右派論壇の重鎮が、首相は保守ですらなく「ドライな現実主義者」とこきおろす一大事!
2016年8月号 POLITICS
「安倍ブレーンの大物」然と、メガネの奥の目を細め、奥ゆかしげな笑みをたたえて右派論壇の重鎮役を務めてきた国際政治学者、中西輝政・京都大名誉教授(69)が、右派雑誌『歴史通』5月号で安倍晋三首相への決別を宣言した。題して「さらば安倍晋三、もはやこれまで」。G7サミット・参院選という政治決戦の矢先に、「コアな支持層」の理論的主柱が公然と離反したとあっては穏やかでない。
中西氏の直接の不満は、昨年8月の「戦後70年安倍談話」が気に食わない、同年末の慰安婦問題日韓合意も気に入らないというもの。「破棄するはずだった従軍慰安婦河野洋平談話・戦後50年村山富市談話を踏襲してしまった。日本の歴史と日本人の歴史認識にとって、悲劇的結末を迎えた」と嘆く。中西氏は談話を作った政府有識者懇談会のメンバー。最後まで「日本の戦争を侵略と呼ぶな」と抵抗したが、「異論があった」との注記だけで押し切られた。
議論に敗れた鬱憤を、年をまたいでから外でぶちまけた理由について「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけオピニオン・リーダーたる人々が、安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対して、ひたすら沈黙を守るか、逆に賞賛までして意味ある批判や反論の挙に出ないことだった」と明かしている。何のことはない、仲間の援護がなく、はしごを外された恨みつらみである。
実際、安倍談話や日韓合意に対する右派論壇の評価を色分けしてみると、批判したのは中西、藤岡信勝、小林よしのり各氏ら数人どまり。桜井よしこ、渡部昇一、西岡力、八木秀次、阿比留瑠比各氏といった大勢は、条件付きで好意的に評価している。例えば、代表格の桜井よしこ氏は日韓合意を「外交的に大成功。国際世論は激変した。首相決断を認めるべきだ」と礼讃した。中西氏はこうした右派陣営の傾向を、「安倍でなければ、他に誰がいるか。希少な保守政権を潰してはならない」という日和見主義が、保守の論理や信念を曲げてでも決定を支持・評価する態度を生んでいるとなじる。そして、自分はこれまで「支持者で応援団だったが、ブレーンだったことは一度もない。一種のタマよけ、目くらましの役目にすぎず、私の提言を政策として採用した例など皆無だ。そもそも元来、安倍氏とは政治上の思想や理念は異なっている」と言い切った。保守派の自分と違うのだから、安倍氏は保守ですらなく、「ドライな現実主義者」にすぎないと言うのである。
その程度のことに今更気づいたのかと呆れもするが、それはさておき、中西氏の狼煙は、右派論壇内での「内ゲバ」に火をつけかねない気配もある。中西論文に触発されたのか、約10日後の産経新聞オピニオン欄「正論」に、やはり右派の理論的大御所である小堀桂一郎・東大名誉教授が「主権回復記念の日に向けて」という寄稿で、安倍談話を「あの忌まわしい村山談話を否定する最後の機会を生かす事無く、又しても東京裁判史観への屈服を公言した。大いなる失望……歴史戦に於ける日本の敗北宣言に等しい。現政権とても、所詮は敗戦=占領利権亡者の最強の根城である外務省が操る木偶と化してしまっている」と激烈にこきおろしたのだ。安倍びいき日和見大勢派に対する深刻な内部批判に他ならない。
こうした右派の「安倍離れ」は、今に始まったことでも、中西氏ら一部の頑迷な長老たちの突然変異でもない。先鞭をつけたのは昨年12月、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」元副代表の蓮池透氏が出版した『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)であった。2002年9月に小泉純一郎首相が訪朝した際、同行した安倍官房副長官が「拉致問題で謝罪がないなら席を立つべきだ」と主張し、翌月、蓮池氏の実弟ら被害者5人が「一時帰国」した時に、安倍氏が北朝鮮に戻さないよう「体を張って止めた」という自ら吹聴してきた「武勇伝」は、いずれも「ウソ」と告発したのだ。
今年1月の衆院予算委員会で民主党議員が「拉致問題の政治利用だ。首相は拉致を使ってのしあがってきたのか」と問い質し、安倍首相は「違っていたら国会議員を辞める」と興奮して反論したが、蓮池氏は「安倍首相がやってきたことは北朝鮮の脅威を煽って制裁を強化するだけで、問題解決のためには何もしていない」と一歩も引かない。
今度の参院選比例代表に、テレビで「拉致被害者奪還」を主張してきた右派評論家の青山繁晴氏を公示直前、安倍首相が自ら口説いて立候補させたのは、拉致問題「強硬派」のイメージを保つため、メディアに話題を提供する「影武者ピエロ」に仕立てる魂胆があったからだとの憶測がしきりである。蓮池氏の告発で動揺した拉致問題支援者層の気を逸らし、「安倍離れ」を食い止める奇策というわけだ。
それにしても、選挙の寄付金を横領して買収の罪に問われた元航空幕僚長・田母神俊雄被告のハレンチ事件といい、右派雑誌『WⅰLL』が分裂して旧誌は『歴史通』編集長が「臨時兼任」しているドタバタといい、今年に入って右派論壇・メディアの自壊・内紛・混乱が、雪崩のように相次いでいるのは、単なる偶然だろうか。そうではあるまい。もともと論理も信条も戦術もバラバラな人々が、「右派勢力の大同団結・統一戦線」という印象を振りまくことができたのは、ひとえに安倍再登板を「キリストの再臨」になぞらえて偶像崇拝し、皆で「保守派・最後のイコン(聖像)」よろしく祭り上げてきたからだ。
だが、その安倍首相は「まともな右翼」でも「真面目な保守」でもなく、実体は「ちょっと右派っぽい機会主義者」にすぎない。3年経ってメッキが剝げ、右派陣営のタガが外れてきた。安倍応援団の中核とみられてきた「日本会議」批判のミニ・ブームは、その一現象だろう。そこには「内部抗争」の匂いがする。
中西氏の大袈裟な安倍批判も、そうした文脈に当てはめれば、新しげな時流に翻弄されたインテリが、元の古い波に逃げ戻ろうとしている風体のひとコマにすぎないとも見える。