連載/シン・鳥獣戯画『吾輩は鯨である』/捕っても食わぬが鯨の為か/松田裕之・日本生態学会元会長

2024年9月号 LIFE [シン鳥獣戯画]
by 松田裕之(日本生態学会元会長)

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複製・寺本英

吾輩は長須(ナガス)鯨(クジラ)である。日本近海を含む北半球に棲んでいる。今年から、日本は我々の商業捕鯨を再開した。日本は2019年に国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、南氷洋調査捕鯨をやめて日本の排他的経済水域でミンク、イワシ、ニタリ鯨の商業捕鯨を再開したが、我々も襲い始めた。捕鯨を担う株式会社共同船舶は22年の年頭会見で黒字化を目指すと表明し、今年5月に新たな捕鯨母船「関鯨丸」も就航した。

吾輩は北太平洋を広く回遊するが、赤道付近には近づかない。南半球にも仲間がいるが、別亜種とされている。吾輩は体長24mで体重70トン。史上最大の生物と言われる体長21-26mのシロナガスクジラに次いで大型の生物である。吾輩はオキアミなどをこしとる髭(ひげ)鯨の仲間であり、魚を主食とする歯鯨とは異なる。イルカも歯鯨の仲間であり、歯鯨で大きいのは体長15-18mのマッコウクジラである。鯱(シャチ)も歯鯨で、彼らは海獣や我々も襲う。ちなみに、ミンククジラは捕鯨手の人名Minkeに因み、イタチ科のミンクとは関係ない。

ナガスクジラの商業捕鯨再開を報じるNHKニュース

我々は20世紀初めに北太平洋に約1万から1.5万頭程度いたらしく、1970年頃には、6割程度に減った可能性がある。しかしその後は保護されて回復し、ほぼ初期資源量に戻っていると分析されている。資源を持続的に利用できるかどうかの数値解析を踏まえて、24年度の捕獲枠が59頭になったという。その分析を踏まえて、今回の商業捕鯨再開が決まった。ただし、その根拠には未発表論文も含まれているから、早く出していただきたい。これは上限だから、実際の捕獲数はこれより少なくてもよい。調査捕鯨時代にもナガスやマッコウ鯨を捕ったから、技術は受け継がれている。

網取り式捕鯨(小川嶋捕鯨絵巻)

縄文時代から、人間は我々鯨類を石銛で襲っていたらしい。昔は手漕ぎの船が船団を組んで我々を襲った。和歌山県の太地に「鯨組」が結成されたのは17世紀のことだという。ノルウェーやフランスでも12世紀ころから捕鯨は行われてきた。米国からペリー提督が浦賀に来たのも、日本を捕鯨船の補給基地にする意図があったという。彼らは既に蒸気船と捕鯨砲で我々を狙い始め、母船と捕鯨船に分け、捕鯨船が捕まえて母船で加工し、港に持ち帰っていた。『白鯨』の舞台となった19世紀初めにも捕鯨船団はあったが、まだ人力と鯨力の勝負だった。

人間は我々の身体を食用以外に様々に利用する。鯨油は、19世紀までは蒸気機関などに必須の潤滑油だった。鯨ひげは、実にさまざまに利用されてきた。文楽の操作索、正倉院にある如意、からくり人形のばね、西洋の傘、コルセット、バイオリンの弓のラッピング、物差しの鯨尺、釣り竿、テニスのガットなど。しかし、鯨油やガットはそれぞれ石油や合成繊維に代わり、今では、人間は我々を獲物として必要としなくなりつつある。

一、 我々は慈悲深い「利他主義者」

ミンククジラのヒゲ(「くじらタウン」より転載)

2002年頃、日本政府は我々が魚を横取りしているという「鯨害獣論」を展開した。北太平洋のミンククジラの胃の中にはオキアミでなく魚がびっしり詰まっていた。しかし、彼らの主食は鰯などで鮪ではないし、鮪が食べる鰯のほうが多いらしい。我々は自然界にもともといたのであり、鯨類全体が昔より増えて魚を横取りしているとは言えない。

人間こそ、我々鯨類に害をなしている。乱獲しただけではない。船が出す様々な音波は、我々の通信手段の邪魔である。

歯鯨類は超音波で周囲の様子を知る。我々も含めて鯨類は他個体との連絡を音で取りあう。シロナガスクジラなら20ヘルツ以下の低音を使う。数百キロ先まで届くだろう。船などが出す音は、単に不快な騒音というだけでなく、仲間と連絡を取るのに邪魔である。シロナガスクジラはより遠くまで確実に届く低音で連絡を取るようになっているらしい。ただし、その原因が騒音発生増加だけとは限らない。海洋酸性化により騒音を拾い易くなっているとか、個体数が回復して、雌をめぐる雄間闘争が激化したせいかもしれない。

もっと深刻なのが船との衝突だ。通常の大型動力船でも、我々と衝突する。前回、前々回の熊や鹿と自動車の衝突もそうだが、我々が犠牲になるだけでなく、船や人も無事では済まない。船が沈没することは稀だが、損傷し、北米大西洋側の統計で2010年からの4年間で37件の鯨類による人身死傷事故が報告されている。船舶の安全航行指針にも対策が盛り込まれている。

特に厄介なのが超高速船だ。09年までの6年間で日本だけで19件の衝突事故が起きた。人間側も被害があるので、超高速船から我々に不快な音波を出して、我々に避けさせるよう工夫している。鯨種により効果のある周波数が違うので、航路と季節などによって使い分けるのだという。

