「ガザ地区」―世界で最も不条理な現場から/日野原由佳・元NGO・国連現地職員

号外速報(11月21日 15:00)

2023年12月号 POLITICS [号外速報]
by 日野原由佳(元NGO・国連現地職員)

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ガザ北部のシファ病院から救出され、南部ラファにある病院のベッドで眠る赤ちゃん(日本ユニセフ協会のHPより)

日々悪化するパレスチナ自治区・ガザ地区の現状――。

2023年10月単独月で7分に1人の割合で子どもは死亡し、亡くなった子どもの数はロシアによるウクライナ侵攻の最初の1年間に亡くなった子どもの数の十倍以上に上る。それは世界で最も不条理な現場であるかもしれない。封鎖されたガザ地区やレバノンやシリアに点在するパレスチナ難民キャンプの現場で人道支援に従事してきた筆者が、ガザ地区の内情や最新状況の報告・分析をする。

砂漠が多い田舎「ガザ南部」に避難する人々

(写真は壊滅的な空爆により多くの子どもたちが犠牲になっていると訴える認定NPO「パレスチナ子どものキャンペーン」のHPより)

まず、ガザ地区最大の都市であり、北部に位置するガザ市はガザ全住民の3割が居住し住宅や商店が密集した地である。イスラエルからガザ地区に入域して、車でおよそ15分程度でたどり着く距離にある。政府機関や設備やベッド数が多い大病院をはじめ、国際機関や国際支援団体の事務所も集まる場所である。ガザ市の地中海沿いには外交官や援助関係者など外国人が宿泊できるホテルもいくつか存在していた。

しかしながら、イスラエル軍の度重なる通告により、ガザ地区の人々はガザ南部に避難を余儀なくされている。南部の大きい都市ハンユニス市は砂漠地域が多く、ガザ全人口の20%が住み、ガザ市の中心地から車で30分程度の距離にあるのどかな田舎町で、農地や更地が多い。ガザ市の人々が南部に避難したとしても避難場所や住宅数も少ないだけでなく、ガザ市に集中している行政機能が麻痺してしまうことは明らかである。また、更地が多い場所ではインフラも整っていない。

イスラエル兵が検問所で全て没収も

ガザ南部の学校に避難した子どもたち(「パレスチナ子どものキャンペーン」のHPより)

ガザ地区で長期に渡って人道支援をしている認定NPO法人パレスチナ子どものキャンペーンのエルサレム事務所代表である手島正之氏によると、ガザにいる現地スタッフとの連絡も取れない日々もあり安否を確認することですら困難な状況であるという。加えて、ガザ地区のインフラはほぼ機能不全の状況にある。そのため、北部在住の人々は南部へ移動を試みるも、燃料がないため徒歩で移動する。衣服や寝るためのマットレスを持ってきても、途中でイスラエル兵が検問所を設置していて全て没収されることもあり、着の身着のまま避難するしかない状況にある。

高齢で動けない人々は避難せず、激しい空爆の中で過ごしている人々もいる。南部の避難所に到着しても人であふれ、住宅地周辺の路上でマットレスを敷いて過ごす家族も多い。燃料がないことから、暖や食事を取ることもままならない。人々が燃料代わりに薪を使用する影響で、薪の市場価格が上がっているだけでなく、道端にある枝葉や燃えやすいゴミなども買わなければいけない対象になっているほど物資不足が深刻である。

呼吸器系の感染症が既に流行

手島氏によるとガザの人々の一番の懸念は感染症であり、排せつ物を流す水もないことから、呼吸器系の感染症が既に流行り出しており、一部では発疹が出ている人々が路上にあふれているという。医療施設も打撃を受けていることから、家族や避難先でともに過ごす人々が一度感染症にかかることで脆弱性がさらに高まってしまう。

