス最高峰の理工系大学エコール・ポリテクニークを卒業し、米グーグルのディープマインド研究所でAIモデル構築の技術者として働いていた。米国依存の危機感から23年、米メタの技術者だった大学の同級生2人とミストラルAIを立ち上げた。マクロン大統領は「フランスが生んだ天才」と呼び、厚い信頼を置く。

「プラグ、ベイビー、プラグ」。マクロン大統領がドナルド・トランプ米大統領の決め台詞「ドリル、ベイビー、ドリル(石油・ガスをもっと掘れ)」をもじり、巨大データセンター建設の大号令をかけた裏に、メンシュ氏の存在があった。5月末に可決した国益プロジェクト推進法では、巨大データセンターの2段階承認手続きが省略され、環境保護派が建設反対の訴訟を起こしても10カ月以内に結論が出るよう法的手続きも大幅短縮された。日本のソフトバンクグループを除けばミストラルAIなど仏3社に巨大データセンターの用地と余剰電力を割り当てる方針で、保護主義的な計算資源の囲い込みにかじを切った。

米国への牽制という点では一定の効果があるようだ。オープンAIがドイツ国内で巨大データセンター建設の可能性を探っていたことを、独紙ハンデルスブラットが7月下旬にすっぱ抜いた。オープンAIのアルトマン氏は昨年9月からフリードリヒ・メルツ首相らと極秘裏の会合を重ね、フランスとの国境に近い独西部の町を候補地として狙っていた。フランスの原発電力を存分に使いたいが、米国排除を強める仏政府が国内立地を拒否する可能性が高く、苦肉の策だったようだ。

欧州首脳のヘタレに怒り

ここにきてようやくEUも加盟27カ国の首脳が集う理事会でAI戦略に関する議論を始めると決めた。

「Europe 2031」は34年に主人公がAIによるインタビューに応じ、過去を振り返る場面で終わる。彼女は欧州首脳に対する怒りの理由を問われこう答えた。「愚かだったからでも悪意があったからでもない。勇気がなかったことを責めている」

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