ムダが多い「廃炉・除染」飯舘村に住み古里再生

田中 俊一 氏
原子力規制委員会委員長

2017年10月号 LIFE [インタビュー]

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田中 俊一

田中 俊一(たなか しゅんいち)

原子力規制委員会委員長

1945年福島市生まれ。会津高校、東北大原子核工学科卒。日本原子力研究所副理事長、原子力学会会長、原子力委員会委員長代理などを歴任。1F事故の翌月から飯舘村の除染を手伝い、福島県における除染活動の先頭に立つ。12年9月より現職(9月22日任期満了退任)。

――初の委員長就任から5年間を振り返って、何が一番たいへんでしたか。

田中 組織はできたけれど中身がなく、夢中で走らされた(笑)。米欧規制当局のトップは「新規制基準を1年弱で作成したのは神業だ」と、口々に仰いますね。

――PWR(加圧水型)に比べBWR(沸騰水型)の審査が長引いています。

田中 PWRは、先行する関電が躓いたら、九電が追い抜いていった。BWRは、先行するプラントがコケたら、後に続く事業者が尻込みした面がある。BWRは敷地内に活断層が走るなど立地条件が悪く、構造的にシビアアクシデント対策が難しいのは否めないが、4年に及ぶ審査の長期化は、本意ではありません。

――合議制の規制委員会において、委員長と4人の委員の職責の違いは?

田中 委員長は常に覚悟を持たないと――。最後はオレが腹をくくるから、皆さんは筋を曲げず、思うようにやってくださいと言ったことが、何度かあります。

――初めての勧告を文科大臣に出し、「もんじゅ」の廃炉を決定づけました。

田中 あれは想定外の一大事でした。もんじゅの保安検査を担当するチームから「不適切事例が後を絶たず、いくら指摘しても改善が見えない。何とかしてください」と、悲鳴に近い直訴を受けました。国が丸抱えの原子力研究開発機構の現場は責任感がなく、何をやっても潰れない民間的組織というのは間違いです。昔の半官半民の公団のようなもんだから。

双葉町でさえ線量が大幅に低下

――2年前に避難指示が解かれた楢葉町は2割強、昨年6月に解除された葛尾村は1割弱の住民しか帰還していません。

田中 事故から6年半が経った今も6万人弱が避難を続け、古里帰還が進まないのは、いくつかの理由があります。まず第一に、国が定めた避難指示の基準が曖昧なこと。年間積算線量が20mSvを下回った地域は解除するはずが、ズルズルと解除せず、避難を長引かせたからです。結果、今も立ち入りが制限される帰還困難区域が7市町村(対象人口約2.4万人)に広がっています。ところが、1Fが立地する双葉町でさえ線量が大幅に下がり、町の大部分が20mSv以下になっています。第二に帰りたくても働く場がないのです。生活必需品を売る店や診療所や小中学校が再開しても、仕事がなければ暮らしていけませんから。知恵を絞って、万単位の雇用を確保しなければ、老人はともかく若い世代は帰ってきません。第三に土建業者に頼った除染のやり方がまずかった。田畑や牧草地の表土をむやみに剥ぎ取ったため、耕作地は痩せ細り、そこに除染土壌を詰めたフレコンバッグが山積みですから、線量が下がっても、農業や牧畜を営む環境にないのです。

――原子力損害賠償・廃炉機構が溶け落ちた核燃料(デブリ)の回収方針を公表し、政府と東電は2021年中に取り出し作業を開始すると言っています。

田中 ロボットアームなどを使って耳かきで削り取るほどのサンプル採集はできるでしょうが、がれきと混ざった膨大なデブリを取り出せるわけがない。米TMI(スリーマイル島原発)は、事故から11年後に99%のデブリの回収に成功したが、1FはTMIと違って、デブリが圧力容器を突き破り、原子炉の底部に散らばっている。炉内は分からないことが多いのに線量が高いので調査技術さえ確立していない。政府は1Fの廃炉費用をTMIの約50~60倍の約8兆円と見積もっていますが、どうやってデブリを回収するのか。先が見える段階ではなく、計画倒れが目に見えています。

――1F構内に林立する約1千基のタンクに溜まった膨大な処理済み水を片付け、1~3号機の使用済み燃料をプールから取り出して、地上で保管することが急務なのに、東電はよそ見をしています。

田中 本来、デコミ(廃炉作業)とは泥臭いものであり、長い年月をかけて泥臭い作業をやり遂げるほかないのに、国が口を出しすぎるのです。未だに遮水効果が見えない凍土壁に、新技術の開発名目で国費がついたように、デブリの回収も予算獲得の手段であり、足元の1Fのリスク低減には役に立ちません。さらに、1F敷地内のタンク増設には限界があり、トリチウムを含む処理済み水は、法令基準以下に薄めて海洋放出するほか、科学的な解決法がないのに、東電は国側の結論が出ないことをいいことに、地元と向き合おうとしません。デコミには大量の水が必要であり、汚染水処理が進まなければ、やがて立ち往生します。

「中間貯蔵施設」は無用の長物

――フレコンバッグの除染土壌を運び込む中間貯蔵施設の建設が遅れています。用地取得も全体の3割の有り様です。

田中 福島県内で発生する除染土壌は最大2200万㎥、東京ドームの約18倍だそうです。約11万5千カ所の仮置場に積み上がった2千万個ものフレコンバッグを搬入し、その一つ一つを可燃物と土壌に分け、減容化して保管する計画です。セシウムは粘土質に固着するため、ほとんど人体への危険はありません。各自治体が管理処分場を設けて埋設すればよいのです。大型ダンプで1日千回以上、何年間もピストン輸送するなんて不合理だから。この除染と中間貯蔵にかかる総額は5・6兆円と見積もられており、お金の無駄遣いと言うほかない。地元自治体が除染土壌を埋めた敷地は記念公園か運動場にでもして、節約できた莫大な費用を、各自治体に基金として配ってくれたら復興が進むと思います。

――退任後は古里に帰るのですか。

田中 事故後に飯舘村の菅野さん(典雄村長)のもとで復興のお手伝いをしていた縁があり、いま村で住まいを探しています。来春、村の小中学校が再開するので、何か役に立ちたいと相談したら、子どもだけでなく村民にもしてくれと頼まれました(笑)。美しい飯舘村の風景を台無しにするフレコンバッグの後始末について、私なりの提案をしたい。自宅と村を行き来します。

私が委員長を引き受けたのは、いずれ事故は忘れ去られるから、中央政府の側に身を置けば、その防波堤になれると思ったからです。他の委員の皆さんには、私だけ「福島、福島」と喧(やかま)しかったかも知れませんが、それぐらいでちょうどいいと考えていました。

(聞き手 本誌発行人 宮嶋巌)

   

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