日本原燃社長 増田 尚宏氏

頑健さと復元力求める究極のリーダーシップ

2019年3月号 BUSINESS [リーダーに聞く!]

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増田 尚宏 氏

増田 尚宏 氏(Naohiro Masuda)

日本原燃社長

1958年生まれ。横浜国大・大学院修士(電気工学)。82年東京電力入社。東日本大震災では、福島第二原発所長として未曾有の危機を克服。2014年福島第一廃炉推進カンパニー・プレジデント。18年4月東京電力ホールディングス副社長。同年10月日本原燃に移り、19年1月より現職。

――3・11から丸8年を迎えます。

増田 出力110万kWでフル稼働していた三つの原子炉が冷却機能を失った時、(当時2F=福島第二原発所長の)私も覚悟を決めた。余震と津波警報が出る中、4チーム各10人を海側の建屋に向かわせ、早期復旧の可能性を調べてもらい、翌朝までに冷却機能回復プランを作った。通常なら20人の作業員が重機を使って1カ月もかかるようなケーブル敷設を、わずか200人が手作業で9㎞もケーブルを引き、冷却機能を復旧した。13日深夜の現場に残った約400人の仲間への感謝は言葉にならない。凄いチームワークでした。東電を去った今も、あの時のみんなともう一度仕事がしたいと思います。

「伝える」ではなく「伝わる」大切さ

原子燃料サイクル施設の全景(青森県六ケ所村)

――六ケ所村で建設中の使用済み核燃料再処理工場の完成時期の延期は24回目となります(2021年度上期に延期)。

増田 昨年10月に青森に赴任し、現場を歩き回りました。まず感じたのは、現場との距離感です。社員が外に出る機会が少なく、協力会社任せにしている。デスクワークも大切だが、社員が現場に密着しなければ、リスクは低減しません。

もう一つは、当社は原発の設計や建設経験のある電力会社やメーカーからの出向者が主体となって事業を進めてきた経緯があり、その交代により技術の蓄積が難しいという課題を抱えてきました。今ではプロパー社員が88%に達しましたが、経営層は主要株主(10電力)の出身者が多く、プロパーの皆さんに期待事項がうまく伝わらず、右往左往させた面があると思います。プロパーの皆さんに私の思い、期待事項を明確に示すことが、一番大切なことではないかと考えています。

――増田新社長の「期待事項」とは?

増田 当社の事業を進める上で最も大切なことは「地域の皆さまとの信頼関係」と「安全最優先の姿勢」です。その上で社員の一人ひとりが広報マンとして「伝わる」コミュニケーションを実践して欲しいと思いますが、現状は当社と社外の人の会話はうまくいっていません。福島第一原発の廃炉・汚染水対策責任者を4年間務めた私は「伝える」ではなく「伝わる」ことの大切さを痛いほど学びました。社外から来た私が『通訳』となって、地元の皆さまの関心の高い話を分かりやすい言葉で伝え、逆に世の中の関心を社内に伝える役目を果たせたらと思います。

私に託された使命は、社員、グループ企業、協力会社の皆さんとともに、まずは各施設の新規制基準の審査に合格し、安全・確実に作業を進めることにあります。その責任を果たすには、社員一人ひとりが現場に足を運び、更なる技術力の向上に努め、「当たり前のことがきちんとできる」真のプロ集団になること。現状に満足せず、日々成長・改善していく職場風土を醸成しなければなりません。

――昨年、原子力委員会が「プルトニウム保有量を減らす」新指針を打ち出し、再処理工場が無事に完成しても、稼働率を低く抑えられる可能性があります。

増田 資源が乏しい我が国が原子力エネルギーを放棄することはあり得ない。当社は、日本のエネルギーの将来を担う存在であり、原子燃料サイクルを確立し、新たなエネルギーを生み出して、未来を切り拓く使命を果たすべく、その要となる再処理工場の竣工に全社を挙げて取り組んでいます。22年度上期にはMOX燃料工場を完成させ、それ以降30~40年にわたる操業へと駒を進めたい。その時の稼働率がどうなるかは、国のエネルギー政策の問題であり、次元の異なる話です。

憂きことのなおこの上に積もれ

「全電源喪失」を想定した防災訓練(1月29日)

――これまで日本原燃の社長は、現場から遠い事務系東電副社長の指定席でした。技術系の社長は珍しい。

増田  私はデスクワークに向かないから、困難な現場を抱える原燃に呼ばれたのではないか(笑)。天命と思いました。

――『ハーバード・ビジネス・レビュー』のケーススタディーに登場する日本人は孫正義さんと増田さんの2人だけです。

増田 昨夏も米国の原子力発電所に招かれ2日間に計8時間の講演をしてきました。海外で2Fの震災時対応を20回以上語る機会があり、「深層防護第4状態から冷温停止した世界で最初で最後の原発責任者」と紹介されたこともあります。

――原子力規制委員会の更田(豊志)委員長も、現場との距離感がとてもしっかりした、国際的評価が非常に高い現場指揮官と、記者会見で評していました。振り返って3・11の最大の教訓は?

増田 未曾有の緊急時には、誰も助けに来てくれない。必要な作業は、自分たちだけでやらなければならない。現場の頑健さ(Robustness)と復元力(Resilience)が成否を分ける。〈「絶対にパンクしない車を作って運転すること」が大事なのではなく、たとえ、パンクしても「スペアタイヤや取り換え工具をきちんと持っていて、自分で取り換えることのできるスキルを持つ」ことが大事。それで初めて、運転する免許を保有できる〉と訴え続けています。

――緊急時のリーダーシップとは?

増田 チームワークが大事。全体を見渡せるのはリーダーのみ。チームやメンバーを鼓舞する、全員に役割を与える、全ての責任はリーダーにある。全ての決断は目的達成のため。メンバーの身の安全を最大限考慮するが、最後は危険であっても納得してもらうことが大切です。指示は明解に具体的に伝える。報告に対し、「了解」「ありがとう」が大事。指示を仰がれたら、即座に応える。リーダーは席から離れない、普通にふるまう、常に笑顔で、大きな声で元気よく……。

――心に刻む言葉はありますか?

増田 憂きことの なおこの上に積もれかし 限りある身の 力ためさん

中学1年の担任の先生が教室の黒板の上に掲げた額にあった陽明学者・熊沢蕃(ばん)山(ざん)の和歌です。当時は意味が分からず、習った記憶もなく、先生があの額を掲げた理由も分かりません。しかし、いつの間にか自分の力を試すことが大切だと考えるようになった。私は凡人だから、なおこの上に積もれかしとは思わないが、蕃山の言葉がどれほど励みになったか。私が今あるのは、あの額のお陰かもしれません。(聞き手/本誌発行人 宮嶋巌)

   

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