英名門サッカークラブ買収 中国富豪「断念」劇の裏

プレミアリーグに食指を動かすが、習一族の蓄財疑惑とニアミス。香港紙の報道は中国の干渉で腰砕け。

2014年3月号 GLOBAL
by 盧四清(香港の中国人権民主化運動情報センター主席)

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「王健林のサウサンプトン買収断念に習家が関与か」。1月22日、香港で発行部数トップの大衆紙、東方日報にそんな見出しの記事が掲載された。王健林は大手不動産デベロッパー「万達グループ」の創業経営者で中国屈指の大富豪。サウサンプトンはサッカーの英プレミアリーグの名門クラブで、日本代表DFの吉田麻也が活躍している。そして習家とは中国の最高指導者、習近平国家主席(兼党総書記)の一族のことだ。

幻のサウサンプトン買収

この記事は、我々香港の中国人権民主化運動情報センターが配信した独自情報を基に書かれたもの。きっかけは1月18日、英大衆紙のミラーが「王がサウサンプトンを1億7500万ポンド(約290億円)で買収する意向を示している」と報じたことだ。その2日後、王は中国紙の取材に対して「根も葉もない作り話」と全面否定した。

古田麻也(最後方)が活躍する英プレミアリーグのサウサンプトンがあわや

AFP=Jiji

万達グループの王健林董事長

Imaginechina/Jiji

そこで我々が調査すると、王が買収を断念したのは、ある有力者が「目立つ行動を取るな」と制止したためだとわかった。サウサンプトンを買収すれば、王や万達グループに世界中のメディアの注目が集まる。すると万達と習家の関係についても探られる可能性があり、それを恐れたという。

2012年6月、米ブルームバーグは習の親族の財産を調査し、わかったものだけで総額3億7600万ドル(約380億円)に達すると報道した。その中で、習の義兄の鄧家貴が代表者を務めていた北京の企業が、09年に万達の未公開株を3千万元(約5億円)で購入していたと暴露。習の親族は、これを蒸し返されるのを警戒した。

とはいえ、仮にメディアが蒸し返しても黙殺できたはず。わざわざ王を制止し、買収を思いとどまらせる必要があったのか。この疑問に対するヒントは、同じ1月22日付の別の香港紙にあった。米国の非営利報道機関、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が、カリブ海などのタックスヘイブン(租税回避地)に登記された10万社を超す企業や投資ファンドに関する秘密ファイルを分析し、投資家リストの中から共産党指導者の親族の名前を複数確認した(68~69ページ参照)。そして、ICIJの調査に協力した香港の明報がそれを報じたのだ。

ICIJのウェブサイトでは、調査結果を英語と中国語で公開。名指しされた親族の中には、先に触れた習の義兄の鄧家貴も含まれていた。そんなタイミングで王健林がサウサンプトンを買収すれば、党指導者の腐敗に対する民衆の怒りの火に油を注ぐことになりかねない。習の親族が王を制止したのは、ICIJの動きを事前に察知していたからだろう。

香港メディアでICIJの調査に直接協力したのは明報だけであり、本来なら競合他紙に先駆けて詳しく報じることができた。ところが、同紙の報道は奇妙だった。1月22日付の記事では現役指導者の習には触れず、すでに引退した温家宝の疑惑についてのみ伝えたのである。

温の親族に関しては12年10月、米ニューヨークタイムズが「掌握する資産は少なくとも27億ドル(約2750億円)に達する」と報じたのが記憶に新しい。同紙は昨年11月に続報を打った。娘の温如春が役員を務めるコンサルティング会社が06年に米JPモルガン・チェースと契約を結び、2年間にわたって総額180万ドル(約1億8千万円)のコンサルティング料を受け取っていたという。

ICIJの調査はこの続報を裏付けた。件のコンサルティング会社は、04年に温如春の夫の劉春航によって英領バージン諸島に設立。2年後に温家宝の弟のビジネスパートナーである張玉宏という女性実業家に譲渡されていた。一族ぐるみで蓄財に励んでいた事実が、秘密ファイルから確認されたのだ。

それ自体はもちろんスクープだが、温以外の指導者の疑惑を報じない理由にはならない。さらに不可解なのは、明報のコラムニストの1人で全国人民代表大会(全人代=中国の国会に相当)の元香港代表の呉康民が、1月18日付のコラムで温から呉に宛てた私信を公開していたことだ。その中で温は、「職権を利用して私益をはかったことは一度もない」と潔白を強調。まるで4日後のICIJのレポートを知っていたかのような“釈明”だった。

「明報」のブランドに傷

香港では、1997年に中国に返還された後も「一国二制度」の下で報道の自由が維持されている。明報は反中にも親中にも偏らない独自の中道路線を取り、情報の信頼度が高いメディアとして定評があった。ところが、ICIJのレポートをめぐる報道姿勢では自らブランドを傷つけてしまった格好だ。

背景には編集方針を巡る社内の混乱がある。1月6日、同紙は編集長の劉進圖の異動を突然発表。記者たちはこれに反発し、経営陣に人事の撤回を求めた。1月20日には、過去のスクープ報道の紙面を両手に掲げた社員110人が本社ビルのロビーに無言で立ち並ぶ抗議パフォーマンスを行い、世論の支持を訴えた。タイミングを考えれば、ICIJの調査の取り扱いについて、共産党中央宣伝部や個別の有力者から経営陣に圧力がかかったと見て間違いない。

明報の迷走は、今日の香港メディアが置かれた状況を象徴している。インターネットの影響で紙媒体の経営が苦しくなるなか、中国大陸から有形無形の干渉が強まっている。経営者は報道の自由を守るよりも、政治的に敏感な話題を避けて娯楽路線に舵を切りたいのが本音だ。

香港には反中を売り物にする蘋果日報のような新聞もあるが、同紙はそもそも娯楽路線。調査報道にカネをかける気はなく、ネット上の真偽の怪しい情報に尾ひれをつけて報じているのが実態だ。香港中文大学が市民を対象に定期的に実施している調査によれば、現在の香港メディアの信頼度は返還以降、最低の水準に落ち込んでいる。

(敬称略)

著者プロフィール
盧四清

盧四清

香港の中国人権民主化運動情報センター主席

1964年、湖南省生まれ。人民解放軍兵士だった16歳の折、民主化を求めて1年間拘束され解放軍から除籍。長沙市の南工業大学に入学、2年半で学部を繰り上げ卒業、コンピュータ専攻の大学院修士課程に入る。英、独、ロシア、日本語に堪能。89年の天安門事件では湖南省高自聯(大学連合会)主席として、20万人を超すデモを組織したが、事件後自殺未遂を経て1年間拘束される。93年、香港に亡命。プログラマー・アナリストのかたわら、94年に香港に人権組織を設立して主席となる。センターが発信した中国の内幕情報は現在までに3800件に及び、大部分が共同、時事はじめAFP、ロイター、APなどの通信社を通じて、世界の主要新聞に掲載されている。

   

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