2015年10月号 POLITICS
「反医薬分業」「反薬剤師」の急先鋒、日本医師会(日医)の鈴木邦彦常任理事が10月末に、中央社会保険医療協議会(中医協)委員を退任する見込みだ。
日医にとってさぞかし痛手と思いきや、ホッと胸を撫で下ろす関係者が少なくない。「あからさまな薬剤師叩きが反感を呼び、日医嫌悪が広がった」と酷評する向きもある。
中医協は医療保険から支払う医師や薬剤師への報酬を決める厚労省の重要諮問機関。日医など診療側7人、健康保険組合など支払い側7人、大学教授など公益側6人の三者構成になっている。診療側のうち3人は「日医推薦」が慣例だが、2009年秋に政権を奪った民主党は日医の推薦を拒否し、茨城県医師会理事の鈴木、京都府医師会副会長の安達秀樹、山形大学医学部長(現在は学長特別補佐)の嘉山孝正の3人を一本釣りした。鈴木氏は「地域医療の代表」の名目で選ばれたが、内情は「出身母体の茨城県医が民主党の政権樹立に貢献した、そのご褒美抜擢」(医療専門誌記者)だった。
10年4月に茨城県医の原中勝征会長が日医会長に就くと、側近の鈴木氏の活躍の場が増え、発言が注目を浴びるようになった。民主党政権の凋落とともに原中会長の権勢は衰え、12年の4月に福岡県医会長の横倉義武氏が、原中氏の後を襲ったが、鈴木氏は常任理事に留まった。12年末に自民党が政権に返り咲くと、中医協の診療側委員3人の「日医推薦」も復活した。
中医協委員の任期は最大3期6年。通常は最大任期を務めるが、民主党政権で選出された嘉山氏は13年10月(在任4年)に中川俊男・日医副会長と交代し、安達氏も14年7月(同4年9カ月)に松本純一・日医常任理事に譲った。民主党から自民党政権に代わり、日医会長が横倉氏に代わっても、唯一、鈴木氏だけが中医協委員に残留している。
嘉山、安達両氏の主張は必ずしも「日医ベッタリ」ではなかったが、鈴木氏は日医の利益を守り、「汚れ役」を厭わない。だからこそ、横倉会長は鈴木氏だけは中医協委員を続けさせた。
鈴木氏が特に目の敵にしたのは医薬分業と薬剤師である。「薬局がいいという人は誰もいない。これまで悪いことしてきたんじゃないか」「母屋(病院)でお粥をすすっているのに、離れ(薬局)ではすき焼きを食べている」「(薬剤師は)薬を袋詰めしているだけ」などと罵倒してきた。
極め付きは13年12月の中医協。医師が処方箋を出しているのに「後発品で事故が起きたら薬局、薬剤師が責任を負え」と訴えたほか、病院に勤めている薬剤師の業務費を「診療報酬ではなく調剤報酬の財源でやってくれ」と言い放った。このような「暴言」を繰り返す御仁が「地域医療の代表」とは聞いて呆れる。「まるで日医が利益拡大のために送り込んだブルドーザー」と顰蹙を買った。
医薬分業や薬剤師を叩いて診療報酬アップを要求する鈴木氏の「ひたむきな姿」は、日医内でそれなりの評価を獲得し、今まさに3期6年の最長任期を全うしようとしている。しかし、鈴木氏の恫喝めいた発言の数々は「開業医にカネを寄越せ」と、ごねているとしか受け止められず、反感を招いた。相次ぐ暴言にもかかわらず、「汚れ役」の鈴木氏を使い続けた横倉日医は、ボディーブローのような副作用に苦しむことになる。