編集後記

2013年9月号 連載
by 宮

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夏草の生い茂る野を越え、「小高浮舟ふれあい広場」(原発15キロ地点)にたどり着く。4年前に南相馬市と小高区商工会が開設した白壁のふれあい館は、大震災にビクともしなかったが、小高区全住民(約1万2千人)が避難を余儀なくされ、広場も閉鎖された。昨年4月、警戒区域が解除され、宿泊はできないが立ち入りは自由になった。そして今年4月、市と商工会は一時帰宅の住民に役立ててもらおうと、広場を再開させた。

その管理人に選ばれたのは東電社員の千葉清和さん(55)。本店の警備室に勤務していたが、警備業務がリストラ(外部委託)され、居場所を失った。千葉さんは「福島復興本社勤務」を志願。生まれて初めて故郷の千葉県を離れ、被災地に単身赴任した。その直後から「ちゎ~ス。チーバくんです!」と軽妙な語り口で、心あたたまるブログを書き始め、地元の最新情報を発信し続けている(「管理人チーバくん」をご検索あれ)。

上下水道が不通の小高区は街全体が死んだよう。商店街はすべてシャッターを降ろし、人影もない。ただ聞こえてくるのは、ふれあい広場から流れる最新J-POPの歌声。一時帰宅した住民に交流の場が開かれていることを伝えている。

「初めは1日平均2~3人のご来訪でしたが、お盆の入り日は20人もお越しに。9月から公共施設の除染が始まり、12月末には上下水道が復旧します。会社からは3年といわれてきましたが、私は定年までこの地で頑張りたいと思います」

原発事故は東電社員3万8千人の人生行路を打ち砕いた。今も汚染水の海への流出を食い止めるため、盆も休日も昼夜もない突貫工事が進められている。発災後、すでに1200人が中途退社し、東電の組織はガタガタ。出口のない「終身流刑」では辞めて行くのも無理はない。若い人ならなおさらだ。

   

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