トランプ「人心操縦」の黒幕

米大統領選と英国民投票の二大仰天劇は同じ黒衣の仕業だった。恐るべし、最先端マイクロターゲティング。

2017年3月号 BUSINESS [ SNS「ステルス」マシン]

  • はてなブックマークに追加

ウルトラ保守の富豪ロバート・マーサーと娘のレベッカ

Photo:Getty Images

「統計学のカリスマ」ネイト・シルバー(39)は一夜にして光を失った。2008年米大統領選で49州、12年は全50州の勝敗を的中させたが、昨年は「ドナルド・トランプ勝利」を予想できなかったからだ。

ニューヨーク・タイムズ紙を辞めてから人気政治サイト「FiveThirtyEight」(538人は大統領選の選挙人総数)を運営し、数々の賞に輝いて自著(邦訳『シグナル&ノイズ』)も売れ、政治ジャーナリズムに新風を吹きこんだ。ところが、今回は直前予想でヒラリー71・4対トランプ28・6と大外れ。「トランプはsui generis(全くの例外)で予測に主観的要素が入ってしまった」と弁解したが、もう後の祭りである。

2億2千万人のプロファイリング

ケンブリッジ・アナリティカCEOのアレクサンダー・ニックス(同社提供の動画より)

大統領上級顧問の「破壊教祖」スティーブン・バノンは役員兼任

Photo:AP/Aflo

ポーランド人研究者ミハル・コジンスキー(フェイスブックより)

なぜ神通力を失ったか。シルバーの自信過剰や同性愛者というバイアスもあったろうが、実は英国から来た強敵――ビッグデータ分析の最先端企業、ケンブリッジ・アナリティカ(CA)に敗れたのだ。

CEOのアレクサンダー・ニックス(41)は「この異例の勝利には胸が躍る。データ主導コミュニケーションへの我々の革命的アプローチが必須の役割を果たした」と誇らしげだ。共和党の世論調査マンも「もはやCA以外に(選挙)エキスパートなんて存在しない」とすっかり脱帽している。

それはそうだろう。CAはすでに昨年6月にも世界を震撼させている。英国の欧州連合離脱(Brexit)を問う国民投票で、反EU派の急先鋒、英国独立党(UKIP)党首のナイジェル・ファラージュのキャンペーンを請け負い、トランプ顔負けの無責任な放言と毒舌パフォーマンスで、みごとに想定外の勝利をもたらした。16年の二大サプライズを演出したこの黒衣の実体は、数学者や統計学者、宇宙物理学者ら博士号の肩書を持つ分析オタクのチームだという。米大統領選中はテキサス州サンアントニオの第二選挙本部に常駐したが、わずか10人強の派遣でこの大戦果には驚く。

従来の手法とどこが違うのか。ニックスの弁によれば、新しい心理統計学(またはサイコグラフィクス)モデルが奏功した。米国内に4千~5千カ所のデータポイントを持ち、そこで全米2億2千万人の成人の属性――どんな検索をし、どの番組を視聴し、どの車を運転し、何を食べているかを逐一プロファイリングしている。ポイントが重複する人は似た人格なので、32のタイプに分類した。「行動は人格に導かれる」から投票行動もこれで予想できる。

それを可能にしたのは、米国ではフェイスブックなどのソーシャルメディア(SNS)が普及し、ユーザーの同意なし(オプト・アウト)で簡単にビッグデータを購入できるからだ。同意が要るEUのオプト・イン規制がないことが幸いしたらしい。他方、シルバーはせいぜいベイズ統計学で既存の世論調査の加重を調整し精度を高める程度。サンプル数の裾野がケタ違いだし、粒度(凝集度)でも歯が立たなかった。

しかもCAは、錯覚学ともいうべき認知心理学の知見を巧みに応用する。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン(ベストセラー『ファスト&スロー』の著者)によって、経済学の根幹である「合理的経済人」の前提が覆ったが、それを逆手に取って認知バイアスの弱みを突き、人を非合理的な行動に誘導するのだ。

CAはどこからこんなノウハウを得たのか。スイスのダス・マガツィーン誌の調査報道によると、ケンブリッジ大学心理統計センターにいたポーランド人研究者ミハル・コジンスキーが下敷きになったという。

