日本衰退の元凶「新自由主義」

なぜ、日本経済は成長しなくなったのか。答えは簡単である。政府が「デフレ下におけるインフレ対策」という愚行を続けてきたからだ。

2019年10月号 POLITICS [特別寄稿]
by 中野剛志氏(評論家)

  • はてなブックマークに追加

まず、図1をご覧いただきたい。

これは、1995年から2015年までの20年間の経済成長率(名目GDP=国内総生産の変化率)の各国比較である。日本だけが経済成長を止めているのが、一目瞭然だ。しかも、日本は20年に及ぶデフレであり、このような長期のデフレは、世界にも類を見ない。第2次世界大戦後、「奇跡」と呼ばれた経済成長を成し遂げた国が、90年代半ばを境として、突然、このような無残なパフォーマンスしか出せなくなった。なぜ、こうなってしまったのか――。

しばしば、「日本は成熟社会だから、もう経済成長は望めない」だの「少子高齢化社会だから、経済成長はできない」だのと、したり顔で語る人がいる。しかし、欧米の成熟した先進諸国と比較しても、日本だけが突出して成長していない。さらに言えば、90年代半ばを境に、日本だけが、突然、折れたかのように、成長が止まっている(図2)。これほど極端な現象は、社会の成熟、産業構造の変化、あるいは人口動態といった構造的な要因では、説明できない。

「大きな政府」がデフレ対策の第一歩

よほど間違った経済政策を長期にわたって続けない限り、このような形で成長できなくなるはずがない。結論を先に言えば、日本経済が成長しなくなったのは、日本政府の経済運営の誤りのせいなのだ。

そもそも、マクロ経済には、インフレとデフレの二つの状態がある。

インフレとは、需要が供給より多い状態が続くため、物価が継続的に上昇していく状態である。一言で言えば「好況」ということだ(なお、ここでは、不作による食糧価格の高騰や、地政学リスクによる輸入品価格の高騰など、コストプッシュ型のインフレは除いている。ここで議論するのは、あくまで需要過剰によるインフレである)。

デフレとは、言うまでもなく、インフレとは正反対の現象である。つまり、需要不足、供給過剰の状態が続くために、物価が継続的に下落していくことである。需要不足ということは、要するにモノが売れない「不況」だということだ。したがって、政府の経済運営は、デフレ(不況)を回避し、インフレ(好況)を維持することを目指すこととなる。

もっとも、需要過剰のインフレが行き過ぎれば、バブルを発生させたり、物価の高騰によって国民生活を破壊したりするなどの弊害が生じるので、それは回避しなければならない。こうしたことから、政府の経済運営は、バブルを警戒しつつ「適度な」インフレを維持するのが望ましいということとなる。では、デフレを回避しつつ、過度なインフレも防ぎながら、経済を運営するには、どのような経済政策が必要となるのであろうか。まずは、インフレ対策から、みていこう。

(Ⅰ)インフレ対策

インフレとは、「需要過剰/供給不足」の状態である。したがって、インフレを止めるためには、需要を減らし、供給を増やす必要がある。需要を減らすには、政府はまず、政府自身が「需要」、すなわち「消費」と「投資」を減らす必要がある。要するに、財政支出を削減して、「小さな政府」にするということだ。また、政府は、民間の消費や投資を減らすこともできる。民間の支出に対して課税をすればよい。例えば、消費税を増税すれば、人々は消費を減らさざるを得なくなるだろう。

財政支出の削減と増税とは、「財政健全化」のことであり、需要を抑制する政策である。

需要の抑制以外にも、インフレを止める方法はある。インフレは供給不足の状態であるから、供給力を増やせば、インフレを抑止できる。つまり、企業の生産性を向上させ、競争力を強化すればよいのである。そのために有効な政策は、市場における企業の競争を活発にすることだ。

具体的には、規制緩和や自由化によって、より多くの企業が競争に参加できるようにする。また、国の事業は民営化し、市場での競争にさらすと、より効率化し、生産性が向上するので、供給の増加が期待できる。

この規制緩和、自由化、民営化をグローバルに行えば、競争はさらに激化し、企業の競争力は強化され、生産性のいっそうの向上が期待できよう。国境の壁を低くし、ヒト・モノ・カネの国際的な移動をより自由にする「グローバル化」が進めば、インフレを抑止できるのだ。

(Ⅱ)デフレ対策

他方、デフレとは「需要不足/供給過剰」の状態であり、インフレの反対の現象である。つまり、需要を促進し、供給を抑制することこそが、デフレ対策である。そのためには、まずは、政府が率先して、政府自身の消費や投資といった需要を増やさなければならない。例えば、社会保障費や公共投資を拡大するなどして、財政支出を拡大する。要するに「大きな政府」にするということだ。

また、政府は、民間の消費や投資の増大を促進する必要がある。そのためには、消費税の減税や投資減税が有効であることは言うまでもない。財政支出を拡大して、減税を行うということは、財政赤字を拡大させるということだ。財政健全化は需要を抑制するインフレ対策にほかならず、その反対の財政赤字の拡大は需要を拡大するデフレ対策になるのである。

