インタビュー/三井住友銀行頭取 福留 朗裕氏(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

すべては現場から! 製造業の矜持に学ぶ

2023年5月号 BUSINESS [リーダーに聞く!]

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1963年岐阜市出身。一橋大経済卒。85年三井銀行(現三井住友銀行)入行。ロンドン、香港、上海、ニューヨーク、トロント駐在計16年を経て2015年常務執行役員・名古屋法人営業本部長。18年トヨタ自動車常務役員。21年に銀行に戻り専務執行役員。4月より現職。

――高島誠頭取から後継指名を受けた時、頭が真っ白になったそうですね。

福留 私は34歳から50歳まで海外勤務し、都合19年に亘り国際市場と対峙するトレジャリー業務の現場にいましたから、本部中枢の企画や人事の経験がありません。「私で大丈夫ですか」と聞き返した記憶があります。頭取から「うちは現場の強さが自慢だが、今のままでいいのか。その見直しとテコ入れには、現場で体を張ってきた君のほうがいいんだよ」と、ポンと背中を押してくださいました。

「ロングストーリーの序章」を警戒

――ロンドン、香港、上海、NY、トロントの海外駐在16年で得たものは?

福留 最初の赴任地・香港には6年間いました。1997年の赴任間もなくアジア通貨危機に遭遇し、香港市場では8%近傍だった翌日物金利が一瞬300%を超える場面を経験しました。経験といっても末席から一部始終を見ていただけですが、あの時の体験が後で非常に役立ちました。

約10年後、5年間のNY勤務の半ばの2008年に「100年に一度の金融危機」と言われたリーマンショックに襲われました。タイムズスクエア近くのリーマン本社前の路上に駐車する黒塗りの車が日々増え続け、遂には大通りを警察が封鎖します。徒歩通勤で毎日そこを通りかかる私は、ただならぬ事態を肌で感じていました。

我々もその嵐の近くにいたのですが、いま思い返しても感心する程うまく乗り切れました。私自身も現場での緊急時対応の醍醐味を感じるようになっており、毎朝、鏡に向かって「自分は乱世に強い」と言い聞かせてオフィスに向かったものです。

香港での経験が貴重だったのは、世界が大混乱に陥ったリーマンショックとは比較になりませんが、私には、その有り様が同質の金融パニックに見えたからです。当時の若い部下たちには、次の10年後のために、この相場をしっかり見ておくようにと、よく言ったものです。

計16年の海外勤務を振り返ると、香港からトロントまで多様な国々で言語、宗教、文化、考え方が異なる現地スタッフと一緒に危機を乗り切る経験を積ませてもらいながら、「人と働く、人を率いる」うえで大切な、文化や商慣習を超えた万国共有の普遍的な価値観のようなものが、自分なりに見えてきた気がします。それが、今の私にとって最大の財産だと思っています。

――万国共有の普遍的な価値観とは?

福留 三つあります。まず当然のこととしてフェアであること。次に説明責任を果たすこと。外国人は自己主張が強いからなおさらです。そしてコミットメント、要は責任を持って結果を約束する姿勢を示すことです。しかし、それ以上に大切なことは、その国にすごく興味を持ち、その国を愛し、部下への思いやりを示すことです。

私は海外勤務で3度のリストラの役目を負いました。苦楽を共にして金融危機を乗り切ったチームの仲間を解雇しなければならなかった。最後の別れの際に握手をしようと差し出した手を振り払われたこともありました。心が傷つきトラウマになったものです。

――シリコンバレー銀行(SVB)の破綻と欧州に波及したクレディ・スイスの救済合併劇を、どうご覧になりますか。

福留 SVBとクレディの事態は早晩、収束すると見ています。世界的な金融危機の再発を防ぐため「ボルカールール」や「バーゼルⅢ」の枠組みができ、各国金融当局の連携が高度化し、セーフティネットはかつてないレベルになっていますから悲観していません。とはいえ、金利が上がり、債券価格が下がり、銀行保有の債券に含み損が急拡大し、預金流出が加速し、あっという間にあれほど大きな銀行が倒れるとはびっくりしました。我々が見ていないところからポコンと、何かが飛び出すリスクは常にあり得る。パリバショックの1年1カ月後にリーマン危機が起こったように、今回の事態がロングストーリーの序章にならないよう、とにかくフルアラートです。

――2018年から3年間、トヨタの販売金融事業本部長兼トヨタファイナンシャルサービス(TFS)社長を務めました。

福留 豊田章男社長が「自動車産業は100年に一度の危機にある。金融部門にしがらみのない人を外から入れたい」と仰って、初めて銀行から本社の常務役員に招かれました。

世界150カ国に拠点を持ち180カ国に年間1千万台ものクルマを販売する巨大企業を根底から変えるために、章男社長が日々たいへん悩みながら心血を注ぐ姿をつぶさに見てきました。

楽しくて仕方なかったトヨタ時代

――どんな論議がありましたか。

福留 ほぼ毎週開かれる当時は15人ほどの幹部会に出席させていただきました。章男社長がどのような変革のメッセージを発し、社内に浸透させていくのか、本当に勉強になりました。熱意というか覚悟というか、社長は腹を括っているのです。

――印象に残る章男社長の言葉は?

福留 ごまんとあります。社長の発言は全部ノートに書きとっていましたから。とにかく言葉のセンスが抜群なんです。斜め45度より高い角度から、我々が気付かない言葉やアイデアが飛んできます。四六時中会社のことを、とことん考えている人でないと、こんな即答や返しはできないと感嘆していました。しかも、トヨタ勤務の3年間に社長から「儲けろ」とか「収益を上げろ」とか1度も聞いたことがないのです。

要するに社長の思いは全社を挙げて「安全」と「品質」に注力し、如何によいクルマをつくるか、この一点なんです。銀行員にはなかなか分からない日本のモノづくりの凄み、製造業の矜持を学ばせてもらいました。一にも二にも「安全と品質」にこだわるトヨタの現場がかくも強く、かくも桁外れの高収益なのか。それこそオペレーショナルエクセレンスの極みの研究材料であり、毎日が楽しくて仕方なかったです。

章男社長から入社1年目はTFSの海外40拠点全てを訪ね、現地の工場や販売店を含め腹落ちするまでよく見て来るように命じられました。現地を歩き現場と語り合う中から新たなアイデアが生まれ、サブスクリプションサービスの「KINTO」や決済アプリ「TOYOTA WALLET」を立ち上げることができました。新頭取としての私のスローガンは「すべては現場から」。現場の一次情報こそ宝の山と信じています。トヨタの現場、現物、現実重視はSMBCの現場力と通ずるものがあります。

(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

   

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