富裕層の脱税行為を手助けする黒幕の生態を、実名入りで描くノンフィクションの衝撃!
2016年8月号 LIFE
「税務署は気付かないだろう。口座まで見つかったわけじゃないんだから」
「しかし、万一見つかれば摘発されますよ。悪くすれば脱税犯です。ばれる前に自主申告しておいてはどうですか」
「気付かれないのに申告したら、それこそヤブヘビじゃないの。ごっそり追徴金を取られるでしょう。一体、何億円ぐらい取られますかね?」
中米パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」からパナマ文書が漏洩して以来、税理士とこんなやり取りを交わす金持ちが出てきているという。バージン諸島やケイマン諸島に作っていた秘密のペーパーカンパニーが暴露され、国税調査官の影におびえているのである。
たとえ今は大丈夫であっても、来年からは各国の税務当局間で銀行口座情報をやり取りする「自動的情報交換制度」がスタートする。その時、海外に隠しているペーパーカンパニー名義の口座情報が毎年、定期的に日本の国税庁に届き、パナマ文書などと突き合わせて追及される可能性が高い。じわじわと追い詰められるかもしれない――。そんな焦燥と恐怖を覚えているのだ。
個人情報やプライバシーの保護を盾にした匿名社会が進行する中で、パナマ文書ほど権力者や富裕層に痛撃を与えた文書はないであろう。内部告発者は、富裕層がまとっていたペーパーカンパニーという隠れ蓑を剥いで、幽霊会社の名前、所有者の実名と住所などを世界中に伝えた。しかも、「国際調査報道ジャーナリスト連合」のサイト上で、だれでも検索が可能な形で公表されているため、日本の国税当局もおざなりな税務調査で済ますわけにはいかなくなっている。
その富裕層の後ろで、パナマ文書の波紋を凝視している人々がいる。プライベートバンカー(PB)たちだ。
その多くはシンガポールや香港、スイスの外資系銀行を舞台にしているが、彼らの中に、まぎれもなく脱税行為を手助けしていた日本人がいる。日本に住む富裕層の口座を海外で作り、タックスヘイブン(租税回避地)とペーパーカンパニーを駆使して、富める者をますます富ませてきたプロ。富裕層の税逃れが摘発されれば、「黒幕」として追及されかねない立場にある。
彼らはまったく姿を消しているわけではない。日本に頻繁に出張して投資を勧め、選ばれた顧客と密談をして帰る。中には、移住者向けのセミナーや富裕層対象のパーティに顔を出したり、顔写真付きで雑誌インタビューに答えたりする者もいる。しかし、そこで語られるのは「富裕層の執事」という仮面をかぶったうわべの話だけだ。
ところが、7月に発売されたノンフィクション『プライベートバンカー カネ守(も)りと新富裕層』(清武英利著・講談社刊)には、「聖域ビジネス」の裏側と彼らの素顔が描かれている。
これは野村證券や三井住友銀行などを経て、名門行の「Bank of Singapore(シンガポール銀行)」に転じた元バンカーの2010年から13年までの記録だが、実名で登場する主人公たちが、PBの営業手法に始まって、給与実態(中にはボーナスを合わせて年収1億数千万円のバンカーもいる)や、日本では考えられない金融商品、そして節税スキームに至るまで、次々と明らかにしていく。
まず驚くのは、彼らが1年以内に1億ドルのAUM (Assets under Management=運用資産残高)を集める、というノルマを背負っていることである。彼らの世界では、「入社1年目で100億円の運用資産を集めるくらいでないとやっていけない」。銀行全体ではなく一人のバンカーに課せられたノルマだ。
彼らの多くは野村證券など旧四大証券や外資系証券、日本の有名銀行出身者で、もともと激しいノルマ営業や出世競争にさらされてきただけに、銀行間やPB同士での顧客資産の奪い合いは壮絶だ。中には300億円を超える資産をIT長者から一度に集める者もおり、仲間内での騙し合いはもちろん、日本国内で許可されていない営業を繰り広げて契約を取る者も出るという。「執事」の仮面の裏には、「カネの傭兵」たちが繰り広げるルール無用の闘いがあるのだ。
彼らは富裕層を釣り上げるための強力な釣り針を持っている。富める者と貧しい者の格差をさらに広げる武器――フック(かぎ)とも表現される。
例えばそれは、巨額の生命保険商品である。最高100億円の死亡保険金(日本では最高7億円が限度)が手に入る保険商品が、PBを介し銀行融資付きで売られている。相続税の最高税率の55%を引かれても45億円。掛け金の一部はプライベートバンクが融資をし、死亡保険金から返済され、結局、何十億円というキャッシュが相続人の手元に残ることになる。
貧富の格差を維持し、さらに広げていくこうした商品は、金融規制の厳しい日本では販売できないことになっている。そのため、シンガポールや香港で契約する運びとなるのだが、実際には日本でこっそりセールス行為が行われることもあるという。
多くの納税者は、海外では常識化しているこれらの商品や相続手法、節税策の存在を知らない。富者と貧者の違いは、秘密の蓄財商品や節税手法にアクセスできる機会の違いでもある。
この本を読み進めると、ある疑問に突き当たる。こうしたタックスヘイブンやオフショア(課税軽減国)への資産逃避に対して、国税庁は何をしていたのか。
シンガポールでは、「5年ルール」と呼ばれる相続税逃れが横行している。1年の半分以上をシンガポールで暮らす(残りは日本などで生きる)生活を5年以上続けることによって、「日本の居住者」から「非居住者」に変身し、相続税ゼロという特典を得られる――というトリックらしい。また、富裕層をPBたちに口利きする大物紹介者の存在も明らかになっている。富裕層の「資産フライト」を促し、紹介者の跳梁を許してきた裏には、国税組織の非力があり、不作為があったのではないか。そのことを本書の中でPBたちは静かに告げている。