2014年7月号
連載
by 宮
日本三大桜として名高い「滝桜」(福島県三春町、5月24日)
葛尾村野行地区の人々が暮らす仮設住宅(三春町狐田、5月24日)
仮設住宅の片隅に建つ夢工房「葛桜」
夢工房で自らの作品に囲まれた島抜年秋さん
撮影・本誌・宮嶋
小さな丘をゆくと、この世のものとは思えない老巨木が現れた。樹齢は1千年を超え、高さ12m、根回り11m、四方の空からしな垂(だ)れかかる新緑は流れ落ちる滝を思わせる。春には30万の花見客が訪れる名勝「三春滝桜」からクルマで10分、震災直後に全村避難した葛尾(かつらお)村の人たちが暮らす仮設住宅を訪ねた。
島抜年秋さん(64)が、三春町にやって来たのは3年前。県内の避難所を転々とした後、母と妻と長男の4人で3部屋の仮設暮らしを始めた。30年間勤めた建設会社は閉鎖され無職になった。長引く避難生活のストレスからか、奥さんが急性呼吸困難で亡くなり、母親(85)は介護施設に入り、長男(38)と2人暮らしになってしまった。息子が仕事に出かけた後、小さな台所で茶碗を洗い、洗濯をする。
仮設の女たちは子や孫のことや世間話で盛り上がるが、仕事一筋で生きてきた男たちは黙りこくって会話がない。大工だった父の姿を見て育った島抜さんはノミで木を削り、丹念にヤスリで磨いた表札や看板を、避難生活でお世話になった人たちに配り、喜ばれた。その島抜さんが手持ち無沙汰の仲間を誘い、仮設の片隅に木工房を作ったのは1年半前。葛尾と滝桜をかけ夢工房「葛桜(かつろう)」と名付けた。今では古里の郷愁を誘う古民家の大作や桃色のビーズで象(かたど)った滝桜、パイプや置物など約50点が飾られている。
島抜さんの自宅がある野行(のゆき)地区は放射性プルームが通過した帰還困難区域。空間線量は今も10μSvを超える。除染が始まるのは早くて3年後。村の飲み水は井戸か引き水だから、山の除染をしない限り帰れない。
「(政府や東電に)何を言っても始まらない。帰るにしても15年か20年後。帰るとか帰らないとか……、そっとしておいてほしい」。島抜さんは1日も休まず夢工房に通う。寡黙な男たちの憩いの場はここだけだ。