創設から2年間で来場者が60万人を超える日本一の屋内遊び場に成長。親子の笑顔が溢れる楽園に、福島の「心の復興」を見た。
2014年1月号
INFORMATION [福島「心の復興」 ①]
取材・構成/編集部 和田紀央
送迎バスを寄贈した大高善興社長(後列左から2人目)
郡山市の子どもたちに大人気の「PEP Kids (ペップキッズ)Koriyama」 が、クリスマスで満2歳を迎える。PEPとは、英語で「元気な」の意味。放射能汚染で外で遊ぶことができなくなった子どもたちのために創設された東北最大級(1900㎡)の屋内遊び場である。大震災以降、福島県内には60もの屋内遊び場が開設されたが、ペップキッズはそのパイオニア。2011年12月23日のオープン以来、来場者は親子合わせて延べ60万人を突破。「また連れていって!」と、せがむ子どものリピーター率は90%を超え、親子の笑顔が弾けるモデル施設になった。その評判の高さに地元自治体や政府関係者の視察が相次ぎ、13年の春には安倍晋三首相、秋には皇太子ご夫妻もご来訪になった。産みの親である東北最大のスーパー「ヨークベニマル」の大髙善興社長(73)は「この2年間に、私たちは『3・11』の試練を乗り越えてきました。ここにはお母さんと子どもたち、スタッフの満開の笑顔が溢れています。それはおカネやモノでは買えない、福島の心の復興なのです」と語る。
郡山発祥のヨークベニマルは「3・11」で従業員24人を失い、170店舗中105店が閉鎖されたが、2カ月後には津波と原発被害の7店舗を除く全店再開にこぎ着け、「奇跡の復活」を遂げたことで知られる。
「ペップキッズこおりやま」のエントランス
子どもたちと遊ぶ阿部さん
その困難を克服した大髙社長は、同郷の小児科医・菊池信太郎氏(43)が催した屋内遊び場イベントに溢れる子どもたちの笑顔に心を打たれ「常設遊び場」の創設を思い立つ。郡山市職員ら地元の有志7人が加わり、ペップキッズプロジェクトは急発進した。「ふるさとの子どもたちを守るのは大人の責任。震災直後から子どもたちの体づくりや心のケアに取り組んできた菊池先生の思いを実現させたかった。ペップキッズは、最後のご奉公だと思いました」(大髙社長)。親会社であるセブン&アイ・ホールディングスの全面支援を取り付けた大髙社長は、郡山市に土地と建物の無償貸与と遊具一式の寄付を申し出た。屋内遊び場を全国展開するボーネルンド社を始め、多くの企業の協力を得たペップキッズは、構想からわずか3カ月後に被災地の「子どもの楽園」として誕生した。
ペップキッズには見ているだけで楽しくなるカラフルな遊具が勢ぞろい。一番人気の10万個のボールプールや、巨大な砂場、飛んだり跳ねたりのマットゾーン、全力疾走できるランニングゾーン、サーキットゾーン、「ごっこ遊び」ゾーン、這い這い赤ちゃんの「ベビーゾーン」、そして食べることの大切さを料理しながら学べる「ペップキッチン」。好奇心旺盛な子どもたちを飽きさせることがない。
ペップキッズの長所は、単なる遊び場ではないことだ。運動能力の向上だけでなく、手先が器用になったり、集中力や想像力、コミュニケーション能力が高まる様々な遊びを仕掛けている。そのガイド役となるのが緑のユニフォームを着た「お兄さん、お姉さん」たちだ。専門的な研修を積んだ彼らは「プレイリーダー」と呼ばれ、20人が常駐。子どもたちと一緒に遊びながら、新しい遊び方のヒントを与え、いろいろな身体の動かし方や創意工夫を促す役割を担っている。その責任者を務める阿部直樹さん(28)は「プレイリーダーこそがペップキッズの宝です」と言う。「子どもたちの生活はペップキッズだけでは完結しません。私たちはもっと外に目を向けて、地域ぐるみで子どもたちを育てていきたいと考えています。ペップキッズを舞台にママたちの交流が増え、地域と家庭を繋ぐ架け橋になりたい」と目を輝かせる。「ここに遊びに来たくても地元の保育園には足がない」という阿部さんの訴えに、大髙社長はマイクロバスを寄付し、今年から園児の送迎が可能になった。
ペップキッズは12年5月、運営主体となるNPO法人郡山ペップ子育てネットワークを立ち上げ、子育て関連の情報発信や、勉強会の開催、放射能の健康被害に関する知識啓発にも取り組んでいる。さらに、慶応大学の小児科医・渡辺久子氏の監修のもと臨床心理士が週1回館内を巡り、子どもたちの心のケアや、子育て相談にも応じている。こうした活動にも、プレイリーダーが活躍する。「私にできることは物心の応援だけです。5年後、10年後のビジョンは、若い皆さんに描いてもらいたい。原子力被災地の心の復興を、世界にアピールしてほしいと思います」(大髙社長)