落語界に京大閥の☆イノベーター「笑福亭たま」

沸き返るたまの落語会は、「上方の爆笑王」と呼ばれた落語家、桂枝雀(故人)を彷彿とさせる。

2020年1月号 LIFE
by 伊藤裕章(ジャーナリスト)

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伝統とは革新の連続!

写真/大和田博一

「古くさくて難しくてハードルが高い」といわれた落語が、新しいファンを幅広く獲得しつつある。生の落語を楽しむ若い人たちが増え、首都圏の落語会は「10年前の2倍の月1千件前後」(『東京かわら版』)という。このムーブメントの背景には、落語自体のイノベーションがある。なかでも「最もパワフルな若手イノベーター」といわれるのが上方落語の笑福亭たま(44)だ。京都大学経済学部卒という異色の経歴で、変わった高座名は、実家が大阪でビリヤード店を営んでいたからという。

10月29日の「たま深川独演会」で文化庁芸術祭に参加したが、1時間超はかかる上方の大ネタ『らくだ』と『地獄八景』を、「換骨奪胎して再構築し」(たま)いずれもわずか二十数分で演じた。満員の客席は爆笑の渦に包まれた。大トリも『立ち切れ』という大ネタ。普通の寄席なら、一席ずつしか聴けない噺を三つも盛り込んだ。

たまは、『芝浜』や『鰍沢』といった江戸落語の大ネタのイノベーションにも挑戦している。『鰍沢』は、心中未遂の後、山里に隠れ住んでいたおいらんが、旅人に見つかり、口封じのために殺しにかかるという重苦しい噺だ。かつて林家彦六(故人、8代目林家正蔵)が話し始めると、客席は静まりかえって傾聴したものだ。

ところが、たまの手にかかると、スピード感あふれるスリリングなアドベンチャー落語になり、客は爆笑につぐ爆笑となる。林家彦六から名前を継いだ林家正蔵(林家こぶ平改め)も、たまの『鰍沢』を聴いたときには「あんなのいいの?」といいつつ、噴き出したという。

師匠は「笑福亭福笑」

沸き返るたまの落語会は、「上方の爆笑王」と呼ばれた落語家、桂枝雀(故人)を彷彿とさせる。枝雀も偉大なる落語イノベーターだったが、その手法は異なる。古典落語の復活に努めた桂米朝の一番弟子らしく、古典落語の噺の枠組みは継承しつつ、ときに過剰ともいえる演出で、登場人物をより面白く描きだすことで爆笑落語に仕立て上げた。

これに対したまは、落語の構造を「つかみ」「本編」などに分解。「本編」を際立たせるために枝葉を捨て去り、時には創作もつけ加え、「噺の面白さをさらに面白くする」ことで爆笑噺に仕立てる。ただ「落語の文法を守りつつ再構築することで伝承は守る」(たま)。

たとえば『壺算』。客が「3円で買った壺を6円の壺に買い換えたい。壺を3円で引き取り、先に払った3円と合わせると6円だ」と6円の壺を持ち帰ろうとする。笑いのポイントは番頭が困るところ。枝雀は困っている様子を面白くみせることに腐心したが、たまは、困った番頭の前に、さらに同じような要求をする客を登場させ、番頭の困惑に拍車をかける。

こういう手法をたまは「師匠の笑福亭福笑に学んだ」という。福笑は先代笑福亭松鶴の三番弟子で、枝雀とは10歳違い。若い頃から大胆なイノベーションに取り組んだが、枝雀ほど広範な支持は得られなかった。だが、当時から熱狂的なコアなファンに支持されてきた。横浜にぎわい座での独演会は12年目に入ったが、毎回ほぼ満員だ。「福笑に時代が追いついてきた」とたま。「三遊亭円丈が手塚治虫で、六代桂文枝が藤子不二雄なら、福笑は浦沢直樹(手塚治虫大賞を2度受賞)。知る人ぞ知る有名人です」という。

たまは「あこがれの人間国宝」「伝説の組長」など、創作落語にも意欲的に取り組み、小咄を進化させた「ショート落語」も創作する。マクラでは「絶対に他言したりSNSに流したりしないように」といいつつ、師匠連や兄弟子の失敗談などを暴露して客をつかみ、ショート落語で盛り上げ、爆笑落語で沸かせる。

「既存の台本と演出で演じる『本寸法』をありがたがる傾向があるが、それはなんの工夫もできない落語家のいいわけでしかない」「伝統とは革新の連続。芸術祭がめざす『企画性に富み、意欲的な内容』の落語こそ伝承、伝統芸能には重要」。文化庁芸術祭の「参加の意図」にこう記した。たまが果敢にイノベーションに取り組む背景には、こうした思いがある。

「上方では、私の入門時にイノベーションは起き始めていたし、東京はもっと進んでいた」という。確かに新作では春風亭昇太や柳家喬太郎、古典では柳家三三や春風亭一之輔など、彼らの新しい工夫は以前から評価されている。落語自体のイノベーションは生の落語会で新しい顧客を開拓し、ライブの実力・人気とメディアの露出とは別物になってきている。

たまは東京・深川江戸資料館と大阪・繁昌亭、神戸・喜楽館の関西の二つの定席で毎月、名古屋では年4回、独演会を開いている。メディアへの露出は少なくても、独演会には毎回多くのファンが詰めかける。師匠と同様、「『たま落語を聴きたい』という客が集まってくれればいい」と噺のイノベーションにこだわったからだ。受賞歴も豊富だ。2004年の大阪府舞台芸術新人賞に始まり、16年上方落語若手噺家グランプリ優勝、18年国立演芸場花形演芸大賞まで、主なもので10の受賞歴が並ぶ。

東西で京大出身が4人

京大出身の噺家は彼が初。それまで特に興味はなかったが、3回生で落語研究会に入部。ライブで福笑の『時うどん』を見て腹がよじれるほど笑い、「こんな面白いものがあるのか」と、はまり込んだ。1998年の卒業と同時に入門した。

「父はビリヤードに夢中になり、脱サラして商売にしてしまった」人で、噺家に弟子入りするについても反対はなかったという。「金儲けより、好きなものに打ち込みたいという思いは同じやったんでしょう」

ただ、彼の活躍が意外な波紋を呼ぶ。07年に桂福丸(師匠は桂福団治、法学部)、10年に入船亭遊京(同入船亭扇遊、二ツ目、農学部)、18年に春風亭いっ休(同春風亭一之輔、前座、理学部)と、京大の後輩が次々噺家の世界に飛び込んだのだ。

遊京、いっ休は落研の後輩でもあるが「なんの相談もなかった」とか。しかし、たまの活躍が、背中を押したのは間違いない。いまや東西で4人。京大出身のノーベル賞受賞者数よりは少ないが、ちょっとした派閥くらいにはなりそうだ。

彼らもイノベーションに加わることで、落語の世界はどう変わるのか。目が離せない。

著者プロフィール

伊藤裕章

ジャーナリスト

   

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