2026年8月号 DEEP [経営者不在]

近藤哲司会長
「長年にわたって培ってきた絆こそ、われわれの財産だと信じている」。今年1月6日にフジテレビで開催された毎年恒例のフジサンケイグループの新年賀詞交歓会の冒頭、産経新聞社社長の近藤哲司(66)が約300人の幹部らを前にグループの結束を強調し、各社が良い1年であるように祈念すると、大きな拍手が湧き起こった。
まさか1カ月も経たないうちに、フジ・メディアホールディングス(FMH)が旧村上系ファンドのグループが求めていた不動産事業の外部資本の受け入れや完全売却の検討を発表するとは露知らず、近藤はとんだピエロを演じた。
例年はフジサンケイグループのドン、元代表の日枝久が30分にわたって、冒頭で挨拶するのが恒例行事だった。日枝が去り、今年はグループ幹事社という理由で、近藤が挨拶することになった。本来であれば、FMH社長の清水賢治が挨拶しても、おかしくなかったはずだが、今となってみれば、そうしなかった理由は一目瞭然だ。

飯塚浩彦前会長
FMHは2月3日、株の買い増しを続けていた旧村上系ファンドに白旗を上げ、不動産事業の分離、完全売却の検討を発表した。東京・大手町にある東京サンケイビルなど優良資産が含まれ、5月に実施した一次入札は1兆円以上の応札があった。グループの稼ぎ頭のサンケイビルの完全売却は産経の息の根を止めかねないほど深刻な影響を与えている。
産経は発行部数が10年で半減。全国紙から脱落し、苦しい経営が続いている。これまで何とか経営を維持できていたのは、グループの最高権力者の日枝が後ろ盾となり、水面下でバックアップしてきたからだ。FMHは産経の39.99%の株式を保有し、持分法適用会社として傘下に収め、昨年まで日枝は取締役相談役として見守ってきた。
日枝が産経を庇護してきたのは、保守言論を守るという使命と自民党とパイプを築き、自らの権力基盤を強固にする狙いがあったからだ。「安倍(晋三)さんが自身の応援団だった産経の経営を心配し、日枝さんに支援を頼んでいたとの話もある」(グループ幹部)
それが元タレントの中居正広の性加害問題をきっかけに瓦解し、ガバナンス不全の元凶とされた日枝は完全退任に追い込まれ、潮目が変わった。CM出稿が止まったフジテレビは赤字に転落。アクティビストの目も厳しくなり、清水は産経に自立経営を突き付けた。「それまではフジテレビから広告宣伝費やグループ冊子の発注などを名目に年間10億円以上のミルク補給があり、営業黒字を保ってきたが、前期はなくなった」(関係者)。産経は日枝の失脚で命綱を断たれた。
5月1日には緊急の全社集会を開催。28年4月に東京サンケイビルから品川シーサイドへの本社移転を発表した。サンケイビルは産経の不動産管理部門として設立された経緯もあり、一等地にある大手町の本社を割安の賃料で借りていたが、FMHの不動産事業の分離で立ち退きを余儀なくされたのだ。中堅社員は「都落ちのショックは大きく、社内に諦めムードが広がっている」と明かす。
思えば、この10年の産経はリストラに次ぐリストラで衰退の一途を辿った。リストラで、一時的に業績は改善するものの、新聞離れのスピードは速く、またリストラを繰り返すという悪循環が続いている。
飯塚浩彦の社長時代には18、19年と2度にわたる過酷なリストラを断行し、300人以上が会社を去った。狙い撃ちにされた社員は何度も面談が行われ、社内は暗い空気に包まれた。印刷工場を閉鎖し、全国の取材拠点も大幅に縮小した。
飯塚は「当分はリストラをしない」としていたが、その約束は破られた。4年後の23年にもリストラを実施。今度は22年から社長に就任した近藤が「2年間で足腰の強い会社にする」という方針を掲げ、120人の首切りを行った。それでも業績は上向かず、25年1月に「夕刊フジ」を休刊。海外支局を閉鎖し、11月末には東北の販売から撤退する。
どの部署もリストラや自主退職の増加で人が減り、「編集は兼務が増え、まともな取材ができなくなっている」(ベテラン社員)といい、紙面の質も劣化している。仕事ばかりが増え、給料も上がらず、現場は疲弊している。
そこに追い打ちをかけるように、フジテレビからの事実上の補助金が打ち切られ、大手町からも追い出されることになり、現場の不満は我慢の限界に来ている。そんな中で、在任4年でリストラぐらいしか実績がない近藤が6月に代表取締役会長に昇格し、社内に失望や不安が広がっている。
近藤とはどんな人物なのか。長野県出身。進学校の松本深志高校を卒業し、医学部を目指し、3、4年ほど浪人したが、合格できず亜細亜大学に入学した。卒業後に産経に入社し、千葉総局を経て、東京経済部に配属され、流通やサービスなどを担当した。当時を知る産経OBは「特ダネを取れる記者ではなく、自分の力量を自覚していたのか、早いうちから営業開発やデジタル分野に進んだ」と語る。
転機が訪れたのは米スタンフォード大への留学だ。社内試験に受かり、関心があったデジタルを学ぶ機会を得た。シリコンバレーで米国のネット社会の凄さを体感し、箔を付けて帰国した。私生活では文化部にいた経済評論家の故竹村健一の娘と結婚。竹村の義理の息子となり、社内で一目置かれるようになった。ちなみに離婚して今は再婚している。
産経の「中興の祖」と評される住田良能が04年に社長となり、「ウェブ・ファースト」を掲げ、近藤は出世の道が拓けた。子会社の産経デジタルに移り、米マイクロソフトと連携した「MSN産経ニュース」などを立ち上げ、08年には朝刊を無料で閲覧できるアイフォーン向けアプリを公開した。09年に産経デジタルの社長となった。
産経本体の社長になれたのは社長の住田を通じ、大阪社会部出身の飯塚とパイプを築いたからだ。飯塚が17年に社長となり、大阪閥で経営陣を固めたが、その中にデジタル専門の近藤も加わった。「飯塚は諫言する身内を次々と切り、最後に何も言わなかった近藤を社長に選んだ」(役員OB)

