山本 達也 氏
清泉女子大学 准教授国際政治学者
2013年9月号
GLOBAL [インタビュー]
インタビュアー 岩村宏水
1975年生まれ。06年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程修了。13年4月より現職。02年から3年間シリアのアレッポ大学に滞在、中東情勢を読み解く独自の視点を磨いた。
――エジプトでは7月にモルシ前大統領が軍の手で解任され、暫定政権に移行。2011年のムバラク政権崩壊から2年余りで2度目の政変ですね。
山本 モルシ氏の解任後も、出身母体の「ムスリム同胞団」の支持者たちが抗議活動を続け、政情は極めて不安定です。
11年と今年の政変は、どちらも政権への不満を叫ぶ民衆が首都カイロ中心部のタハリール広場に集結したのが発端でした。しかし集まった人々やその主張を見ると、2つの政変には大きな落差があります。
――どのような落差ですか。
山本 11年の政変を主導したのは、インターネットを駆使する大卒の知識青年たちでした。彼らはSNS(交流サイト)のフェイスブックをフル活用し、30年近く続いたムバラク政権の専横や腐敗を糾弾。秘密警察による拘束や拷問のリスクも顧みず、タハリール広場でのデモを呼びかけました。
呼応した人々には「ムバラク政権を倒してエジプトをよくしたい」という、ある種の理想や高揚感がありました。ムスリム同胞団や軍などの政治勢力は、後から広場に来たのです。
ところが、今年の政変の主役は失業や物価高にあえぐ貧しい人々でした。知識青年の姿は目立たず、2年前の理想や高揚感は霧散し、デモ隊は現状への不満を爆発させるばかりでした。
――なぜ違いが?
山本 背景にはエジプトが抱える構造問題があります。人口急増と油田の減衰です。50年代以降、人口は年平均2~3%の増加率が続き、今や8300万人。80年の4400万人から35年で倍増の勢いです。
一方、エジプトは小なりとはいえ産油国で、かつては国内需要の増加を賄いつつ輸出もできる生産量がありました。ムバラク政権は石油輸出の稼ぎを補助金に回し、国内の食糧価格を抑えて貧困層の不満を和らげていました。
ところが、エジプトの油田は90年代半ばにピークを過ぎ、減衰が始まりました。00年代後半には輸出余力がほとんどなくなり、補助金の原資が底をついた。そこに08年のリーマンショックが直撃し、失業急増と食糧価格の高騰で一気に社会が不安定化したのです。
――それがムバラク政権を崩壊に導いたと。
山本 11年の政変を主導した知識青年たちは、諸悪の根源がムバラク政権にあると信じていました。現実には、政権をすげ替えても構造問題は解決しません。むしろ年月とともに悪化します。2度目の政変が今年起きたのは、モルシ政権が構造問題にまったく対応できなかったからです。しかも、宗教や憲法をめぐる対立で社会の分裂を招き、混乱に拍車をかけました。
――エジプトに安定は戻るのでしょうか。
山本 人口増加と油田の減衰を止めることは誰にもできません。今の暫定政権が失敗し、また新たな政権が誕生しても、局面の打開は極めて難しいでしょう。混乱が混乱を呼ぶ負の連鎖で、エジプトが国家崩壊に向かうことを危惧しています。