溢れる「中国経済悲観論」 メディアに過剰バイアス

瀬口 清之 氏
キヤノングローバル戦略研究所・研究主幹

2015年11月号 BUSINESS [インタビュー]
聞き手/本誌編集人 宮嶋巌

  • はてなブックマークに追加
瀬口 清之

瀬口 清之(せぐち きよゆき)

キヤノングローバル戦略研究所・研究主幹

1959年東京都出身。東大経済学部卒。82年日本銀行入行。在中国日本大使館書記官、日銀政策委員会企画役、米ランド研究所派遣を経て、2006年から3年間、日銀北京事務所長を務める。09年より現職。年に中国に4回、米国に3回渡航し、両国政府高官や金融・経済界トップと意見を交わす中国経済エキスパートである。

写真/平尾秀明

――世界の金融・為替市場が中国経済の「失速リスク」に動揺しています。

瀬口 上海株の暴落と人民元安の問題をネタに、内外メディアは中国経済の失速リスクを、実態以上に煽っています。

――李克強首相は「今年は7%成長」と言うが、誰も信じません。既に5%台に減速しているとの見方もあります。

瀬口 中国経済がすぐにも失速、破綻するかのようなリスクを強調する報道が多すぎます。今に始まったことではないが、書店には「中国崩壊」本が溢れています。多くの日本人が反中・嫌中感情を共有しているから中国悪玉論が売れるそうです。それを前提に新聞や雑誌も、読者が喜ぶ悲観的な見出しをつける。こうしてメディア報道に「悲観バイアス」がかかるのです。最新の現地情報を基に中国経済を分析すれば、今年の下期から来年にかけて小幅ながら成長率が上昇する可能性が高い。中国政府関係者と現地のエコノミストの多くは、今年と来年は7%程度の成長を保つと見ています。予想外の下押し圧力がかかっても、財政・金融両面で景気刺激策の発動余地が大きく、景気下振れリスクは小さいでしょう。

中国景気は緩やかな回復へ

――足元の経済指標はどうですか。

瀬口 9月13日に公表された8月の主要経済指標を見ると、固定資産投資は緩やかな低下傾向を続けていますが、工業生産はわずかながら改善し、消費も回復しています。8月の人民元安の主因とされた輸出の伸び率もマイナス幅が小幅ながら縮小しました。メディアは依然としてマイナス面を喧伝していますが、マクロ経済指標を素直に読めば、8月の経済情勢は7月に比べて改善しているのは明白です。地方政府の債務管理強化策で停止していた地方プロジェクトが動き出し、不動産投資の回復も見込まれます。その先は、来年からスタートする第13次5カ年計画の柱となる3大国家プロジェクト(新シルクロード構想、長江経済ベルト、北京・天津・河北省経済圏)関連の公共投資拡大が、景気を押し上げるでしょう。年末から来年にかけて中国の景気は緩やかな回復に向かうと思います。

――中国当局が発表する経済統計データは、鵜呑みにしてよいものですか。

瀬口 中国の経済指標はエコノミスト泣かせです。従来、中国の経済統計データは年初来累計ベースで公表されるため(月次データは非公表)、各月の前年比を出すことができませんでした。こうしたデータの出し方ですと、短期的な経済指標の微妙な動きを把握できず、統計データの利便性の低さが、中国経済への不信に繋がる面がありました。中国経済の不透明感が金融・為替市場を乱高下させた反省もあり、9月に国家統計局は統計データの公表方式の改革を打ち出しました。一方、地方政府が発表する統計データの信頼性は低く、大多数の省のGDP成長率が、全国データを上回っています。他にも改善すべき点が多々ありますが、市場の手痛い洗礼を受けた中国政府が、世界標準の経済指標の公表に向け、一歩前進したと評価すべきでしょう。

――日本の中国向け輸出数量が、8月に1年前より9%も減り、7~9月期のGDPもマイナス成長だったようです。

瀬口 日本の景気停滞は、中国経済の減速が主な原因ではありません。多くの日本企業が中国ビジネスに対して慎重すぎるからです。何でもかんでも中国のせいにすべきではない(笑)。

2005年以降、貿易黒字を積み上げた中国は、従来の輸出競争力強化策を縮小し、内需主導型経済成長モデルへの転換を促進しました。その結果、08年のリーマン・ショックにもビクともせず、世界中で唯一中国経済だけが驚異的な成長(10年に10.6%)を遂げ、世界を救いました。その後、中国の成長率は緩やかに低下し、16年~20年の平均成長率は6%台前半になる見通しです。それでも09年に日本を抜いたGDP(ドルベース)は、14年に日本の2倍、20年には3倍に達する見通しです。わずか10年の間に、中国の経済成長率1%が持つ重みは3倍に拡大するわけです。

中国人旅行客が「年間1千万人」に!

――今春以降、中国人旅行客が急増し、8月単月で59万人を超えました。

瀬口 昨年の訪日中国人旅行客は241万人、今年は8月までに335万人です。その「爆買い」のおかげもあって、14年度の旅行収支は、何と55年ぶりの黒字(2099億円)に転換しました。中国では一般に、都市の1人当たりのGDPの水準が1万ドルを超えると消費行動が大きく変わり、日本の製品やサービスに対するニーズが急速に高まります。07年に1万ドルクラブに入った都市の人口は計3千万人だったのに、13年には3億人を超え、20年には7~8億人に達する見込みです。リッチに膨らむ中国市場は、日本企業にとって黄金時代を意味します。13年は131万人だった中国人旅行客は、今年500万人を超え、20年には1千万人を上回る。今後の課題は日本国内の受け入れ能力であり、ホテル、観光バス、通訳ガイド、航空便が全く足りません。

――中国の高度成長は続きますか。

瀬口 20年代に入ると、高度成長は終焉を迎えます。内陸部の都市化とインフラ建設というエンジンの推進力が落ち、労働力人口の減少が加速するため、成長力は4~5%に低下します。一方、その頃には中国人1人当たりのGDPはOECD加盟国レベルに達し、先進国の仲間入りをしています。中国が安定的な経済運営を継続するには、国有企業の民営化、過剰設備の削減、金融自由化、所得格差の是正、地方行財政改革、環境保護、役人の綱紀粛正などの課題を、経済全体のパイが拡大する高度成長期に、ある程度克服しておかねばなりません。胡錦涛・温家宝政権が先送りした社会矛盾が深刻化しており、習近平政権はホンキで構造改革にチャレンジしています。もし、先送りすれば10年後の中国が大混乱に陥るという危機感を、政府指導層は共有していますが、うまくいくとは限りません。

   

  • はてなブックマークに追加