本誌独占!/1F事故の「事実と教訓」/初公開、瞠目の東電「研修施設」

号外速報(2月2日 18:30)

2021年3月号 DEEP
by 田部康喜(東日本国際大学客員教授)

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研修施設「3.11事実と教訓」の表札

第44回日本アカデミー賞の授賞式は3月19日に開催される。優秀作品賞を受賞している4作品のなかから、最優秀賞が選ばれる。ノンフィクション作家の門田隆将氏の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』を原作とする『Fukushima50(フクシマフィフティ)』もノミネートされている。

2011年3月11日の東日本大震災による巨大津波に襲われて、「レベル7」のメルトダウンを起こした福島第1原子力発電所(1F)にとどまって事故と闘った、吉田所長をはじめとする約70人の群像ドラマである。

原作の文庫版(16年)の解説のなかで、社会学者の開沼博氏は、次のように記している。

「東電の語る『ことの真相』を安易に利用することなど許されない。それは加害者に言い訳を語らせることであり事故を矮小化することに他ならないのだ、と。そうなったのは、東電への懲罰意識が強く存在したからだ……問題なのは、その渦中、ど真ん中にいた者たちの記憶・記録に基づいた語りが世に残されるプロセスが途絶えた時期があったということだ。これは課題抽出、教訓の継承を不可能にする一大事だ」

「自分達は、なぜ生かされているのか」

日本の電力10社体制の原型となる、東京電力は1951年5月に設立されてから、まさに「還暦」の年に「1F」の大規模事故によって、その歴史は途切れた。国の資本が注入された東電はいま、半世紀かかる1Fの廃炉という重い十字架を背負って歩んでいる。

この10年の間、東電の3万人に近い社員たちは、記憶と記録に基づいた語りを完全に封印したのだろうか。東電の歴史は途切れたままで、放置されてきたのだろうか――。

「3.11事実と教訓」のエントランス

JR川崎駅から車で15分ほど、横浜市鶴見区江ヶ崎町に東電の「3.11事実と教訓」の社員研修施設はある。東電の歴史的な発電機などを保存している「電気の史料館」に隣接したビルの1階に、2020年10月にできた。

「3.11事実と教訓」とスモークガラスに白地の横書きのドアを押してなかに入ると、長い廊下に出る。右側の壁に貼られた、寄せ書きや写真の数々が、研修施設の性格を物語る。

最初に目に入るのは、紺碧の海に浮かぶ、美しい帆船の写真である。独立行政法人航海訓練所の練習船「海王丸」。大震災直後の3月下旬に小名浜港に着岸し、被災者や原発関係者に食事や入浴サービスを行った。

その隣には、「海王丸」の僚船「日本丸」の乗船員からの寄せ書き。「TOMORROW」の赤字が中央にすわって、その周りに書き込みがびっしりとなされている。「将来に向かって頑張れ」、「ぜったいファイト」……。

千葉県の中学生からのメッセージは、大事故直後の七夕の時期に合わせて、竹笹に短冊の貼り絵になっている。「あなたたちは日本のほこりです」、「遠く離れていても皆の安全を願います。東電ファイト!」……。

「絶対安全である……。そんなことは絶対に無い」。社員が記した行動宣言

応援メッセージの色彩のモザイクが途切れると、研修施設の入り口に向かって、「行動宣言」と題された、名刺よりひとまわり大きな紙に書かれたモノトーンの文章がびっしりと壁と覆っている。「3.11 事実と教訓」の研修施設で学んだ社員たちが、これから自分ができる「行動宣言」をしたのである。

「絶対安全である……。そんなことは絶対に無い。福島の事故を風化させること…それは安全意識が薄れたことである。これからも忘れることなく安全に努める」(東京の設備担当部門)

「自分が経験したこと、感じたことを未来に伝承し、福島事故を風化させない。原子力安全を追求し、責任を果たします」(1Fの運転担当)

「主語は福島。自分達はこれだけのことをして、なぜ生かされているのか、いつも考え、行動する」(柏﨑刈羽原子力発電所の保全担当)

「1F事故のデータベースができないか」

テーマ別、2番目の展示は「事故の総括」

「3.11 事実と教訓」の施設が入っているビルの入り口で挨拶をかわした所長の小池明男さん(57)は、廊下を先導しながらも、終始無言である。東電に対する「懲罰意識」に直面した社員たちに支援のメッセージがあったことを喧伝するわけでも、研修結果として社員たちが考えた東電の「安全文化」の行動宣言の数々に胸を張ることもない。

小池さんの肩書は、社長直属の「安全推進室」の安全啓発・創造センター「3.11事実と教訓」所長である。研修所のプロジェクターを操作しながら、この施設に至る前史と、施設の中心テーマである「企業文化」を再構築する試みについて、熱っぽく語る小池さんの話にしばらく耳を傾けることにしたい。

小池さんは東京大学法学部卒、1987年入社である。主に電気料金の算定などを担当する、企画畑を歩んできた。電力会社の企画部門は、経営の全体を把握するエリート集団である。1Fのメルトダウン事故の当時の会長だった、勝俣恒久氏の系譜に連なる。

企画部門が栄光の道を歩いた時代はすでに遠のいた。2017年に東電史上最年少でホールディングス取締役代表執行役社長に就任した小早川智明氏は88年入社、東京工業大学卒の理系で営業畑を歩んできた。小池さんの後輩ということになる。

