「帰還困難区域」解除へ 地元の切なる思いを聞く

田中 俊一 氏
原子力規制委員会委員長

2016年10月号 BUSINESS [インタビュー]
聞き手 本誌編集長 宮嶋巌

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田中 俊一

田中 俊一 (たなか しゅんいち)

原子力規制委員会委員長

1945年福島市生まれ。会津高校、東北大学原子核工学科卒業。日本原子力研究所副理事長、日本原子力学会会長などを歴任。原発事故直後に国民に謝罪する記者会見を行い、生まれ故郷の福島で除染に取り組む。2012年9月に規制委発足とともに現職。原子力災害対策本部の副本部長を兼ねる。

写真/平尾秀明

――政府は8月31日、原発事故で立ち入り禁止となった帰還困難区域の一部を6年後に解除する方針を打ち出しました。

田中 原子力災害対策本部を指揮する安倍首相(本部長)が「帰還困難区域の1日も早い復興に着手する」と述べられ、私は同本部の副本部長を兼ねています。原発周辺の町から人影が消えて5年半。古里を追われた7市町村の皆さん(2万4千人)にも微かな光が差してきました。来年から除染とインフラ整備を優先的に進める「復興拠点」作りが始まります。めざすべきゴールが示されたことは、大きな前進だと思います。

――昨年10月、福島の被災自治体に出向き、14人の市町村長と面談しましたね。

田中 皆さんのお話を聞きながら痛感したのは、除染が順調に進み避難解除のメドが立った自治体と、今なお許可がなければ立ち入ることができない帰還困難区域の明暗でした。町域の8割が帰還困難区域の浪江の馬場(有)町長は「除染も復興方針も手つかずだが、移住を促す賠償メニューだけは揃っている。これでは町は消滅だ」と嘆いていました。

地元からも「忘れられた古里」

事故から5年半が経ち、帰還困難区域といえども線量が下がったところはありますから、住民は個人線量計を身に着け、昼間は自宅に戻って掃除や草刈りをしたらよいのです。このままだと帰還困難区域は、地元からも「忘れられた古里」になってしまいます。1Fが立地する双葉町は、町域の96%が帰還困難区域ですが、伊澤(史朗)町長は比較的線量が低いJR双葉駅周辺を「復興拠点」にする青写真を描いていました。そこで規制庁のスタッフが周辺地域の詳細な線量測定を行い、町の復興計画づくりに協力しました。

東京に戻ってからは、双葉、大熊、浪江の首長さんの危機感を、内閣府の被災者生活支援チームなどに伝え、地元の切なる思いを復興加速化に反映させるべきだと申し上げました。

――昨年9月、全町避難した楢葉町の避難指示解除が実現しましたが、帰還した住民は1割未満です。6年後の2022年に帰還困難区域に人が戻りますか。

田中 ごくわずかでしょうね。住民の大半はすでに帰還を諦め、避難先での落ち着いた暮らしを望んでいますから。

――来年3月には帰還困難区域を除く避難区域が全て解除される見込みです。

田中 線量が下がった地域でも、住民が戻らないのは風評被害があるからです。夏休みに飯舘村の小中学校の先生向けの研修を頼まれました。1Fの現状について「もう二度と爆発する心配はないし、ごく一部を除く飯舘村の線量は事故当時の福島市と同じレベルに下がっており、皆さんの帰還を妨げるものはない」という説明をしてきました。

――しかし、1Fは無数の汚染水タンクが立ち並び、容易ならざる状況です。

田中 少し騒がれすぎです。タンクに溜まった水の約3分の2は、多核種除去設備(ALPS)で浄化したトリチウム残留水です。そもそもトリチウムが出す放射線は、サランラップ1枚も通せぬ微弱なもので、トリチウム自体の量も1F全体で57㎖(推定)に過ぎません。国際的な基準に沿って、海洋へ希釈排水するしか処理方法はないのに、風評被害を恐れるあまり、コンセンサスが得られません。ある地元首長は「1Fの改善ぶりを毎日、テレビに映し出し、風評を打ち消してほしい」と言っています。毎日は無理だとしても、週に1度ぐらいテレビで1Fを客観的に報ずる番組があってもよいと思いますが、実際にメディアがやっていることは、地元の不安を煽るキャンペーンに近いものもありますね。

――ご就任から丸4年が経ちました。

田中 先の見えない船出でしたが、チームワークがよかった。一つずつ課題を解決してきましたが、再稼働の時期を迎え、我々に対する風当たりが一段と厳しくなったと感じています。原子力利用に消極的な人たちは「規制が甘い」と言い、推進派は「適合性審査に時間をかけすぎ」と批判します。我々は両サイドの失望と不満の矢面に立ち、叩かれる運命なんです。でも、どちらかに偏ったら、規制委のミッションは果たせません。

原発立地自治体との対話は必要

――委員長は孤独なものですね。

田中 皆さんと議論しながら判断を煮詰めるから孤独ではありません。旧組織(原子力安全・保安院)は経産省の傘下にあり、安全最優先の判断ができなかった。その反省から発足した規制委は独立・中立な判断を貫き、あらゆる会議を公開しています。私のことを「頑固な奴だ」と言う人もいますが、トップマネジメントはブレないことが大切です。それが私の人生観でもあります。

――全国知事会から「(規制委は)地方自治体等の幅広い意見に真摯に耳を傾け、真に国民の理解と信頼を得られる組織になれ」という提言が出ています。これまで独立性を強調するあまり、原発立地自治体との対話が少なかった。

田中 立地自治体との対話は必要ですし、地元の首長さんとの意見交換を拒むつもりはありません。難しいのは、地元の皆さんから「原発推進の旧保安院と同じことをやっている」と、誤解されかねないこと。だから、もし、地元からのご要望を受けて説明に行く時には、できるだけ多様なご意見を聞くため、1日でも2日でも話をしたらいいのではないかと考えたこともあります。我々から押しつける説明ではなく、はじめに地元の首長や議員さんが抱く不安や意見を聞き取り、それにお応えする対話がベストではないかと考えています。

――もし、鹿児島の三反園(訓)知事から面談要請があったらどうしますか。

田中 拒む理由はありません。相手がどなたであれ、我々の判断を丁寧に説明して、異論に耳を傾け、立場を越えた相互理解を深めるのは当然のことです。

――今、現地に出向くとしたら?

田中 やはり川内(鹿児島)でしょうね。もし、要請があったら、2時間でも3時間でも意見交換したいと思います。

   

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