デフレは、供給過剰の状態であるから、供給を抑制することも、デフレ対策として効果的である。つまり、デフレの時に、企業の生産性が向上すると、供給過剰がさらにひどくなってしまう。デフレの時には、企業の生産性は向上させない方がよいのである。したがって、企業間の競争は、むしろ抑制気味である方が好ましい。

具体的には、規制緩和や自由化、民営化はしない方がよい。むしろ規制は強化し、事業は保護して、多くの企業が市場に参入できないようにして、競争を抑えるべきである。企業はお互いに競争するよりもむしろ、協調すべきであろう。ということは、ヒト・モノ・カネの国際的な移動を自由にするグローバル化も、デフレの時には止めた方がよいことになる。国境の壁で国内市場を保護する「保護主義」は、供給を抑制するので、デフレ対策になるのである。

「橋本構造改革」が愚行の始まり

実際に(Ⅰ)のようなインフレ対策が実施された事例がある。70年代から80年代にかけての先進国である。

特に、マーガレット・サッチャー政権時のイギリスや、ロナルド・レーガン政権時のアメリカは、規制緩和、自由化、民営化、グローバル化を推し進め、「小さな政府」を目指す改革を行った。この改革のイデオロギーとなったのが、いわゆる「市場原理主義」あるいは「新自由主義」である。

当時のイギリスやアメリカが新自由主義的な改革を実施したのは、当時の英米がインフレに悩んでいたからだ。

反対に(Ⅱ)のデフレ対策が実施された事例もある。最も有名なのは、1930年代のフランクリン・ルーズヴェルト政権が実施したニュー・ディール政策である。公共投資など政府支出を拡大させただけではなく、産業統制や価格規制の強化や労働者の保護も行い、まさに、需要拡大と供給抑制を実施したのである。その理由は言うまでもなく、当時のアメリカが、世界恐慌という大デフレ不況に襲われていたからだ。

以上のインフレ対策とデフレ対策を整理すると、上の表のようになる。この表から明らかなように、インフレ対策とデフレ対策とでは、内容が正反対となる。

この正反対の対策は、次のようにも言い換えられる。インフレ対策とは、政府が「需要抑制/供給促進」政策によって、人為的にデフレを引き起こすこと。反対に、デフレ対策とは、政府が「需要拡大/供給抑制」政策によって、人為的にインフレを引き起こすことである、と。

さて、「日本は、なぜ90年代半ばから、経済停滞が続いているのであろうか」という冒頭の設問に対する答えは、何か。賢明な読者は、もうお分かりになったであろう。90年代初頭、バブルが崩壊し、不況に突入した。それを受けて、日本では、さまざまな構造改革が進められてきた。

とりわけ、96年に成立した橋本龍太郎政権は、行財政改革、経済構造改革、金融システム改革などの「構造改革」を掲げ、それを実行してきた。具体的には、公共投資をはじめとする財政支出の削減、消費増税、「小さな政府」を目指した行政改革、規制緩和、自由化、民営化、そしてグローバル化の促進である。

この「構造改革」は、2000年代前半になると、小泉純一郎政権によって加速された。09年から3年間、政権を担った民主党も基本的に同じ路線である。その後を継いだ安倍晋三政権は「アベノミクス」の3本の矢として、金融緩和、機動的な財政政策そして成長戦略を掲げたが、成長戦略は、基本的に「構造改革」路線である。また、財政政策も、当初は積極的な財政出動を行ったが、次第に財政支出を抑制するようになり、消費税については、税率を5%から8%に引き上げ、さらに10%にしようとしている。

しかし、既に述べたように、財政支出の削減、消費増税、「小さな政府」、規制緩和、自由化、民営化、グローバル化は、いずれも(Ⅰ)のインフレ対策なのである。

90年代初頭に起きたバブルの崩壊とは、資産価格の暴落であるから、その後は、デフレになるのを警戒しなければならなかった。すなわち(Ⅱ)のデフレ対策を断行すべきだったのである。ところが橋本政権は、愚かにも「構造改革」と称するインフレ対策を断行した。その当然の結果として、日本経済はデフレに陥った。それに拍車をかけるように、小泉政権は「構造改革」というインフレ対策を続け、その後の政権も基本的にその路線を踏襲して、現在に至った。

この一連の「構造改革」の手本となったのは、80年代の英サッチャー政権や米レーガン政権の新自由主義的な改革であった。しかし、重要なので繰り返すが、当時の英米は「インフレ」に悩んでいたのである。だから「インフレを退治するために、人為的にデフレを引き起こす政策」として、「小さな政府」、規制緩和、自由化、民営化そしてグローバル化を推進したのだ。

ところが、日本は、デフレであるにもかかわらず、英米の「インフレ退治のためにデフレを人為的に引き起こす政策」を手本にした「構造改革」を進めてきた。しかも、それを20年間も続けてきたのである。

