英「合意なきEU離脱」に現実味

右派政権の伊、墺から個別貿易協定の誘い。これでメイ首相は内外で強く物が言える。

2018年9月号 GLOBAL
by ロレッタ・ナポリオーニ(テロ・ファイナンスを専門とする経済学者)

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オーストリアのクルツ首相(右)と会見する英メイ首相

Photo:AFP=Jiji

欧州連合(EU)からの離脱交渉で苦闘するテリーザ・メイ英首相は、ここのところ欧米のポピュリスト政権から思いがけない後押しを受けている。

7月半ばに訪英したドナルド・トランプ米大統領は「EUとは交渉しないで提訴しろ」と助言。イタリアの右派連立政権のマッテオ・サルビーニ副首相は、EUの態度は「客観性に欠け、誠意がみられない」と批判してメイ首相を側面支援した。

オーストリアのセバスチャン・クルツ首相はメイ首相に、9月末に予定されるザルツブルクEU首脳会議の非公式の首脳会談でBrexitを議論することを約束した。メイ首相がEU本部を通さず、直接各国首脳にアプローチできる場を提供するというわけだ。

EU内の「ほころび」に勝機

こうした支援により、英首相は7月初めに政権を襲った荒波を乗り越えることができた。メイ首相は7月12日、EUからの独立を重視する従来の「強硬離脱」路線を軌道修正し、EU との協調を優先した「穏健離脱」の包括的プランを政府の「白書」として公表した。

英国は製品や農産物などモノに限った貿易でEUの一部規制に引き続き拘束されることになり、強硬離脱の旗振り役だったボリス・ジョンソン外相とデービッド・デービスEU離脱担当相は不服として辞表を提出した。

一方で、興味深いことにEU のミシェル・バルニエ首席交渉担当官は、メイ首相が提示したこのEUと一体的な関税圏を確保する英EU自由貿易圏構想を全く逆の理由を挙げて拒否した。

メイ政権の延命は一時的なものかもしれず、首相は最終的に与党保守党内をまとめきれないかもしれない。だが、政権にとって、欧州のポピュリスト政権とEU本部の間にみられる不協和音は今後数カ月間、有利に働くことだろう。

欧州のポピュリストはロンドンとブリュッセルの交渉がきっかけとなって、欧州に新しい経済、政治の協調関係が生まれることを期待している。

EUが生まれるきっかけとなった戦後の体制ではなく、現在の力関係や必要性に即した新しいシステムを求めている。EU 官僚から権力を取り上げ、より個別の加盟国の独立性に配慮した統合体となることを求めている。つまり、彼らは自分たちの目的のためにBrexitを利用しようと考えているのだ。

このシナリオに沿うと、現在の英国は、2016年の国民投票でEU離脱派が勝利した頃ほど孤立していない。そのため、メイ首相は英国の条件をのませるためにEUに対してより強い立場で交渉できる。

また、EUからのノルウェー方式に則ってEUの単一市場にアクセスするべきだ、という圧力にも対抗できる。この方式に倣えば、英国は欧州経済領域の加盟国として残留することを余儀なくされる。

EU加盟国との個別の相互貿易協定の可能性が浮上したことで、当初は破滅的惨事とみられていた「合意なしの離脱」さえ、今はそれほど怖くはない。

もっとも、国内では「合意なしの離脱」の議論は依然タブーであり、与党保守党は、国民が突然パニックを起こし、来年3月末の離脱後に店からミルクが姿を消し、どこを探しても安全ピンが手に入らなくなるのではないかと心配し始めるのを警戒している。

マーク・カーニー英中銀総裁は8月3日、英国がEUと合意できないままEUから離脱するリスクは「現時点では不快なほどに高いと考えている」とBBCのインタビューに答えた。

カーニー総裁は合意なき離脱が現実のものになれば、消費者物価が上昇するとし、「合意なき離脱を回避するために、関係者はあらゆる措置を講じるべきだ」と述べた。ポンドは一時1.29ドルと11日ぶりの安値を付け、英国債の価格は上昇した。

「軍・官・民」みな有事想定

こうした中、英政府は交渉が不調に終わった場合の「合意なしの強硬離脱」にも対応できるよう着々と準備を整えている。

異例のシベリア寒気団による寒波が欧州を襲い、市民生活が混乱した今年の冬、英国軍は有事対応策をテストした。軍はマニュアルに従って、今も遠隔地の市町村への燃料、食料、医薬品の配送支援で待機している。「合意なしの離脱」を予想可能な自然災害に見立てて対応するのは悪くないアイデアだ。

スーパーは生活必需品が不足しないよう在庫を積み増すよう勧められている。国民健康保険のサービスの傘下にある病院は、寒波による危機が一年以上続く緊急対応策を策定し、EU域外から調達する薬やその他の医療関連用品の備蓄を増やすよう指示されている。数千人規模の新規スタッフが募集されているのは物流関連分野だ。動物や生鮮食品の輸出が滞らないよう、港や英仏海峡トンネルの入り口付近では通関をスムーズに行うためのテストが行われている。

強硬離脱となれば、税関は1日あたり推定1万台のトラックを検査しなくてはならない。入国、出国のために長蛇の列ができないように、新しい駐車場を建設する必要がある。

空港での検問の復活に備え、英内務省は、1300人規模の国境警備員を募集中だ。現在、EUあるいは英国のパスポートを持たない旅行者は最大3時間、列に並ばなくてはならない。

また、最大で25万社の中小企業がBrexitに備え税関申告を練習することになっている。すでに新しいITシステムが構築され、EU離脱後、EUからの農家補助金が停止された後にすぐに地方の地主に支払いができるようになっている。

EU側も英国の離脱に対する準備を始めなくてはならない。英国はEUに対し純輸入国であり、EUへの経済的貢献も大きい。英国は消費する食料の30%をEUから輸入しているため、無秩序なBrexitは英国への輸出に依存するEU諸国にもマイナスの影響をもたらす。Brexitの悪影響は、英国よりこうしたEU諸国の方がはるかに大きいとする見方もある。

もしEU官僚がBrexitを、EUの強化、改良の機会としてではなく、最初にEU離脱の決断を下した英国を懲らしめるチャンスと捉えているのなら、サルビーニ副首相やクルツ首相の行動は納得できる。自国をBrexitの混乱から守るため、やむを得ず英国を支援しているのだ。

著者プロフィール

ロレッタ・ナポリオーニ

テロ・ファイナンスを専門とする経済学者

近著に『イスラム国はよみがえる』『人質の経済学』

   

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