「こんな超円安」は続かない!/13年前と酷似の「投機相場」/山崎達雄・元財務官

2024年8月号 BUSINESS [エキスパートに聞く!]

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1957年生まれ。東大法卒。大蔵省入省。2015年退官後、国際医療福祉大学特任教授、SBI大学院教授などで国際金融情勢を研究。為替市場課長当時(2003~04年)過去最大の35兆円の円売り介入実務を担当。趣味は映画鑑賞。私が観たベストワン映画は『ゴジラマイナスワン』

――7月3日、1ドル161円94銭まで売られ37年ぶりの安値をつけた。歴史的な超円安は、なぜ起こったのですか。

山崎 超円安の要因は金利差プラス投機だと思います。円が1973年に変動相場制になって以来、円相場を決める要因は、長らく日米の貿易不均衡でした。その後、円が「デフレ通貨」(通貨価値が減価しない通貨)として定着してからは、世界経済の先行きが不透明で投資家がリスクを回避したい時、避難先の通貨として円が選好され、円高になるというパターンが続いた。

金利差が円相場を決める主要因に躍り出たのは2008年の世界金融危機、20年のパンデミックで世界の中央銀行が量的金融緩和を強化し、市場にマネーが大量に供給されたことで、投資家が高い金利を求める「イールドハンティング」に走ったからです。とはいえ、日米政策金利差は23年7月がピークでした。その時の円相場は140円前後です。その後、日銀が利上げをしたので、今は金利差が縮小しています。にもかかわらず、そこからさらに20円以上も円安が進んだのは、投機筋が円売りポジションを積み上げたためです。投機筋は自分が円を売った水準より、さらに円が下がった水準で買い戻して利益を得ようとします。そのため「今の円安は日本の競争力の低下など構造要因によるもので、もっと円安になる」と囃し立て、FX個人投資家や機関投資家にもっと円を売らせることによって、投機主導の円安が進んでいるのです。

どの介入よりも効いた「安倍発言」

――超円安のどこが悪いのですか?

山崎 経済モデルは、円安が日本のGDPを増加させるとしています。しかし、円安の真の問題はGDPを増やすかどうかではありません。2年連続の賃上げが実現しても日本の個人消費が伸びないのは、実質所得がマイナスであるためです。即ち日本企業の99%を占める中小企業や非正規労働者は十分な賃上げが実現できていないのです。というのも中小企業の過半にとって、円安はコストを押し上げるマイナス要素でしかないからです。さらに円安による食品や日用雑貨の値上げは家計の懐を直撃します。また、円安で目先の収益が膨らむ大企業にとっても、中長期的な海外展開戦略を立てるうえで、超円安は障害です。日本を持続的成長軌道に乗せるためには、超円安に歯止めをかけられることが必要です。

――途方もない為替介入を断行しても、超円安に戻ってしまいました。

山崎 5月の介入は、急激な円安を仕掛ける投機筋を強く牽制するとともに、投機筋に乗せられて、さらなる円安の進行を信じる一般投資家に対して「それはおかしい」と気づいてもらうためのものでした。介入の結果、為替相場も大きく戻れば、介入効果が見えるのですが、必ずそうなるとは限りません。5月の介入額約9兆円は過去1年間の日本の貿易赤字(約6兆円)を上回る規模ですので、長期的には為替市場の需給に影響を与えますが、投機のポジションはその何十、何百倍という規模なので、介入の効果は短期的には限定的であったり、長続きしなかったりすることもよくあります。この点、2011年に75円まで円高が進んだ時の介入が思い出されます。当時は東日本大震災があり、円売り協調介入まで実施したにもかかわらず、デフレ通貨の円はもっと高くなるという投機筋のシナリオに乗せられ、75円の超円高水準までいった後も、60円、50円まで進むという見方もありました。当時の年間貿易黒字額に匹敵する9兆円規模の円売り介入を行いましたが、円相場を80円近辺に戻すのがやっとでした。

ところが、翌12年秋になって、当時野党だった自民党の安倍晋三総裁の「目標達成まで、日銀は国債を無制限に購入すべき」との発言をきっかけとして、投機筋が一斉に円買いポジションを巻き戻し、円相場は100円を超えるところまで戻したのです。後日、安倍総理に「あの発言が、過去のどの介入よりも効きました」と御礼を申し上げました。現在の円相場は11年当時とは逆の超円安ではありますが、投機が作った相場という点でよく似た状況だと思います。

誰もがおかしいと感じる「超円安」

――マーケットには「1ドル170円」との声があり、150円以上が新常態(ニューノーマル)と論ずる向きもあります。

山崎 つい2年半前の22年の正月の円相場は110円台で、当時この水準が「円高過ぎ」という声は聞かれなかった。

今、もっと円安が進むという論者の根拠は、日本の生産性が低く、競争力がないので、貿易収支は構造的に赤字が続く、デジタル収支の赤字拡大がその象徴だというものです。その指摘自体はその通りだし、日本の国際競争力強化のための取り組みが急務であることは間違いありません。とはいえ、そのことと、だから170円に向けてもっと円安になるという主張には論理の飛躍があります。

2011年、75円まで円高が進んだときも決して日本企業の国際競争力が高かったわけではなく、当時の日経平均は7000円台でした。今の貿易収支が赤字なのは、日本の官民挙げた黒字減らし対策の結果であって、貿易収支は赤字でも、経常収支が黒字を維持している限り、問題はないのです。国際競争力の高い企業を擁する米国でさえ大幅な貿易赤字を抱えたままです。参考値に過ぎないとはいえ、購買力平価でみれば、適正レートは90円。誰もがおかしいと感じるレートは、過去の経験から見ても長続きするとは思いません。

――歴史的な円安にどう対処しますか。

山崎 超円安は長続きしないと思いますが、100円を割るような超円高に戻ることは考えにくい。すなわち製造業の戦略的な日本回帰を促し、過去の円高局面で起きた産業の空洞化を逆転させる絶好のチャンスなのです。企業の経営判断のみに委ねるのでなく、重要産業のサプライチェーンの再構築という国家戦略に基づき、外国企業の日本誘致も含めた日本産業再興計画を立てるべきです。

さらに、世界に誇る日本ブランド(コメなど農畜水産品、日本酒、ポップカルチャーなど)を官民挙げて世界に売り込み、また、日本を世界の金融センターにするうえでも円安は強い味方です。コメと金融センターの組み合わせでいえば、6月に大阪堂島取引所にコメ先物取引の認可が下りました。コメの将来価格の動向を把握することで、需要に応じた生産の推進や価格の安定に寄与できるだけでなく、日本の先物市場のさらなる発展を通じて、主要産品の価格決定で世界をリードすることも可能です。そうなれば世界の投資資金が日本に集まるようになるでしょう。

政府には大胆な規制緩和、税制上の措置など円安を成長戦略に活かす政策の一段の強化が求められます。

(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

   

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