なぜ日本経済は、成長しなくなったのか。

答えは簡単である。それは、政府が「デフレ下におけるインフレ対策」という愚行を続けてきたからだ。お陰でデフレが長期化し、経済成長もしなくなった。当然の結果であり、何も不思議なことはない。

「構造改革」と正反対のことをやれ

では、日本経済の停滞を打破し、デフレから脱却するためには、どうしたらよいか。

答えは簡単だ。要するに、インフレ対策である「構造改革」とは正反対のことをやればよいのだ。すなわち、先の表の右側の政策である。

改めて言うと、デフレとは、「需要不足/供給過剰」の状態であるから、需要を拡大し、供給を抑制する政策がデフレ対策となる。需要を拡大するための政策とは、財政支出の拡大、「大きな政府」、減税である。供給を抑制するための政策とは、規制の強化、企業間の協調(競争の抑制)、産業の保護、労働者の保護、グローバル化の抑制(保護主義)である。

もっと乱暴に言えば、こうなる。「政府は大きくしろ」「公務員を増やし、給料を上げろ」「財政赤字は拡大した方がよい」「生産性が向上しないように、産業や労働者を保護して競争を抑制しろ」「グローバル化には背を向けて、保護主義に走れ」――。

これが日本経済の停滞を打破するための政策だと聞いたら、誰でも「何という暴論か!」と、眉をひそめるであろう。

確かに「暴論」である。インフレ(需要過剰/供給不足)の時には、その通りだ。しかし、デフレ(需要不足/供給過剰)の時には、これが「正論」となるのである。

インフレとデフレとは、正反対の現象であり、原因も正反対である。だから、対策も正反対となる。インフレ時の「正論」が、デフレ時には「暴論」になる。ということは、インフレ時の「暴論」こそが、デフレ時の「正論」なのだ。ところが、このように経済環境の違いに合わせた発想の逆転が、日本人にはできなかった。それが、日本の長期停滞を招いたのである。

なぜ、日本は、インフレとデフレで発想を逆転させることができなかったのか。理由の一つに、先の大戦から50年間、日本のみならず世界がデフレを経験しなかったことがある。過去の世界恐慌(デフレ)の経験を踏まえ、ケインズ主義的な経済運営が主流となり、積極財政が行われるようになったから、デフレが起きにくくなった。その代わりに戦後の経済運営で問題になったのは、高インフレだった。その典型が1970年代の欧米である。

一方、日本は終戦直後、未曾有のインフレに苦しんだ。空襲による生産能力の破壊(供給不足)に加え、戦後復興、復員軍人への給与、発注済みの軍需品に対する支払いや損失補償により財政支出が膨張(需要過剰)したためである。かかる経緯ゆえ、戦後の世界では、経済対策と言えば、もっぱらインフレ対策となり、デフレ対策は忘れ去られた。80年代以降、経済学者たちは、インフレ対策ばかりを提案するようになった。その処方箋が、英サッチャー政権や米レーガン政権の新自由主義である。

病膏肓に入る「新自由主義」固執

『奇跡の経済教室』〈基礎知識編〉に続く、 最新刊の〈戦略編〉が話題に

こうした中、90年代初頭にバブルが崩壊して不況になると、政策担当者や経済学者は「処方箋」を求めて、英米の新自由主義に飛びついた。英米を復活させた魔法の杖に見えたからである。だが、それは、デフレ時には逆効果となる「インフレ対策の処方箋」だった。これは、低血圧で危険な時に、血圧を下げる薬を飲むに等しい愚行である。しかも、その後20年間にわたり、デフレが続いているにもかかわらず、構造改革という名のインフレ対策を打ち続けた。 昨今では、依然としてデフレが続いているのにインフレを懸念して、積極財政を唱えるMMT(現代貨幣理論)を目の敵にする始末――。病膏肓(こうこう)に入る感がある。

もっとも、ここまで説明してもなお、ビジネスマンの読者には、このデフレ時の「正論」(インフレ時の「暴論」)は、どうしても受け入れがたいであろう。その気持ちはよく分かる。生産性の向上や国際競争力の強化こそが、企業の「正論」だからだ。

しかし、その「正論」が「暴論」になってしまうのが、デフレの恐ろしさなのである。それほど、デフレとは絶対に避けなければならない異常な状態ということだ。

したがって、まずは、日本経済をインフレという正常な状態に戻さなければならない。インフレになれば、財政健全化や生産性の向上が「正論」となるだろう。

インフレとデフレで経済政策を逆転させられず、頑なに新自由主義に固執する硬直性。これこそが、日本経済衰退の最大の原因である。

著者プロフィール
中野剛志氏

中野剛志氏(なかのたけし)

評論家

1971年生まれ。東大教養学部卒。通商産業(現経済産業)省に入り、英エディンバラ大学大学院で博士号取得。近著『奇跡の経済教室』〈基礎知識編〉〈戦略編〉の2冊が話題に。

   

  • はてなブックマークに追加