連載コラム:「某月風紋」

2022年3月号 連載 [コラム:「某月風紋」]

  • はてなブックマークに追加

東日本大震災・原子力災害伝承館の展示風景(HPより)

啓蟄(3月5日)を過ぎれば、「東日本大震災忌」は近い。巨大地震と津波、福島第1原子力発電所(1F)のメルトダウンが襲ってから11年が経つ。英語の「decade」は10年。「generation」は、ある時代に生まれた人々の総称である(『Oxford Dictionary』)。10年を超えた記憶は「世代」に受け継がれるであろうか。

福島県は1月27日から、新型コロナの「まん延防止」適用地域に指定された。県が主催する「追悼復興祈念式」は今年、県内居住者に限定して開催する。

東京と福島(浜通り)を往復する仕事をしている筆者は地元に戻ると、職場から「PCR」か「抗原検査」結果が陰性でない限り勤務を許されない。メルトダウン後の風評被害によって、浜通りは「忌みの町」となったが、いまは、東京がそれである。

1Fが立地する双葉町は、発災以来「帰宅困難区域」として全町避難が続いている唯一の町であることを、日本列島の誰が知っているだろうか。故郷を追われた約5600人の町民が、他の市町村に暮らしている。

全町避難が6月にも解除される見通しになったことから、1月20日に「準備宿泊」が行われ、10年10カ月ぶりに自宅で一夜を過ごしたのは4世帯5人。宿泊対象者は町民の6割以上を占めていたのに――。年月は故郷との距離を遠いものにした。

「記憶」を「記録」として固定することによって、震災地は世代を超えていこうとしている。

双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」には、第2原子力発電所(2F)が、外部電源とつながっていたケーブルの一部が展示されている。このケーブルがなかったら、2Fも1Fのようなメルトダウンを起こしたであろうことを、住民は知っている。その時、列島はどのような惨状に見舞われただろうか。想像するだに恐怖が襲ってくる。東日本大震災の「記録」を綴る手を止めてはならない。

(河舟遊)

   

  • はてなブックマークに追加