衝突事故は我々にとっては命の問題なので、警告音は有効だ。相手が捕鯨船でなくても、我々は船舶との衝突を警戒する。

潜水艦との水中衝突はほとんどない。潜水艦同士の水中衝突もまれである。潜水艦も浮上時に船とぶつかる事故は何度も起きている。我々も浮上したときが危険である。

近年は鯨観光船のホエールウォッチングが盛んである。しかし、あれも我々を追いかけ回すので迷惑だ。近づきすぎないこと、多数の観光船で追い回さないこと、接近したら減速して騒音を減らすこと、客も大声を出したりしないことなど、鯨観光の環境配慮指針を守ってほしい。ただし、それはこちらのストレスが過剰にならないための指針であり、我々が喜んでいると思ってほしくはない。もちろん、捕って食われるよりはましである。

現代の鹿や熊にとって、あるいは人間がいたほうが子孫を増やしやすいかもしれない。その意味では、彼らにとって人間は「益獣」かもしれない。野生の餌より栄養価の高い農作物があり、昔のように猟師の獲物になることが少ない。鹿は大量に獲られるようになったが、農地や耕作放棄地で増える益の方が多いだろう。しかし、人間は我々と魚をめぐって競合し、保護してくれても、特に自然状態より生活が楽になっているわけではない。

我々は慈悲深い「利他主義者」として動物行動学者に知られている。溺れている個体がいると、赤の他人の鯨でも助けることが知られている。吾輩には経験がないが、相手が人間でも助けるイルカやクジラがいるという。

二、 絶滅危惧か持続可能な利用か

ミンククジラは今も昔も絶滅の危機にない。国際的に絶滅危惧種を定める国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストによると、彼らは低懸念、つまり十分情報があって、懸念がないことがわかっている種とされている。歴史的に彼らは一度も乱獲で激減したことはない。南半球では85-91年の推定では51-101万頭、91-2004年には36-73万頭と推定されたが、1990年頃は初期資源量より多かった可能性もある。競合する我々やシロナガスクジラが減ったために一時的に増えたともいわれる。

北太平洋のミンククジラは1.3万-3.6万頭と推定され、初期資源量の7割程度とみなされている。捕鯨に反対する団体としてはグリーンピースが有名だが、彼らはテロ行為とは一線を画し、現在では反捕鯨活動を終え、気候変動や反原発活動に軸足を移している。WWF(世界自然保護基金)ジャパンも2002年に「対話宣言」を出し、反捕鯨の旗を降ろした。北欧捕鯨国や日本の捕鯨船に対してテロ行為を行っていたシーシェパードは、船の衛星監視システムなどの対策が進み、17年に妨害活動を断念した。元代表は12年に国際手配されていたが、7月21日にデンマーク領グリーンランドで逮捕された。

水産資源は、理論的に初期資源量の約半分に減らして捕り続けるのが、持続可能な漁獲量を最大にするといわれる。この時の漁獲量を最大持続生産量(MSY)と言う。IWC科学委員会では、鯨類の資源量が初期資源量の54%未満になったら禁漁にすることが合意されている。

シロナガスクジラは南極海で初期資源量が15万-20万頭と指定され、戦前に年1万頭以上捕っていた時代があった。1966年頃には1000頭以下に減り、以後全面禁漁が続いているという。最近では年率約4-12%で増え続けているが、現在もなお3千-8千頭しかいないらしい。長く厳格に禁漁が続き、現在回復しつつあることから、レッドリストは第2ランク(環境省用語でIB類)とされているが、最近の回復率が続くとしても、初期資源量の半分に回復するのになお約20-60年、IWCでは反捕鯨国が増え、88年以後はミンククジラも含めて大型鯨類の商業捕鯨のモラトリアム(停止)が実施された。その後は北太平洋と南半球での調査捕鯨が続いていた。日本の沿岸商業捕鯨こそ絶滅しそうだったが、IWC脱退後、日本の200海里水域に限定して商業捕鯨を再開した。

三、 食べて供養する日本人

我々には脚がなく、江戸時代にも食べられていた。西洋では、鯨油利用が主目的だったペリーの時代から、我々に対する見方は180度変わった。我々を知能の高い動物とみなし、保護してくれる。ありがたいが、鹿や熊の知能も大差ない。

日本各地に、我々鯨のための供養塔がある。日本人は我々を食べて利用するが、供養もする。我々鳥獣を殺してしまったなら、捨てるのは罪深いとか、勿体ないと思うらしい。西洋人の見方は少し違い、殺しかつ食べることを「二重の罪」と思っている節がある。利用価値がある限り乱獲が起きるという理屈のようだ。これは他の野生動物も同じだ。

IWCの改訂管理方式は、鮪やほかの水産物の管理よりずっと厳しく、保守的である。我々も含めて全鯨類が絶滅危惧と誤解しているのかもしれない。鹿や熊と同様に、吾輩は元気である。ただし、絶滅危惧と思い続けて守ってもらうほうが好都合だ。

[謝辞] 原稿執筆にあたり、早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構の赤松友成研究院教授、日本鯨類研究所の袴田高志博士の助言を参考にしました。

著者プロフィール
松田裕之

松田裕之(まつだひろゆき)

日本生態学会元会長

1957年福岡県生まれ。麻布高校、京都大学理学部、同大学院博士課程を卒業(理学博士)、日本医科大学助手、中央水産研究所主任研究官、九州大学理学部助教授、東京大学海洋研究所助教授、横浜国立大学大学院教授を経て、同大学学長特別補佐。専門は生態リスク学。日本生態学会元会長、日本海洋政策学会理事、アースウォッチジャパン理事。マリン・エコラベル・ジャパン協議会アドバイザリーボード座長、元IWC日本政府代表団

   

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