編集後記「風蕭蕭」

2017年11月号 連載
by 知

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日本記者クラブでの党首討論会

「ポスト・トゥルースの時代は何をしゃべる、何を伝える、何を述べるかというより、どこから話しているのか、あるいは誰が話しているのか、これによって真偽が決まる。例えばあるネット上では、私がしゃべった途端にこれはダメとなる」(姜尚中(カンサンジユン)・東京理科大特命教授・10月11日、新聞通信調査会の講演)

ポスト・トゥルース。今の世は、この言葉通り、なにもかも「真実は後回し」だ。姜氏は「紙媒体の出番」と新聞に期待を寄せる一方、特定の人種が劣っていると固く信じる人に「いやそうではない」と議論を挑むと、アメリカのように暴力沙汰が起きる、と先日の人種差別をめぐる死亡事件を例として挙げ、今の時代はコミュニケーション自体が難しくなっていると懸念を示した。影響が出るのはやはりメディア業界だろう。

渾身の大スクープを飛ばしても、フェイスブックの「いいね」に代表されるように今の世の中は、良い、心地よい、受け入れられる、共感できるといった感性が真実性より優先されるので、食いついて読んでもらえるとは限らない。

一方、旧来型メディアは、新興ネットメディアに読者を奪われ、ソーシャル・ネットワーク・サービス内で、まったく真実性のない根拠でもって、叩かれることもしばしば。先日は、ネットでなく、日本記者クラブの記者会見場というリアルな場所で、朝日新聞の論説委員が「加計問題」をめぐり、総理大臣に真実でないことを基に口撃されるという出来事もあった。

フェイスブックが、フェイクニュースの絶好の活動拠点であったことは本誌既報の通り。ツイッターでも、およそ真実ではなさそうな言説が、平気で飛び交う。

本当に怖いのは、真実でないことを真実のように示され、知らず知らずのうちに刷り込まれること。今は個人がリテラシーを高め、耐性を備えるしかない。

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