「無邪気な駄々っ子」人間国宝柳家小三治

2014年9月号 LIFE
by 太田博(ジャーナリスト)

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落語界にこの7月、3人目の人間国宝(重要無形文化財保持者)が誕生した。10代目柳家小三治。74歳。少々風変わりな噺家である。従来の型に収まらない「国宝」が大らかで、静謐な落語を甦らせてくれそうだ。

異彩ではあるが、ひねくれ者ではない。ただ、虚実が不透明で、とらえどころがない。叱られるかもしれないが、無邪気な駄々っ子に見える。

人間国宝認定後に早速それが表れた。

先の落語協会の「寄り合い」では、「ま、そういうこと(人間国宝)になりました」と、人を食った素っ気ない挨拶。そして、記念品(着物一式)贈呈の際、司会の柳家喬太郎が「こういうことを、師匠はお厭でしょうが……」と機先を制し、場内は大爆笑。当人は照れ臭そうに「青天の霹靂です」。後輩たちにもすっかり性分を読まれていた。

「うれしくないんですか」と意地悪く聞くと、「年金(特別助成金)が付くけど、使い道を報告するのが面倒だから『何も使いませんでした』って返したらどうなるんだろうね」。もちろん、照れ隠しの冗談である。

うれしくないはずはないのに、素直に表に出そうとしない。ひょっとすると、「照れ屋」「謙虚さ」を「演出」し、周囲がそれにどう反応するかを楽しんでいる風にも見える。

摑みどころのない言動とは異なり、小三治落語の特色は「端正」「骨格の強さ」「品格の良さ」である。通(つう)を唸らせ、初心者を爆笑の渦に巻き込む。優等生的落語を徹底的に否定してきた。「子どもにお伽話をしてやるような噺をしたい」

その心情が如実に表れるのが「まくら」である。多彩な趣味、生来の知識欲、好奇心から生まれたものばかりだ。

オーディオ、オートバイ、カメラ、俳句、蜂蜜や塩へのこだわり等々、いずれも専門家裸足の知識に包まれている。

車庫に住み着いたホームレスとの攻防を描いた「駐車場物語」、玉子を掛けて食べるだけの薀蓄を語る「玉子かけ御飯」、語学研修の「めりけん留学奮戦記」などは、独立してCDにもなった。さらに、本格的な音楽修業をしてコンサートも開いた(CD『柳家小三治 歌ま・く・ら―ボクは歌の好きな少年だった』)。

桂米朝と2人の人間国宝を抱える「東京やなぎ句会」での俳号は土茶。「煮凝りの身だけよけてるアメリカ人」「ひくひくとなかなか出ない友の咳」――「落語風俳句」である。

融通無碍に見えるが、本来の落語には妥協はない。整然とした語り口の中に、「おかしみ」と「現実感」をしたたかに織り込む。

骨董品を探す道具屋の噺「猫の皿」で、田舎の茶店にトウモロコシが植えてある。「江戸時代にトウモロコシ?」。客席が訝しがる空気をとっさに悟り、別の会では「江戸で流行っているらしいが、こんな田舎にまで……」と変えた。調べ上げたのだ。すべてがこんな調子、小三治落語は日進月歩なのである。

認定と同時期に2期4年務めた落語協会会長職を降りた。

「辞めた直後の高座を聞いて欲しかったなあ。肩の荷を下ろしたら、俺はまだこんなに出来るんだって……」。「人間国宝」が落語の邪魔にならなければいいのだが……。

   

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