「TPP合意」でも時代遅れ農業は脱せず

米豪と「関税ゼロの輸入枠」設置。農業5品目の保護で、戦術は勝っても戦略で禍根を残した。

2015年11月号 GLOBAL [特別寄稿]
by 八代 尚宏(昭和女子大学グローバルビジネス学部特命教授)

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TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の政府間交渉が決着した。これが各国の議会で批准されれば、日米を中心とした、世界で最大規模の自由貿易圏が誕生する。これは加盟国間の貿易や直接投資の拡大を通じて、域内の経済成長を長期的に高める効果が期待される。

他方で「原則として関税ゼロ」を目指した、TPP当初の高い理想は影を潜めた。この大きな責任は、コメ等の農産物の関税を維持することに拘った日本にもある。TPPに日本が参加するには、農産物の重要5品目の保護という、国内政治上の大きな縛りをかけられていたためだ。

結果的に、米国と豪州からのコメの「関税ゼロの輸入枠(ミニマムアクセス)」の設置で、米国等と早々に合意がなされ、交渉の最終段階には持ち込まなかった。このように、日本はTPPの戦術面では勝ったものの、戦略面で失ったものも大きい。

TPPの三つのメリット

日本経済にとって、TPPの利益とは、①外国の関税引き下げによる輸出拡大、②日本の関税引き下げによる消費者利益増、③国際協定の「外圧」を通じた国内制度改革促進の3点がある。

第一に、米国やカナダの自動車関税が長期的に撤廃されることで、米国との二国間貿易協定で有利な立場にある韓国との対等な競争条件を確保できる。

第二に、果物や水産物など、政治力の弱い品目では、元々低かった関税が削減・撤廃される。これは国内市場での価格競争が強まることで、消費者にとって大きなメリットがある。

第三に、本来、TPPが成長戦略の大きな柱と位置づけられていたのは、日本の時代遅れの農業政策を改革するための契機とすることであった。結果的に、これは米国と豪州政府に対する、あわせて8万トン弱のコメの無税輸入枠の設定という飴で、見事に封じ込められた。関税引き下げの代わりに、特定国からの無税輸入枠の設定という「談合」は、国際貿易の大原則である「無差別待遇」を捻じ曲げるもので、日米両政府の罪は重い。

もっとも、これすらも最近のカリフォルニア米の値上がりで、日米間のコメ価格差がなくなった現状では、現実にどれだけ輸入されるか不明であり、米国側のメリットはほとんどない。日本の農水官僚の巧みな戦術の勝利といえる。

そうであればコメの関税を撤廃しても大差ないはずだが、違いは無税輸入枠の場合には、農水省がそれを国家管理できるという点にある。すでに輸入米はコメの国内備蓄用に向け、その後、一定期間後に飼料米として放出することで、「国内のコメ価格に影響を与えない」ことが、国内向けに示されている。

TPPへの参加を決める際には、農協による大規模なデモが行われたが、肝心の妥結時にはまったく見られなかった。これは、今回の交渉結果に、農協が完全に満足していることを示す、ひとつの証拠でもある。

日本の主要農産物のコメは、長年、農協主体の事実上のカルテルである減反政策の下にあった。TPPは本来、この長年の悪癖を廃止する大きな契機であった。日本のコメ農業の生産性が低いことの主因は、4割もの減反を強制され、大規模生産の利益を十分に追求できないことにある。専業農家にとっては、コメを作りたいだけ生産することができれば、コスト低下から大きな利益が生じる。

他方で、生産拡大の意欲に乏しい零細農家にとっては、米価水準は高いほど望ましい。これはコメの取引手数料が、主要な収入源である農協にとっても同様である。この専業農家と零細農家・農協との「農・農対立」が、日本の農業問題の核心だ。

もっとも、この減反政策の仕組みは、これまでの直接的にコメの生産量削減と結びつける方式から、飼料米生産への補助金増額を通じて、コメの生産を抑制する間接的な形へと転換される。しかし、いずれも高米価を維持する政策には変わりはない。

減反廃止でコメ価格が下がれば、零細農家は存続できないといわれる。現実には、3ヘクタール以下の農家では、農業収入は僅かで、所得の大部分は兼業や年金収入である。日本の零細農家は「農家」よりも「農地保有者」に等しい。

農業保護は、日本だけでなく、欧米諸国でも行われている。しかし、それは日本のような消費者に大きな負担を与え、国際競争力を損ねる高価格政策ではなく、生産者に直接補助金を与える財政支援の形をとっている。減反に協力する農家に補助金を出し、納税者と消費者に大きな負担を課す、時代遅れの農業政策は日本だけだ。

真の成長戦略に繋がらず

この改革には、現行の5千億円の農家への補助金を、生産効率性の高い農家に限定すればよい。減反を廃止すれば、国内需要を上回る供給増加からコメの価格は大きく低下し、日本の高品質のコメを世界中に輸出できる時代が来る。

今後、人口減少と高齢化で縮小する一方の国内市場ではなく、高成長のアジア諸国などへのコメ輸出を増やすことが、日本農業が生き延びる道である。また、その結果、世界の食糧不足も緩和し、懸案の食糧自給率も向上する。高齢化が進む零細農家の農地を専業農家に集中し、大規模農業を目指す農地バンクが進められている。しかし、減反廃止とセットでなければ、肝心の大規模生産は制約され、農業の生産性上昇の効果は小さい。

農業は、本来、先進国型の産業である。日本で大規模生産の農業法人が増えれば、新たな生産と雇用が生まれ、地方創生の柱ともなる。TPPは、コメの減反廃止と連動しなければ、農業の活性化を通じた、安倍総理が目標とする真の成長戦略には結び付かないといえる。

著者プロフィール
八代 尚宏

八代 尚宏(やしろ なおひろ)

昭和女子大学グローバルビジネス学部特命教授

国際基督教大学卒、メリーランド大学経済学博士。日本経済研究センター理事長、国際基督教大学教授、第一次安倍内閣で経済財政諮問会議議員を経て現職。

写真/大槻純一

   

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