「新冷戦」時代のJOC会長
2020年1月号 連載 [編集後記]
山下泰裕JOC会長
「政治うんぬんという以前に我々日本のスポーツ界に力がなかったのです。スポーツの力、スポーツの価値というものを、日本を動かしている方々にしっかり伝える、その力がなかったと思いました。この辛い、悲しい思いはこれからの選手には味わってほしくない」
(山下泰裕・日本オリンピック委員会会長、2019年11月27日、日本記者クラブの記者会見で)
山下氏は、自身が最も脂の乗った時期であった1980年のモスクワ五輪出場を、アメリカ主導の政治ボイコットに日本が同調したことで逃した。ソ連のアフガニスタン侵攻に対し、カーター大統領が決断を下し、西側諸国に不参加を呼びかけ、悲劇は起きた。
西ヨーロッパの国々は西ドイツを除き参加したが、日本は中国やイスラム諸国とともに参加しなかった。不参加を決めたのは、山下氏がいま会長を務める日本オリンピック委員会の総会だった。
次の84年のロサンゼルス五輪で山下氏は、金メダルの栄誉に輝いた。ソ連や東ドイツといった東側諸国の強豪がいない中での勝利だった。アメリカのグレナダ侵攻を理由にソ連が政治ボイコットを呼びかけ、ルーマニアを除く多くの社会主義国が参加を見送った。
山下氏は、これだけ大きくなったオリンピックが、政治とかけ離れて存在していくことは極めて難しいと思う、と話す。そう踏まえたうえで、国および国民にスポーツの価値を発信するのだという。
五輪をめぐってはロサンゼルス後しばらく、巨額放映権料の話や金権まみれの招致合戦など、行き過ぎた商業主義の問題が語られることが多かったが、東西両陣営は昨今、「新冷戦」と呼ばれるほど再び政治的緊張を増しつつある。
「平和でよりよい世界の実現に貢献」を理念とする五輪。身をもって政治の軋轢の虚しさを知る山下氏の登板は時を得ている。