原発事故直後の2012年に小池さんは古巣の企画部門に戻ってきた。

津波対策の不備を赤裸々に示す展示

「何が起きたのか。なぜ、起きたのか。どうして防げなかったのかという思いから動き出しただけです」と語る小池さんが、まず始めたのは事故に関する資料を集めることだった。

国会の事故調査委員会の調査報告書や、民間の調査報告書など、さまざまな事故原因と事故までの経緯に関する報告書が出されていた。被災した自治体もそれぞれが報告書を出していた。

小池さんが最も重点を置いたひとつが、社員の「記憶と記録」だった。1Fの関係社員の証言も記録しておかなければ風化する、という危機感だった。支社や営業所は事故の経験をそれぞれ冊子にまとめていた。「1Fの事故に関するデータベースができないか」という発想である。

避難者の帰還を振り返る展示

「車座」の議論による独特の研修

現在の研修施設が入ったビルの上層階に、1Fの事故に関する社内外から集めた様々なデータや図表をまとめた試作パネルを作ることから活動は始まった。17年秋のころのことである。わずかな予算の中、「電気の史料館」のスタッフの協力を仰ぎ、パネル50枚にまとめた。

小池さんは「風化するとはなにか」を論理的に定義した。

「加害企業の責任があります。社員という人が加わって、風化を防ぐにはその定義がいります。理想的な人間と現実の人間とのギャップこそ、風化ではないかと考えたのです。そのギャップを埋めるには、新たな企業文化を創らなければなりません」

小池さんにエリート臭さはない。眼鏡の奥の落ち着いた表情からは大学教授といった雰囲気である。企画畑のエリートが、原発事故の原因と企業文化の再構築を図るために活動することは、社内に少なからず波紋を投じたはずである。小池さんのような人物が存在し、それを許す企業風土は、原発事故という瀬戸際で辛くも残ったようだ。

2018年夏の東電の経営会議において、小早川社長をはじめ各役員は、小池さんが起案した「3.11の事実と教訓を学ぶ社員研修」を承認した。18年7月から20年9月まで、約3万人の社員が研修を受けた。一巡したことを受けて、第2段階に向けて、新たに作られたのが現在の施設である。

「車座」の議論中心の研修スタイル

研修の方法は独特である。3時間コースで、そのうち2時間は小池さんをはじめとする講師の話を聞くと同時に展示物によって学習する。残りの1時間は、10人ほどがチームとなって「車座」の議論をして、最後に自分の「行動計画」をまとめる。延べ2400回もの研修が行われてきた。その規模において例をみないのではないか。

なお、現下の新型コロナウイルスの状況での研修は中断していたが、2月からオンラインによる研修に切り替え再開している。

新施設は、約700平方メートルの広さのなかに、10のテーマによるゾーンと16の「車座」などに使われる部屋がある。

「終わりなき安全追求」を誓う小池明男所長

展示物の情報量が当初の10倍になったという。原発事故の「記憶と記録」のデータベースとしては圧巻といえるのではないだろうか。政府や自治体の事故の経緯に関する記録、被災者に対する補償に関する記録、原発事故後の避難区域の拡大の時系列の整理……そして、なにより1Fの関係者ばかりではなく、東電の社員たちの「それぞれの原発事故」を語るビデオクリップの膨大なデータベースである。保存されているデータは、簡易な検索によって引き出すことが可能になっている。

社外には非公開の「膨大なデータ」

展示コーナーを巡る最初の映像装置は、1Fが建設される記録映画を流している。

太平洋にそそり立った海抜約30メートル台地が約10メートルまで削られていく。もとの高さならメルトダウンは起こらなかった。原発の製造元である、ジェネラル・エレクトリック(GE)と交渉のテーブルに着く東電の幹部たち。製造物責任の問題は契約でどのように処理されたのか、筆者の知りたいところだ。

福島第二原子力発電所(2F)も危機に陥ったが、送電網を失わずにメルトダウンを免れた。2Fの事故対応もパネルにまとめられ、1Fと何が違っていたのか、時系列や現地写真などを通じてわかるようになっている。危機管理の優れた教材である。

展示物はあくまでも社員研修用であるが、そこにはあくまでも客観的なデータに基づいて、原発事故の事実と教訓を学ぶという姿勢に貫かれている。博物館でいえば「キューレーター」である、小池さんの強い意思を感じる。

「築くべき安全文化」のコーナーでは、原発事故について、安全文化の劣化がもたらした「組織事故」である、と結論づけている。展示パネルには、00年代に東電の原子力部門でトラブル隠しやデータの改ざんなどの不正が行われたことも取り上げている。

「3・11事実と教訓」が収集した原発事故に関する膨大なデータは、社外には非公開である。社員たちの「記憶と記録」に、もし、研究者やノンフィクションライターのアプローチが可能になれば、新たな真実が明らかになりそうである。

1号機と2号機前の高台から望む。福島第一廃炉推進カンパニーの小野明プレジデント(左から2人目)と筆者(右端)

大災害や事故が起きると、その直後には闘った英雄譚が紡ぎ出される。復旧と復興の兆しが見えないなかで、人々は口をつぐむ。そして、頭を上げて、前に進みだすときが訪れる。原発事故からまもなく10年、懲罰意識の壁が崩れるのを待たなければならないのだろうか。

著者プロフィール

田部康喜(たべ・こうき)

東日本国際大学客員教授

東日本国際大学客員教授。福島県会津若松市出身。東北大学法学部卒、朝日新聞論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長。研究者としてのテーマは1F事故後の周辺地域における起業と観光政策、農業振興など。

   

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