彼は人の属性を測るのに開放度、誠実度、外向度、従順度、神経質度の「ビッグ5」に集約、頭文字をとってOCEANという心理統計学モデルを開発し、ほぼ各人の内面を裸にできるようになった。コジンスキーは「スマートフォンこそ巨大な調査票」と気づき、フェイスブックの「いいね!」のビッグデータからノード(節点)を相関させ、68項目の「いいね!」の平均から95%の確率で肌の色を、85%の確率で支持政党を当てられる高精度モデルをつくった。

だが、フェイスブックのふんどしを借りたこのプロファイリングで、個人の属性は切り刻まれ、顔のないタイプ別の集合がOCEAN(大海)を漂いだす。これを使って逆に人を検索し、ターゲットマーケティングに悪用する余地も生まれた。

背後に巨大ヘッジファンドの富豪

現に14年、まだ博士課程の彼に心理学部の若い准教授が近づき、データベースにアクセスを強く求めてきた。やがてその背後にはPR企業グループSCL(Strategic Communication Laboratories)傘下の「特別な選挙マネジメント代理店」がいると知れた。SCLは1990年代に創業され、ウクライナやナイジェリアなど100カ国以上で選挙・政治キャンペーンを受注したほか、デマ情報を流す軍事作戦にも関わっていてキナ臭い。13年には米国進出のため、ロンドンで新会社を起こした。

コジンスキーは胡散臭いと思って接触を絶ったが、自分のモデルがパクられたと疑っている(CAは否定)。SCLが新会社に「ケンブリッジ」の名を冠し、堂々とOCEANモデルを謳っているうえ、14年米中間選挙で44の連邦議員選や知事選に関与しながら、当の准教授はシンガポールに移住、結婚で改姓して足跡を消したからだ。

モデル悪用を心配したコジンスキーの危惧が、Brexitの国民投票で現実になった。人心操縦マシンとなっていたCAは、同傾向の人格タイプに向けマイクロターゲティングのメッセージを集中投入する。陰謀説や希望的観測に飛びつかせるための「ヒューリスティクス」を総動員していた。

ガセでもデマでも構わない。不確定の状況下だと、「知りたいことしか頭に入らない」という確証バイアスが働く。メッセージが矛盾していても、直感は物事を単純化し、好き嫌いや近づきやすさ、慣れ親しんだものを選択する。プライム(先行刺激)を与えれば、たやすく判断を誘導できる。

スタンフォード大学に職を得たコジンスキーは再び天を仰ぐ。16年9月、ニューヨークの企業フォーラムでCAのニックスが「トランプの助っ人」として登壇したのだ。

CAはスポンサーを明かさないが、英フィナンシャルタイムズ紙やガーディアン紙などは、世界有数のヘッジファンド「ルネッサンス・テクノロジーズ」(RT)の共同CEO、ロバート・マーサー(70)と名指しする。この共和党最大の献金者は、元コンピューター・サイエンティストで、93年にIBMからRTに移った。

運用資産720億ドルと言われるRTの創業者は、10年に引退したジェームズ・シモンズ。数学の博士号を持ち、あらゆる投資対象の値動きパターンをプログラム化して短期売買で稼ぐクオンツ運用で、長期安定投資の富豪ウォーレン・バフェットとは対照的だ。RTの旗艦ファンド「メダリオン」は過去28年で550億ドルも稼ぐ驚異的な高収益を上げていながら、厚い秘密のベールに包まれている。ファンドの性格もマーサーの経歴もCAと親和性が高い。

「破壊教祖」のバノンも役員

ただ、彼とその娘レベッカ(トランプ政権移行チームの一員)はエキセントリックなウルトラ保守派で、専らクリントン夫妻放逐に執念を燃やしてきた。大統領首席戦略官・上級顧問になった「破壊教祖」スティーブン・バノンのタニマチでもあり、実はCAの役員もバノンは兼任する。彼が運営する極右サイト「ブライバート・ニュース」に1千万ドルを献金し、反クリントン映画を製作した彼の映像会社にトランプの政治団体から18万7千ドルが支払われたのは、つまり「丸抱え」ということか。