国連人道問題調整所は11月1週目の時点でガザ地区の7つの水道施設が直撃を受け、大きな被害を受けていると報告している。 その中には、ガザ市の3つの下水パイプライン、ガザ北部と南部の2つの貯水池と南部の2つの井戸が含まれる。ガザ市では、下水が氾濫する危険が迫っていると警告があったばかりだ。これからの季節はガザを含めて中東は雨が降る季節を迎える。既にガザ地区では雨も降り始めていることから、ガザ地区での状態が長期化することで人々が直面する人道危機は取返しのつかない状況になってしまうだろう。

さらに、温暖な地域とはいえガザの冬は厳しい。筆者の滞在時も昼間はセーターやジャケットを着て夜は毛布がないと凍える寒さであった。

手島氏は現在起こっているこれらの現場の状況を受けて「ここまで人間が叩きのめされていいのか、という何とも言い表せない感情」であると語っていた。

国際政治の駆け引きとなり、その犠牲となるのは何ら罪のない市民である。目の前で起こる惨劇に対して悲しみや怒りという声をぶつける場所もなく、「天井のない監獄」であるガザの中で逃げる場所のない彼らの心の傷を思うと、かける言葉も見つからない。

権利や尊厳が75年間も奪われている

イスラエル・パレスチナはイスラエル建国当初(あるいは聖書の時代)から国際政治の要所となっている。これを裏返せば、国際政治に翻弄されればされるほど、そこには民主主義や民意、世論といった市民の声が反映されることのない不条理な現実がある。

米国の前トランプ政権が、2017年12月にエルサレムをイスラエルの首都と認め、イスラエルにある米国大使館をテルアビブからエルサレムへ移転することを表明した時には、パレスチナをはじめアラブ諸国や国際社会は声を挙げ、パレスチナ各地で多くの抗議活動が行われた。ガザ地区での抗議活動も大きくなり、当時現地に駐在していた筆者は限定的ではあるがガザ地区に入域して支援活動ができなくなる経験をした。

米国の意思決定という遠い国の出来事がパレスチナでは自分事として日々生活に降りかかってくることで、支援の無力さも感じることとなった。加えて、パレスチナ自治区は占領下という特殊な統治形態の下で、権利や尊厳が75年間も日常的に奪われているのを忘れてはならない。

日本や民主主義国には当たり前のようにある選挙によって政治を変える、民意や世論を政治へ届けるというプロセスが存在しないのである。したがって、国際社会の連帯こそが、ガザ地区の人々の声を国際社会へ届けている側面もある。

どんな苦境にあっても助け合う常識

常に死と隣り合わせの状況にいながらも、手持ちの限られた貯蓄を切り崩して困っている家族に分け与えて「私の周りにはお金や毛布、冬服すらない人々もいる。自分はこれくらいしかできない」と話すガザの人々もいる。

国連の現地スタッフの中には、実際に物資を受け取りに行けない人々のために、現場にいる若者を集めて物資配布の指揮を執る人々がいる。それぞれ家族や子どももいる中で、食糧がない、インフラも壊滅的、爆撃によって死がいつ訪れてもおかしくない極限の状況下で与えられた命に使命感をもって懸命に生きる人々がいる。

どんな不条理や苦境にあっても、助け合う常識が根付いている。それは奇しくも過去の度重なるガザ危機によって培われてきたのかもしれない。

かつてのガザの同僚たちは日本の人々がガザの人々のことを思ってくれるだけで、ありがたいと語っていたことを思い返す。

彼らは住む場所は違えど同じ人間であり、流れる血の色はみな同じである。一刻も早いイスラエル・ハマス双方の即時停戦を強く望む。

著者プロフィール
日野原由佳

日野原由佳(ひのはら ゆか)

元NGO・国連現地職員

1988年群馬県出身。2011年ウェールズ大学スウォンジー校(英国)卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。
2016年NGO・パレスチナ事務所、2018年NGO・レバノン事務所、2019年国際移住機関・ケニア事務所、2020年、国際移住機関・エチオピア事務所において人道・復興支援に携わる。
2021年松下政経塾入塾(42期)。研究テーマ「多様性や包摂性を尊重した共生社会の実現」。米国政治学会フェローとして米国連邦議会下院外交委員会で外交政策業務に従事。

   

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