2017年8月号
LIFE
by 遠山高史(精神科医)
T衆議院議員の「暴言」による退場は、暴君と化したエリートのもとでストレスに耐え、怒りを殺して仕事をしてきた人たちに元気を与えたのではないか――。東大法学部を出ても、大人もどきの「子供」がいることが分かったからだ。自分は頭がよいと憚らず言ってのけ、耳を覆う激高ぶりからも幼稚さが覗く。今どき録音されるであろうことに思い至らなかったのは、自己中心的で他人を舐めていたからだろう。おそらく、彼女は失敗したことがあまりなく、そういう意味で人生経験が足らず、大人になり切れなかったのである。厚労省キャリアになりハーバード大に留学しても、人が成長して大人になるのとは、話が別である。
私はすでにかなり高齢であるが、これまで致命的な失敗を犯すことなく、何とか潜り抜けて来たようだ。それは私が優秀であるというより、そもそも軽率なうえ、多くの失敗を重ねてきたからではないか。そんな気がしてならない。例えば中学3年の時、運動神経のいい生徒会会長と副会長に唆されて、皆に気合を入れると叫んで、2階の理科室の窓から庭に飛びおりるパフォーマンスをした。先に降りた2人は無事に土の上に軟着陸したが、私はマンホールの蓋の上に降り、足を骨折した。その格好の悪さは、私の心に生涯癒えぬ傷を残した。「ツキ」に見放された私は高校受験をしくじり、その後も試験に一発で合格したことがない。それでもしぶとく生き延びたお陰で、何とか医者にはなれた。
歳月がたった後、医学論文を書くために語学試験なるものに挑戦したことがある。これまで全ての試験に1度も落ちたことのない同僚と受験に臨んだ。人生の道すがら、どうにも敵わない頭のいい奴に出くわすことがある。彼は常に私の先を行く俊才だった。ところが、当日の試験問題は予告なしに2倍の分量の英文が出題され、例年と同じ制限時間で解かなければならなかった。大した語学力がない私は、ハナから訳していたら追いつかないので、思い切って斜め読みして、6割の水準を狙った。結果、劣等生の私が通り、秀才は人生初めて苦杯を舐めた。彼は最初から丁寧に訳していったため、時間切れで6割に到達しなかったのだ。彼は、なぜ、状況に合わせて作戦を変えなかったのか。これまで1度も試験に落ちたことがなかったからではないか。自信家の彼はひどく落ち込み、私ごときが合格した試験に落ちたことが許せなかったようだ。以来、私より何倍も早く論文を書けるはずの同僚が、英語論文に挑戦することはなかった。1年後に同じ試験を受ければいいのにと思うのだが、プライドの高い秀才の心には、大人になり切れない、意固地な子供っぽさが宿っていたのではないか。
幼き頃、田舎の祖母に、どうしたら大人になれるか、聞いたことがある。「失敗するたびに大人になれるが、失敗した後で何もしねえなら、子供のままだ」と言われたのを覚えている。
突然、鬼のように怒りを爆発させる行動は、精神的な疾病もありえるが、状況に合わせて制御できるなら病気とは言わない。しかし、往々にして人は権力を握ると、時と場合を無視して、怒りを発散し始める。権力者は、あらゆる失敗を他人のせいにできるからだ。そして、どんどん子供っぽくなってゆく。いずれ修復不能な失敗を招き、全てを失うほどの致命傷を負うことになる。