マーサーは予備選で当初、泡沫に近かったテキサス州上院議員テッド・クルーズを応援、1350万ドルをつぎこんだ。トランプの対抗馬に急浮上できたのは「CAが貢献」とニックスは胸を張る(報酬は580万ドル)。2、3位連合を画策したが及ばず、5月に撤退したあと、マーサーは秘かに鞍替えした。トランプ陣営をテコ入れするため娘に200万ドルを献金させ、Brexitの“隠し玉”CAを送りこんで逆転劇を再現したのだ(報酬は1500万ドル)。

それまでの選挙戦が人口動態学を土台としていたのを、CAは「ビッグデータと心理統計学」に一変させた。16年7月、トランプの運動員たちに選挙民の支持政党などのデータを入れたアプリが支給されたが、Brexitで使われたものと同じだった。

トランプ対ヒラリーのテレビ討論では、17万5千種類の映像クリップを用意し、見出しや色合いを微妙に変えた動画や静止画の広告を、受信者のタイプ別に最適化して、フェイスブックのタイムラインにニュースフィードで流した。標的ユーザーにしか見えないこの広告は、ヒラリーを嫌な女と思うよう悪印象をサブリミナルに刷り込む必殺兵器で「ダークポスト」と呼ばれた。

選挙戦で初のこのターゲットマーケティングは、資金が潤沢なヒラリー陣営で片手間にデジタル選挙を手がけていたグーグルなどの応援スタッフを蹴散らした。しかもCAは激戦区17州に絞り、最後の数週間はミシガンとウィスコンシンに集中するなど費用対効果でも圧倒したのである。

08年のリーマン・ショックでは、サブプライムの不動産債務をスライスして混ぜた先端金融商品が毒饅頭に化けたが、今回の「ダークポスト」は知らぬ間に各人をスライスし分類して「隠れトランプ」層という巨大な毒饅頭を合成したことになる。

かくてトランプの一貫性のない矛盾したメッセージまで、全方位で希望的観測を抱かせるという「資産」となった。初会見でCNNを「似非ニュース」と怒鳴りつけた新聞・テレビ嫌いも、実はツイッターという好都合なSNSをマイクロマーケティングに使っているからだろう。

トランプは「聴衆の反応に合わせた完全便乗型アルゴリズム」を装備した自動人形にも見える。70歳の本人はスマホが不得手で、ツイートも口述か代作だから、なおさらである。

今やCAは引っぱりダコだ。総選挙を控えるドイツなど欧州大陸各国から引き合いが来ている。本拠の英国でも、近くEU離脱を正式宣言するテレーザ・メイ首相と接触したと報じられた。CAはホワイトハウスのビジネスには関与しないが、利益相反が問題になった大統領のファミリー企業「トランプ・オーガニゼーション」(TRO)のビジネスについて、役員のバノンを通じて相談に乗っていると報じられた。

東京市場でもRTが動いている

真の黒幕は「キングメーカー」のマーサーだろう。共和党や極右団体に幅広く献金をバラまきながら、ワシントン政界ではほとんど無名だった大富豪が、CAという「ビッグデータ・マシン」を手にするや、超大国の大統領と民心を自在に操れる存在になった。フェイスブックが現代版「ビッグブラザー」なら、ロビイストはもうお払い箱、とワシントンDCは浮足立っている。

政治だけではない。2月2日付の日経証券面スクランブル欄は「芽吹き始めたAI相場」と題し、東京証券市場でRTが動きだしたことを報じた。大量保有報告書でも、RTの売買はトランプラリーが始まった11月10日~1月31日まで23件と活況。シェア5%以下は報告されないから、実際はもっと頻繁だったろう。ところが、銘柄や売買動向からはパターンが読めない。それも道理。RTは株価のパターンを解析しては機械的に売買するから、ミラーグラスのように内から見えても外からは見えないのだ。

RTとCAはこの「非対称ステルス」が共通している。日経記事はそこに気づかない。市場がこのステルスに怯えれば、「トランプの」の思うツボ。ツイートとビッグデータでワシントンを吹っ飛ばし、他国を敵味方に分断、グローバル企業に土下座を強い、市場も跪(ひざまず)かせる……それがトランプ、いやマーサーの野望なのか。

VR(仮想現実)からAR(拡張現実)へ――テレビ番組の虚像からポップアップのように現実に飛びこみ、次々と強権を発動するこの「ステルス」マシン、すでに東京に襲来しているのだ。(敬称略)

   

  • はてなブックマークに追加