アジアこそ成長の源泉  「内なる国際化」がカギ

西村 元延 氏
マンダム社長

2013年12月号 BUSINESS [インタビュー]
インタビュアー 本誌 宮嶋巌

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西村 元延

西村 元延(にしむら もとのぶ)

マンダム社長

1951年大阪府生まれ。明治学院大学経済学部中退。80年前に「丹頂チック」を発売し、一世を風靡した創業者、新八郎氏は祖父。77年に亡父・彦次氏が社長を務めるマンダム入社。95年より社長。東南アジア展開のリーディングカンパニー。

写真/平尾秀明

――「ヘアジャム! ヘアジャムじゃない! ……変態兄弟!」。ギョッとする黒塗りの松田翔太さんが登場するテレビCMが「面白すぎる」と話題です。

西村 「つかみ」に苦情が殺到したらどうしようと悩んでいました(笑)。でも、9月後期の全テレビCMの中で好感度6位。8月発売のヘアジャムは好調です。

――男性整髪剤は年々縮小しています。

西村 特にヤング男性のスタイリング剤離れが著しい。2001年には80%だった男子高校生の整髪剤使用率は昨年25%まで落ちています。

――すごい減り方ですね。

西村 当社が行ったヤング男性のマインド調査によれば、「さとり世代」と呼ばれる現代の高校・大学生世代の価値観は、10年前の若者と明らかに異なっています。彼らは場の空気を読みながら、周囲に合わせて器用にキャラを使い分けています。かっこつけるより自然体、自己主張しすぎないものの、自分なりのこだわりを持っており、SNSなど情報社会の中で、周囲との調和を重視していることも特徴です。そこで、彼らの志向や価値観からヘアトレンドまで徹底的に分析し、等身大の現代の若者が使ってみたいと感じるような新商品を開発したいと考えました。それがヘアジャムなんです。

ドバイ経由で世界90カ国に進出

――サントリーやソフトバンクに匹敵するCM好感度。際どいつかみの宣伝は、オーナー企業でなければ打てませんね。

西村 当社の創業当時(1927年)の社名は「金鶴香水」でした。そのキャッチコピー「一滴、二滴、三滴、素滴」は、広告史に今も残っています。70年にハリウッドスターのチャールズ・ブロンソンさんを使った「う~ん、マンダム」のCMが大ヒット。78年に発売した「ギャツビー」の広告では、翔太さんの亡父、松田優作さんが大活躍。とにかくカッコよかった。06年の「ヘアワックス」ではキムタク(木村拓哉さん)がダンスを踊って、CM好感度1位になりました。

――斬新な広告作りのコツは?

西村 長いお付き合いのクリエーターさんと悪戦苦闘、ぎりぎりのコースを狙います。ダメ出しもしばしば。広告はつかみが命、とにかく面白くなければ――。

――中間決算(4~9月期)で売上高、利益ともに過去最高を更新しました。

西村 前年同期に比べ連結売上高は9.4%増。日本国内の売上高は4.3%増ですが、海外主力のインドネシアは13.7%増となり、海外売上高が34%から37%に拡大しました。

――現在、何カ国に進出していますか。

西村 当社の海外進出は化粧品業界の中でも58年からと早く、インドネシアを中心にアジア9カ国と香港で11社を展開しています。当社の海外売上高の6割を稼ぐマンダムインドネシア(MID)は69年に設立。93年にジャカルタ証券市場に上場し、現在、年間売上高1兆8500億ルピア(100ルピア=約0・9円)に達しています。さらにMIDからドバイに輸出した商品が世界90カ国に再輸出されています。中東の貿易物流センターであるドバイにショーウィンドー機能があり、そのコネクションを使って、昨年3月にインドにも子会社を設立しました。

――MIDはどこまで伸びますか。

西村 インドネシアの1人当たりGDPは5年間で倍になり、昨年3500米ドルを超えました。富裕層・中間層が拡大し、総人口の3分の1に当たる約8千万人の世帯所得が5千米ドルを超えたようです。個人所得が年間2千米ドル以下の時代は、日本円換算で単価5円以下の小分けにしないと売れない商品が、普通のパッケージで売れるようになります。しかも、インドネシア人口の平均年齢は28歳で人口ボーナス期が2030年代まで続きます。さらに、MIDの売上高の半分は、日本では販売していない女性化粧品です。かの地ではマンダムは男性化粧品の代名詞ではありません(笑)。

――ジャカルタに新工場を作りますね。

西村 来年末に完成したら生産能力は1.6倍になります。今はインドネシアに続く成長戦略はマレーシアと香港です。タイ、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、フィリピンは、まだ化粧品市場が大きくないものの、経済成長のスピードが速く、成長のポテンシャルも高いため、近い将来、欧米化粧品メーカーが殺到するでしょう。その先手を打って、ASE
ANエリアの市場を開拓し、数年後には日本と海外の売上高をフィフティフィフティにしたいと思います。

常にアジア規模で発想せよ!

――社長在任18年になりました。

西村 祖父(新八郎)が創業し、父(彦次)と叔父(育雄)の後を継いだ私は4代目の社長です。企業経営とは時間的分業であり、18年はアッと言う間でしたね。今の時代は、一時の好業績に安堵していられる環境ではなく、経営的な課題に気がついた時に、先送りせずに解決しなければ手遅れになります。

――今後10年の経営的な課題は?

西村 10年先なんて勘弁してほしいですね(笑)。今、当社の一番の課題は、商品のグローバル化は一段と進んだけれども、内なる国際化が進んでいないことです。経営戦略や生産技術などはマンダムジャパン中心で構わないが、マーケットとしては日本はアジアの一つのエリアでしかない。社内の会議では「常にアジア規模で発想をしてほしい」と、口が酸っぱくなるほど言っています。

MIDの従業員約4500人のうち、日本からの出向は約20人。社長こそ日本人ですが役員はローカルのほうが多い。当社の経営そのものをアジアグローバル化しなければ、グループ全体を引っ張っていくことが難しくなっています。

2年前から1年間の「海外トレーニー制度」をスタートさせ、若手社員を海外グループ会社や国際協力機構(JICA)に派遣しています。日本とは異なる価値観(生活者・文化・歴史・風習)に触れ、海外で学んだ人財を増やすことで、内なるグローバル化を促進したいのです。

   

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