編集後記「某月風紋」

2016年10月号 連載
by 宮

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東北電力の原田宏哉社長(2016年8月24日、原子力規制委員会、撮影/宮嶋巌)

発災時の女川原発所長を務めた渡部孝男副社長

14.8mの津波が押し寄せた女川漁港(2011年4月23日、撮影/宮嶋巌)

廃墟と化した女川町の中心街

女川町人口の1割、1千人弱が命を落とした

震災から5年半――。原子力規制委と東北電力トップの公開討議は見応えがあった。三陸海岸の南端、牡鹿半島の中ほどにある女川原発は震源地から約123㎞と、福島第一原発(1F)より近く、ともに約13mの最大津波に襲われた。「事故に至った東電と、至らなかった東北電の違いは何か」(更田豊志委員長代理)というガチンコ質問に、渡部孝男副社長(発災時の女川所長)は「津波に対する意識が全く違っていた。実は私は福島(相馬市)出身なんですが、幼い頃、三陸海岸はチリ津波の被害が出たが、浜通りは大したことがなく、大津波は来ないという思い込みがあった」と明快だ。

女川の成功は「奇跡」ではない。当初想定していた津波の高さは1F、女川ともに3m。これを受けて、1Fは海抜10mの敷地に建てられたが、女川は14・8mとした。東北電は計画初期の1968年頃から、学識経験者による社内委員会で明治と昭和の三陸津波はもとより、869年の貞観津波、1611年の慶長津波の痕跡を調査し、想定の5倍の高さに決めたのだ。

原田宏哉社長は「5年というと長い月日に見えますが、私どもは3月11日から約1カ月のことを、つい先週のように覚えています。女川については、先輩方が積み重ねた備えが如何に活きたか……原発の安全対策は立ち止まった瞬間、後ろにずんずん下がっていきます。前へ前へと、積み上げていかねばならない」と振り返った。

女川漁港は最大津波14・8mに襲われ、中心街の9割が壊滅、町人口の約1割、1千人弱が命を落とした。「私どもの4階建ての社宅も冠水し、8家族の奥さんと子どもが亡くなりました」(原田社長)。東京駐在の広報部員も古里女川でご両親を失った(母上のご遺体は見つかっていない)。東日本の原子力事業再建は、「慟哭」の時を刻む東北電力を主役にすべきだろう。

   

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