2015年12月号
連載
by 宮
人間が変わった? NRAの田中知委員(右、11月2日、撮影/本誌 宮嶋巌)
引導を渡されたJAEAの児玉敏雄理事長(右)
もはやこれまで? 高速増殖原型炉「もんじゅ」の青砥紀身所長
11月13日、文部科学省に初の勧告を出したNRAの田中俊一委員長
東大の田中知(さとる)教授(65)といえば「核燃料サイクル」の権威、「原子力ムラ」の重鎮である。彼が総合資源エネルギー調査会の原子力部会長として、06年にとりまとめた「原子力立国計画」は「高速増殖炉サイクルの早期実用化」を掲げ、①原型炉「もんじゅ」の早期再開、②25年頃の実証炉の実現、③50年より前の商業炉の開発、④運転を終える軽水炉の高速増殖炉へのリプレースというバラ色の夢を描いていた。安全保安院と推進側の資源エネルギー庁の「同居」問題についても「個 人的には問題と思っていない。保安院は自主性を保っており、原子力安全委員会とのダブルチェック機能は海外からも評価されている」と述べるなど、実に頼もしい「御用学者」だった。この御仁が昨秋、原子力規制委(NRA)の委員に任命された時は、目の前が暗くなった。日本原子力産業協会の理事を務め、原発メーカーから報酬を受け取るなど全く「不適格」だったが、官邸が後ろ盾となって押し込んだ。が、人間は「変わる」ものだ。
11月13日、NRAは原子力研究開発機構(JAEA)にはもんじゅを安全に運転する資格がないとして、運転主体の変更を求める勧告を出した。ここに至る議論の場で「JAEAにはもんじゅの安全管理を行う技術的能力が欠如している。より適切な組織を考えることが極めて重要」と、文科省をけんもほろろに突き離したのは、かつて原子力立国の進軍ラッパを吹いた田中委員だった。
震災後、同氏は新聞コラムに「週1回は行く」と書くほど福島を頻繁に訪れ、除染、廃炉、復興の現場をサポートしてきた。「誰かが言った、歴史の中で、A勝B敗のBが増えることになっては絶対にいけない」とも記しており、昨今の我が国で軽水炉より危険なナトリウム炉を受け入れる余地はないと、泣いて馬謖を切ったのだろう。