末路哀れな変節漢「細野豪志」

不義理を己の弁舌で覆い隠そうとする弱さ。皆、「噓つき」「裏切り者」とののしり離れていった。

2019年3月号 POLITICS

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自民党は本当に受け入れるのか?

Photo:Jiji Press

野党第1党の要職を歴任した細野豪志元環境相(47)の自民党二階派入りが波紋を広げている。二大政党制を志向し、その一翼を担う政党の綱領までまとめた政治家が変節した裏には何があったか。陽の当たる道を歩き続けた「プリンス」の苦悩と限界が透けて見える。

平成最後の大みそかを数日後に控えた深夜。静岡市内の閑静な住宅街に、コート姿で1人たたずむ細野氏の姿があった。しばらくするとやってきたのは1台の車。自民党岸田派の事務総長を務める望月義夫氏(静岡4区選出)だ。「そろそろお帰りになるころと思ってました。ご迷惑をおかけしています」。丁重な姿勢で近づく細野氏に、望月氏はつれなかった。「あんたのことは好きでも嫌いでもない。だけど、あんたが自民党に入るから『はい、分かりました』とはいかないんだよ」

「嫉妬の海」に沈んだ?

細野氏の地元、静岡5区では岸田派の元職、吉川赳氏が活動を続ける。2017年衆院選では、細野氏らが東京都の小池百合子知事らと立ち上げた希望の党の候補として細野氏の元秘書を望月氏の対抗馬にぶつけた。異例のアポ無し訪問は自民党入りを狙う細野氏なりの「誠意」の証しである。ただ、こうした行動こそが細野氏の政治家としての底の浅さでもある。その説明をする前に、まずは彼の経歴をおさらいしよう。

長く表舞台にいた。衆院当選は7回。00年衆院選に旧静岡7区で当時の民主党から落下傘候補として出馬し、28歳の若さで初当選した。180センチを超す長身に加え、ルックスもよく、弁も立つ。若手のホープとして頭角を現した。

時の有力者からもかわいがられた。政権交代時の党幹事長、小沢一郎氏からは、業界団体や地方自治体などからの陳情の窓口を任せられた。菅直人政権では東日本大震災の原発事故担当相を、野田佳彦政権では、環境相や党政調会長を歴任した。民主党が下野した後は、海江田万里代表の下で幹事長に就任。民主党は「既得権や癒着の構造と闘う改革政党」とした党綱領を自ら書き上げた。

14年には自らの党内派閥である「自誓会」を結成。17年には月刊誌に独自の改憲私案を示した。その後、民進党を離党。同年には小池氏と連携して、希望の党を立ち上げ、政権奪取を目指した。あくなき権力欲に加え、メディアへの露出を意識する政治家に変わっていった。かつての細野氏側近は語る。「政権のうまみを知ってからでしょうね、変わったのは」

一方で、歩みは裏切りと対立の連続だった。小沢氏が自らの政治資金問題で力を失うと、敵対する仙谷由人氏や前原誠司氏らのグループとのパイプを強めた。岡田克也氏と争った15年の民主党代表選では、積極的に野党再編を仕掛ける自身の動きを岡田氏に暴露され、しこりを残した。自らを引き上げた菅、野田両氏に関しては、民進党から希望の党への移籍手続きの際に排除を公言。野田氏から「先に離党していった人の股をくぐる気は全くない」と痛烈な批判を受けた。

不義理を己の弁舌で覆い隠そうとするところに細野氏の弱さがある。思えば、人気美人キャスター、山本モナ氏との「路チュー」を写真週刊誌で報じられた06年もそうだった。すべての党役職を辞任し、選挙区で妻とともにお詫び行脚を重ねた。一方で、周囲には「心の底では『俺は間違っていない』と開き直っている」とうそぶいてもいた。面従腹背の姿勢を至るところで繰り返し、しだいに信を失った。冒頭に紹介した望月氏もそうした空気を感じ取ったに違いない。

静岡県知事選に転身か

細野氏に近づいた人は皆、判で押したように「噓つき」「裏切り者」とののしり離れていく。「憲法改正に積極的な野党勢力の一部をしっかり抱き込んでから皆で一緒に行動するといっていたのに、勝手に一人で出て行った」。民主党から希望の党まで行動をともにした笠浩史氏の解説だ。「目立つ分、上からのやっかみがひどかった」。自誓会で行動をともにした議員の1人は思いやる。細野氏側に立ってみれば、永田町の「嫉妬の海」に沈んだともいえる。

さて、そんな細野氏を自民党は本当に受け入れるのか。

「ゼロから勉強して仲間になれるよう頑張りたい」。1月31日。細野氏は国会近くの砂防会館であった二階派の定例会合であいさつし、特別会員として派閥に加わった。会合後、記者団には「二階先生といろんな話をする中で、私が考えていることを実現できるのではと考えるようになった」と語った。

二階派はこれまでも「来るもの拒まず」の姿勢で、党内の他派閥や無所属議員を取り込み、勢力を拡大してきた。「ポスト安倍」をにらみ、勢力を保持しておきたい二階俊博幹事長と、細野氏の思惑は一致する。

ただ、他の派閥は別だ。岸田派は望月氏を筆頭に大反対。岸田氏は「何も話を聞いてない」と不快感を示す。細田派の萩生田光一幹事長代行はインターネット番組で「野党幹部として自民党政治を批判してきた。自分の振るまいが間違っていたならば、国民に知らしめるべきだ」と指摘。「説明なしにうろうろされるのは迷惑だ」とも強調した。将来の自民党入党に関しても「簡単に入れるほど、やわではない」とけん制した。

安倍晋三首相に近い萩生田氏のこうした発言は、首相の意向を受けたものとして伝わっている。そもそも二階氏の拡張路線に眉を潜める議員も多い。細野氏の二階派入りは、同派だけでなく、党全体の求心力低下を招くリスクをはらむ。

細野氏は静岡5区以外での活動を否定し、同区を離れる時は政治家を辞めると言明する。二階氏の意向次第だが、現実はそんなに甘くない。選対幹部の1人は「東北や北信越への国替えも一つの選択肢だ」と語る。ゆくゆくは21年の静岡県知事選へ出馬し、地方政界に転身し、ほとぼりが冷めたところで自民党で中央政界に復帰する腹ではないかとの声もある。

失われた信頼は簡単には戻らない。至誠通天。細野氏には尊敬する人物として挙げる吉田松陰の言葉を贈りたい。もっとも自身のウェブサイトにはその記述はない。出てくるのは16年前の自著の中だけだ。そこにはもはや絶望的となった「夢」も記されている。「国民に未来を託される政治家になること」

   

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