日本発「世界オンリーワン」ベビー・ブランドを目指して
2018年6月号
LIFE [リーダーに聞く!]
1945年滋賀県生まれ。関西大学経済学部を中退し、野村証券入社。実父が経営する婦人服メーカーを経て、71年子供服の製造・卸会社を創業(当時26歳)。世界に通用する高級ベビー・子供服ブランドを作り上げ、国内外380店舗を擁する。スポーツ支援でも名高いカリスマである。
――大阪の梅田阪急店、難波高島屋店など月商5千万円の大繁盛と伺いました。
木村 心斎橋大丸、銀座三越、銀座松屋と続く、インバウンド好調店の売上高は5年前の3~4倍に膨らみ、その7~8割は訪日外国人客のお買い上げです。当社は現在、14カ国44店舗を展開中、インバウンド需要を含め、海外販売が3割を超えています。創業50周年の2021年には、海外販売が5割を超えます。
僕の初心は「いいものを作る」。26歳でミキハウスを創業してからは、まさに目標、工夫、挑戦の繰り返し。少しもぶれることなくクオリティ重視を貫いてきました。「メイドインジャパンの素晴らしい商品とサービス」を、世界中に届けたい。いつか世界中のベビーや子供たちにミキハウスを着せたいという夢があったから、30年前にパリ海外1号店を開設し、上海万博(10年)にはアパレルでは唯一のブースを出しました。日本発「世界オンリーワン」ブランドを広げる思いが今、漸く本当に認められつつあると実感しています。
梅田阪急店。ソファに座ってゆっくり全商品をご覧いただけるのがマタニティの方にも好評だ
――インバウンド需要を含め、「ベビー」部門に力を入れていますね。
木村 「子供によいものを揃えたい」という肉親の思いは世界共通であり、とりわけ生まれたての赤ちゃんに対しては「安全・安心」は唯一の基準といっても過言ではありません。「よいものづくりと最高の品質」にこだわるミキハウスの活きる道はここだと思い、5年ほど前から、出産や育児に必要なベビーアイテムを網羅して展開する「ベビーサロン」を、国内の百貨店に提案し、今では52店(前期より13店増)に売り場ができました。
――高島屋グループとタイアップした「ハローベビーサロン」は、ベビー関連アイテムが何でも揃うと評判ですね。
木村 はい、新生児の売上だけで昨年比15%以上伸びています。また今春、銀座松屋のベビーサロンを2.5倍に拡張し、肌着やベビーウェアだけでなく、お風呂グッズ、家具・寝具、お出かけグッズまで揃うようになりました。幻のコットン「海島綿」を使用した贅沢な肌触りの肌着や高価な「マシュマロガーゼ」などが、インバウンド客によく売れます。とりわけ中国の百貨店では、こちらの定価の2.5倍で売っているから、お土産として人気があるのです。ミキハウスといえば、今も子供服メーカーのイメージが強いけれど、実はベビーアイテムの売上高が追い越しています。
――マタニティ&ベビーの接客スペシャリストの養成を始めたそうですね。
木村 マニュアル通りにいかない子育て経験を貴重な「キャリア」ととらえ、プラス1年間の座学と実習を経て「子育てキャリアアドバイザー(KCA)」に認定する制度を09年に発足させました。出産、育児を経験したOGに戻ってきてもらい、今では200名以上がKCAとして全国で活躍しています。当社のクオリティとはモノだけではなく、サービスもです。マタニティの方や、若いパパ・ママ、おじいちゃん・おばあちゃんが豊かな気持ちで選んでいただける売り場に、使い方をご説明し納得していただける商品知識と経験を持つスタッフを揃えて、お待ちしています。
4月入社の新人たちと。多様性が成長力の源泉に
――来年4月入社の新卒採用では、全体の5割を外国人にする計画ですね。
木村 外国人を増やさんと、どうもならんと覚悟を決めたのは3年前から(笑)。17年入社49名中11人、18年入社42名中11人が外国人です。彼らは例外なく英語はペラペラ、母国語と日本語も話します。彼らの共通言語は英語だから、本社(大阪府八尾市)の食堂にイングリッシュが飛び交うようになりました。
4月初めの新入社員研修でのできごとです。ホンネで話したいと切望する韓国人のAさん(東京芸大卒)に対し、なかなか物が言えない日本人女性たち。4日目の晩、涙を流しながらホンネを語り出した日本人に「なぜ、もっと早く話さないの」と憤慨するAさんに、イタリア人のB君が語りかけた。「ローマに行くのにも様々な考え方がある。飛行機でまっすぐ行くもよし、ミラノ、ベネツィア、フィレンツェを回って、いろいろ見聞きしてからローマに行くもよし。どちらが正しいというわけではない」と、それも流暢な日本語で(笑)。思うに外国人は自己表現が明確です。つい最近も新入社員(中国人、東大卒)のCさんに他社のブランドショップに連れて行かれて、「これとこれが中国で流行っています。早くミキハウスでも作ってください」とストレートに言われました。入社して1週間なのに生産性が高いわ(笑)。
――「なくなっては困るといわれる会社に」と、社員に説き続けていますね。
木村 僕は幼少期の小児麻痺が原因で、小学校の間ずっと車椅子生活、運動会や遠足に参加できませんでした。中学生になると、女の子にもてたいばっかりに(笑)、自転車で新聞配達のバイトを3年間続け、遂に走れるようになりました。その感動が自分の原点にあります。ミキハウスを創業して間もない頃、ミュージシャンの故・桑名正博さんから頼まれ、車いすバスケットを支援したことがあります。余裕のない時代だったから飲みにもいかず懸命に働きました。見かねた桑名さんが車いすにミキハウスのプレートを貼ろうとしてくれましたが断りました。これは会社の宣伝のためではなく、自分自身を奮い立たせるためだと。僕が寄付しなかったら彼らはゲームができなくなる。僕を必要としている人たちがいることが仕事の励みになり、それは僕にとってすごくカッコいいことでした(笑)。
英国ハロッズのスタッフと。現地でも日本発信のプレママセミナーを開催している
時代は大きく、ものすごいスピードで変わり、価値観もますます多様化しています。そのような中でショップに来て下さる世界中のお客様が、商品、スタッフ、売り場の全てに最高のクオリティを感じて頂けるように――。そして、誰からも「なくなっては困る」といわれるミキハウスになるように――。それが、僕の願いです。
(聞き手 本誌発行人 宮嶋巌)