インタビュー/元財務官 山﨑 達雄 氏(聞き手/編集長 宮嶋巌)

「岸田インフレ」は的外れ 「円安」活かした成長戦略を

2022年8月号 BUSINESS [エキスパートに聞く!]

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1957年生まれ。東大法卒。大蔵省(現財務省)入省。金融庁参事官、財務官などを歴任。2015年退官後、国際医療福祉大学特任教授、SBI大学院教授などで国際金融情勢を研究。財務省為替市場課長当時(2003~04年)過去最大の35兆円の円売り介入実務を担当。

――6月に続きFRBは政策金利の大幅引き上げを続ける姿勢を見せています。

山﨑 日米金利差の拡大に焦点を当てた投機的円売りの動きが見られました。IMF(国際通貨基金)の分析手法に照らすと、130円台のドル円相場が日本経済の実力からかけ離れているとは思いません。ただ、投機的思惑で短期間に相場が急激に変動するのは問題です。今後、FRBの利上げで日米金利差は拡大するでしょうが、だからといって一方的に円安が進行するとは限りません。投機筋は将来の日米金利差がどう変化するかを見ており、米の景気後退懸念が強まり、将来の利上げ見通しが後退すれば、円が買い戻されることもあるでしょう。

あえて名付けるなら「WPインフレ」

――生活必需品の物価高が消費者を苦しめ、野党は「岸田インフレ」批判を強めていますが、どうご覧になりますか。

山﨑 あえて名付けるなら「WPインフレ」――。即ち二つのP(パンデミックとプーチン)によるモノ、サービス、労働の需給バランスの崩壊がもたらした現象です。円安はインフレの一要因に過ぎません。ドル高の米国の方が歴史的なインフレになっているのですから。

――では、日銀のみが金融緩和政策を維持していることが円安の原因だとする「黒田円安」批判はどうでしょうか。

山﨑 確かに日銀がFRBと歩調を合わせて利上げをしていれば、ここまでの円安にはならなかったかもしれません。しかし、日本が利上げをしても、海外要因で起きている今回のインフレは避けられません。それどころか、米国と違って個人消費が弱く、賃金上昇も見られない日本で急激な利上げを行えば、コロナ禍の苦境から脱していない中小企業の経営は窮地に陥り、企業倒産、失業が増大し、不況とインフレの二重苦が弱い立場の人々を苦しめることになったのではないでしょうか。

もし日銀がイールドカーブコントロール(YCC)を実施せず、ドイツのように国債金利が2%上昇していたら、景気は一気に冷え、そのうえ日本政府の金利負担を最終的に年20兆円増加させる計算になります。とはいえ、金融緩和を維持しつつも、国際金融環境の激変に対応できるよう、YCCも含めた金融緩和の具体的手法についてはタイムリーに見直す必要があると思います。 

――山﨑さんは財務省時代の2003~04年にかけて35兆円規模の空前の円高阻止介入(円売り介入)を担当された。かつての「円高はマイナス」が「円安は悪」に劇的に変わったのはなぜですか。

山﨑 円高、円安にはそれぞれメリット、デメリットがあります。また、内閣府やOECDの経済モデルは、総合すると円安はGDPにプラスだと示唆しています。今の「悪い円安」論は、特に消費者、中小企業目線に立って、現下の経済環境では、円安のデメリットのほうがメリットより大きいと言っているのだと思います。その理由のひとつは、1985年のプラザ合意以降、長期的円高傾向と通商摩擦回避の対策として、政府も企業も生産拠点の海外移転や海外直接投資を進めたことです。これにより日本の貿易黒字は逓減し、日本企業にとっての円安のメリットが大きく減少したことがあります。

――資源高と円安により5月の貿易赤字は2兆3800億円に及びました。貿易赤字の定着こそ、最も懸念すべき事態(日本国の衰退に直結)ではないですか。

山﨑 貿易黒字は今お話ししたような長年の政策努力の結果として減少したのです。エネルギー価格の高騰などの理由で輸入が増加すれば貿易赤字に転落するのは避けられないことで、それ自体を過度に悲観する必要はないと思います。というのも、これまでのところ、海外に移転した工場、海外の投資先企業が稼いだ収益や外国証券の利子配当などの所得収支の黒字が貿易収支の赤字を上回り、合計した経常収支は黒字基調で推移しているからです。しかし、経済のグローバリゼーションが逆回転し始めた今日、エネルギーと食糧という、国民生活の基幹物資の安定的確保は緊急の課題です。自給率引き上げ、安全性を強化した原子力発電の活用も含め、あらゆる対策を検討・実施していくことが必要だと思います。

――欧米主要国の一斉金融引き締めにより世界の景気はどうなりますか。

山﨑 過去の経験に照らせば、高インフレを早期に抑え込むには、一時的な景気後退を覚悟のうえで大幅な利上げを前倒しで行うのが効果的で、その後の景気回復も早いと思われます。問題は中央銀行の勇断を政治指導者がサポートするかでしょう。

「円安介入」の準備はできている

――円安がさらに進んだ場合、これを反転させる速効性のある対策はありますか。円買いドル売りの為替介入は、米欧の理解が得られないとの見方もあります。

山﨑 投機的動きによる過度な為替変動を抑制するためには、強いメッセージを出したうえで、為替介入を行うという方法が今でも有効だと思います。「必要な場合は適切に対応する」という鈴木財務大臣のご発言を聞く限り、いつでも介入ができる準備が整っているのだと思います。ただし、それは経済の実力からさほどかけ離れていない為替の水準を是正することを目的とするのではなく、投機的な動きを封じることを目的とすべきです。

――プーチンの戦争の長期化で、「円安定着」を覚悟すべき状況ではないですか。

山﨑 経済の実力に見合った円安が日本経済にとって悪いとは思いません。パンデミック前から、円高の修正や新興国の労働コスト上昇を背景に、一部企業に海外の生産拠点を日本に戻す動きが見られました。円安が定着しつつある今こそ、この動きを本格化し、製造業の戦略的日本回帰を目指すべきです。円高下で起きた産業の空洞化、国内雇用・投資の喪失を逆転させる好機です。ただ、むやみに生産拠点を国内回帰して通商摩擦を再燃させるのは得策でありません。経済安全保障、デジタル革命・グリーン革命、再教育人材活用などの戦略的観点から、サプライチェーン再構築、デジタル田園都市への回帰などを目指すべきです。

さらに、世界に誇る日本ブランド(ポップカルチャー、農産品・食品、観光地など)を官民挙げて売り込むうえでも、また、日本を世界の金融センターにするうえでも、円安は強い追い風です。政府には大胆な規制緩和、税制上の措置など円安を成長戦略に活かす逆転の発想が求められます。

――参院選は与党が大勝しました。

山﨑 「岸田インフレ」なる無理筋のレッテル貼り、「消費税引き下げ」なる負担先送りの政策は、将来的な生活不安の解消を求めている多くの有権者の心に響かなかったのではないでしょうか。民主党が政権を担っていた当時の責任ある政策を、その後継政党にもう一度期待するのは無理なのでしょうか。(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

   

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