「無期限貸与」14点の一括公開と映画『FOUJITA』のまなざし
2015年12月号
LIFE [特別寄稿]
by 柴崎 信三(ジャーナリスト)
映画『FOUJITA』より
『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』(1941、部分)
東京国立近代美術館でこの秋、米国から「無期限貸与」の条件で所蔵してきた藤田嗣治の戦争画14点が初めて一括公開された。フランスから祖国へ回帰し、裸体画などの耽美的な世界から壮絶な戦争画へ反転する藤田の歩みに焦点を当てた映画『FOUJITA』も話題を集めている。日本美術史の禁忌だった戦争画が、戦後70年にしてようやく「神話」の呪縛を解かれたのか。
戦間期のフランスで「エコール・ド・パリ」の寵児として人気を集めた藤田嗣治は戦時体制下に帰国、売り物の「乳白色の裸婦」から総力戦へ向かう祖国の戦争に画題を百八十度転換させて、翼賛絵画の指導的立場を担った。このことで戦後、責任を問われたことから運命が暗転、日本を追われるように離れて戻ったフランスで不遇のうちに生涯を閉じた。レオナール・フジタはその晩年のカトリックの洗礼名である。
藤田の「戦争画」は軍国日本の戦争責任を問う表象として、GHQ (連合国軍総司令部)の戦犯追及や国内世論の批判の的となり、禁忌として長らく美術史の暗部に置かれてきた。
今回公開されている『アッツ島玉砕』(1943年)など、藤田の戦争画は同じ立場にあった小磯良平や宮本三郎らの戦争画とともに、米軍占領下でGHQが接収したものである。
軍部が画家たちを戦地に派遣したり、実戦の写真などを提供したりして描かれたこれらの戦争画は「作戦記録画」と呼ばれ、接収された作品は全体で153点にのぼる。いわば日本の戦争プロパガンダの「証拠品」として、51年に米国へ移送された。
ニューヨークのメトロポリタン美術館で戦勝を記念した「日本征服」の展覧会を米国が計画し、そこへ出品するのが米国移送の当初の目的だったが、企画はなぜか頓挫した。集められた戦争画はその後、バージニアやオハイオの軍施設に保管されてほとんど忘れられてきた。
喝采から糾弾、流転から封印へと、歴史の波瀾に翻弄されて米国の片隅に眠っていた作品を一人の日本人写真家が発掘し、返還運動の末に70年、ようやく東京国立近代美術館に回収されたが、その際米国が求めたのが「無期限貸与」という条件である。
占領下の米軍の押収物という建前から付けられた、この奇妙な移管条件が、戦争画の自由な公表と評価を妨げる最初の障害となったことは想像しやすい。
受け入れた東京国立近代美術館側が展示をためらってきたのは、別の要因もある。作品を戦争協力と批判する根強い国内世論と「日本のアジア侵略を正当化するもの」として歴史認識の論議につなげようという近隣諸国への過剰な配慮である。
こうして「戦争画」を部分展示にとどめて広く公表しなかったことが、作品を美術史の例外として扱い、正当な評価を遠ざける結果になった。
今回、まとめて展示された14点を時系列でたどってみると、軍部の要請に応じて戦意高揚や国民心理の鼓舞を促すという「翼賛絵画」の一般的な図式だけでは測れない、藤田の意図と造形への試みがそれぞれの作品から読み解くことができる。
『南昌飛行場の焼打』(1938―39)では、操縦席の日本兵が銃を構えた手前の戦闘機の向こうに噴煙が立ち上る草原が広がるが、彼方の青空に浮かぶ戦闘機は小鳥が舞うような長閑さを感じさせる。藤田らしい繊細な筆触と明るい色調は、戦場を描きながらどこかで画家の「観光的」な気分を伝えている。
真珠湾攻撃の直後のハワイを描く『十二月八日の真珠湾』(42年)はもちろん、資料をもとにしているが、上空から白煙を上げて燃える米軍基地を俯瞰的にとらえている。戦争画とはいえ人物は描かれず、ほとんど静謐ともいえる写真的画面は「作戦記録画」の性格を強く示している。
名高い大作の『アッツ島玉砕』や『サイパン島同胞臣節を全うす』(45年)は、戦争末期の民族的悲劇を群像劇の一場面のように大画面に描き出している。
茶褐色の画面は重厚で、折り重なる人物はそれぞれの役割を担って劇的な効果を高めている。
もはや帰趨が明らかとなったいくさの敗者として、日本人の鎮魂と祈りという主題を、大きな歴史の場面で描く西洋絵画の「大様式画」の伝統のなかに再現したもの、ともいわれる。
フランスのプッサンやダヴィッドといった新古典主義の画家たちが、革命や戦争など歴史の重要な場面を視覚化した手法を、フランスで学んだ藤田が戦争画のなかに試みたというのである。
ともあれ、こうした作品の連なりから浮かび上がるのは、「乳白色の肌」の裸婦で得たフジタのフランスでの華やかな栄光と、帰国して「彩管報国」の指導的立場から夥しい戦争画を描き、それが問われて祖国を追われた同じ画家の孤独をつなぐ、作品の連続性とは何か、という問いであろう。
小栗康平が監督して公開されている映画『FOUJITA』は、藤田のフランスでの成功と日本への回帰の先の挫折を「ねじれた日本の近代」の悲劇ととらえ、あわせ鏡のような「二つの人生」をこの画家のなかに探っている。ここでも戦争画の「神話」は克服されたのだろうか。
現実の歴史の目まぐるしい渦に身を投じて劇的に場面を転換させた画家のなかで、「裸体」と「戦争」という対極の主題は意識の底流でつながっている。
「フランスのフジタ」が成功した祝祭的空間と、祖国へ回帰して「彩管報国」へ突き進む愛国的高揚を結んで、映画が暗示するのは画家の内なる「日本」という風土への愛着である。
曲線と乳白色という日本的な造形を生かした裸体画でパリの成功を手にした画家は、戻った祖国で戦場の兵士や国民の祈りを西洋美術の伝統と規矩によって描いて報いる道を選んだ。
もともと楽天的なアルチザン(職人)の藤田であってみれば、いずれから届く喝采も画家にとっての心躍る果報であり、そこに戦争協力やプロパガンダの意識が介在する余地は乏しかったことであろう。そしてそれこそが、フジタの境涯を引き裂く「艶やかな悲劇」の起点でもあった。(敬称略)