羽成哲郎社長
産経デジタルが長く、編集幹部の経験もなく、人事や組織に疎い近藤は、6月に社長に引き上げた子飼いの羽成哲郎(63)を重用した。羽成は1985年に慶大を卒業後、産経に入社。初任地は千葉総局。2年遅れで入社した近藤の配属先の先輩で、その頃からの付き合いだ。政治部に進んだが、部長になれず、編集は千葉総局長止まり。社長就任後のメッセージでも告白しているが、記者としての実力はなく、管理部門にシフトチェンジしてから頭角を現した。
17年に総務本部長になり、18年に経営企画室長に就任。参謀役の経営企画を6年も担当した。羽成を古くから知る関係者は「若い頃から下に厳しく、上に媚びへつらうタイプだった。飯塚にうまく取り入り、破竹の勢いで出世した」と話す。23年に取締役社長室長となり、近藤の懐刀としてリストラを進めた。
近藤が羽成を社長に起用したことについて、OBや幹部の間で大顰蹙を買っている。経営企画室長時代に贔屓にする社員らと飲み会を繰り返し、経費の使い過ぎで懲戒処分を受け、執行役員を引責退任しているからだ。経歴には退任が記載されておらず、外部に伏せられている。しかも18~20年の経営企画室長時代は過酷なリストラを行い、自らも面談をしていたというのだから、首を切られた300人以上の退職者も浮かばれない。
現役幹部は「懲戒処分を受けて引責した執行役員が瞬く間に上席役員になる新聞社なんて聞いたことがない」と吐き捨てる。表向きは執行役員を退任し、経営企画室長の任は続投させ、すぐに上席や常務に引き上げたのは飯塚に他ならない。本誌は羽成の経費乱用について質問状を送ったが、「当時、事案の内容などを精査のうえ執行役員を退任させる人事措置を行いました」(広報部)と答えた。
産経の凋落は部数減などの外部要因だけではない。「飯塚時代から好き嫌い人事が横行し、組織がガタガタになった」(先の役員OB)との声もある。大阪育ちで傍流だった飯塚は政治部や外信部の主流派を排除。大阪閥や政治部の非主流派の羽成らを重用した。「一言二言忠告すると、飯塚は大阪閥の身内さえ、簡単に切り捨てたため、社内に閉塞感が蔓延し、会社はまとまりを欠いた」(同)
そうした風潮は社内全体に広がり、上に忖度する者ばかりが出世し、意見を言う者は排除される傾向が強まった。それは近藤の社長時代に拍車がかかった。近藤は幹部人事を子飼いの羽成に丸投げした結果、イエスマンばかりが重用された。
筆頭格は女性初の取締役となった佐々木美恵といわれる。政治部長を務め、編集総務から未経験の営業ポストに異動。「部下の手柄のおかげで、自分だけが飛び級で取締役になった」(関係者)。多くの社員の首を切ってきた「リストラの鬼」こと船津寛も地方部長時代から羽成にすり寄り、編集局長まで出世した。歴代最悪の局長と言われながら、昨年に休刊説のあるサンスポ代表に昇格した。「サンスポでは死神が来たと警戒されている」(同)。尊敬されていない幹部ばかりが登用され、社内の士気はだだ下がりだ。

東京・大手町の東京サンケイビルに入る産経新聞東京本社
深刻なのはそればかりではない。26年3月期の業績(単体)は売上高が480億円で、営業利益は6億円と何とか黒字を確保できたが、これにはからくりがある。「フジテレビからミルク補給がなくなったが、本社移転に伴い、サンケイビルから30億円程度の立ち退き料があり、3月に12億円が広告収入として支払われ、黒字決算にした」(関係者)との話もある。今期以降は予断を許さない。
補助金を切られた財務は火の車で、自己資本比率が21.9%(26年3月期単体)と危険水域に近づいている。その上、260億円の借入金があるとされ、減収が続き、返済能力は低下している。金利上昇に加え、赤字転落すれば、利率が上がり、財務はさらに悪化するのは明白だ。採用にも苦労し、「来年の新卒社員は2人しか決まっていない。内定者の8割が逃亡している」(関係者)
大手町を追われ、身の振り方を考える若手・中堅社員も少なくなく、組織の維持もままならない。挙げ句の果てに懲戒処分を受けたリストラ屋の羽成が社長になり、メルトダウン寸前の状態にある。生き残りを図るには規模の縮小は避けられず、関西のブロック紙への転換や保守・右派層をターゲットにしたニッチなプラットフォーム化などの道がある。FMHはメディア事業の強化を掲げるSBIホールディングスとコンテンツIP戦略で提携に向け協議を開始した。同社の資本参加などで新たな血を入れ、再生を図る道もある。
(敬称略)