新・歌舞伎座ブームに松竹がビクビク

舞台を彩る役者たちに病気やケガが続出。ファンを喜ばせる番組作りができるか頭が痛い。

2013年2月号 DEEP

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新しい歌舞伎座が東京・銀座の一角に威容を見せ始めた。

晴海通りからは、伝統を誇る歌舞伎座の象徴でもある山型の屋根、唐破風(からはふ)が正面に威風堂々と鎮座しているのが見えてきた。開場までのカウントダウンの時計も「4月2日」の杮落(こけらお)としの瞬間に向かって動いている。

待望の杮落とし公演の日程も決まった。4月は、人間国宝・坂田藤十郎、市川團十郎らの「壽祝歌舞伎華彩―鶴寿千歳」で開幕、昨年末に死んだ十八世中村勘三郎ゆかりの演目「お祭り」を、子息の勘九郎、七之助と盟友の坂東三津五郎が追悼番組として上演する。死後も衰えぬ「勘三郎人気」で、再開場の話題を盛り上げるつもりだ。

順風満帆の船出と見える新装歌舞伎座だが、ここにきて少々気になることが続発して松竹株式会社・歌舞伎座幹部を悩ませている。舞台を彩る役者たちが次々と不思議な災難に遭うのだ。懸案であり、ファンにも長年の夢だった歌舞伎座の改修である。なんとか満艦飾で送り出したいところなのだが……。

チケットの奪い合いになる

新・歌舞伎座は5代目になる。1889(明治22)年11月に、当時、木挽町と呼ばれた同地に誕生し、明治、大正、昭和、平成と125年の歴史を経て、平成の大改築が5期目の模様替えというわけだ。

この不景気な時代の改築にはさまざまな決断が必要だった。そもそも興行主の松竹の社長、会長を20年以上も務めた故・永山武臣氏の長い間の念願だった。十数年前から青写真が出来ていて、永山氏自身の口からも、「そろそろ着手を――」の声は何度も上がっていた。歌舞伎役者が、襲名や名題昇進の際の口上には、必ず「永山会長(社長)のお許しを得て」という枕詞が必要なほどの「絶対専制君主」的存在だった永山氏ですら生前にはついに「ゴー・サイン」が出せなかった難題であった。

結局、永山氏の死後4年を経た2010(平成22)年5月の着工である。

ただ、集客に関して松竹・歌舞伎座が当面苦労するとは思えない。1年間かけて行われる「杮(こけら)公演」は、ご祝儀人気となって完売に次ぐ完売になることは必定で、恐らくチケットの奪い合いになるに違いない。

徐々に盛り上がってきた新装歌舞伎座の再開場に冷や水を掛けるつもりはないが、役者がこうも病気やけがに見舞われると、新装に見合う役者が揃うかどうか心配になってくる。中でも、堪えたのが、オープン間際に起きた中村勘三郎の死だ。集客力ナンバー・ワンの想定外の死は、新・歌舞伎座の番組作りに大きな影響を与えるはず。

10年春、旧歌舞伎座が閉館し、歌舞伎公演を新橋演舞場に主舞台を移している間、浅草に江戸の芝居小屋を再現した「平成中村座」を開設して歌舞伎ファンをつなぎ留めていた。

また、渋谷での「コクーン歌舞伎」で若い客層を開拓するなど、歌舞伎界の旗手として将来も期待されていたことなどを考えると、松竹には最大の痛手だった。57歳という年齢からいっても興行的損失は計り知れない。

新・歌舞伎座の開場を待ちわびながら無念にも亡くなった役者は他にも大勢いた。

ベテランの中村富十郎、中村芝翫、中村雀右衛門らが、歌舞伎座の改築中に世を去った。3人は、歌舞伎の伝統と正統派を維持、継承して次代へとつなぐ重要な役割を担った人間国宝である。

新しい舞台で、若い役者たちと共演し、長年の経験と技量を注入するはずであった。その日を楽しみにしていたという。

役者に対する災難は、それだけでは済まなかった。

11年9月の新橋演舞場歌舞伎公演で、歌昇改め三代目中村又五郎が襲名披露の舞台でアキレス腱を切断した。襲名披露の当事者とあって休演するわけにもいかない。足を引きずりながら千秋楽まで務め上げた。これは楽日まで出演し続けた又五郎の根性の賞賛でことが済んだ。そして、国立劇場の市川染五郎の転落事故もあった。が、まだ終わっていなかった。

12年11月の新橋演舞場「吉例顔見世大歌舞伎」で「熊谷陣屋」の熊谷直実役で出演していた片岡仁左衛門が初日に出演しただけで公演途中、体調不良を訴えて終盤まで休演、尾上松緑が代演を務めた。1月の大阪でも公演を休んでいる。

さらに続いた。新橋演舞場の初春公演に出演予定だった市川團十郎が、体調不良のため急きょ休演、いまだに入院中である。予定していた幾つかの役を松本幸四郎が代わり、不仲を噂されてきた実弟の中村吉右衛門との共演が実現、思わぬ「お年玉」と、逆にファンを喜ばせるという皮肉な結果を生んだ。

前々から体調不十分の市川段四郎も、昨秋から舞台に上がっていない。長期療養の名脇役の澤村藤十郎も復帰が叶わないでいる。

「4・2」開幕でも大安

それにとって代わるべき若手の成長ぶりも気になる。1月の浅草歌舞伎で座頭扱いだった市川海老蔵も、例の暴力事件が尾を引いていて、以前のブーム的な人気が影を潜め、正月三が日をのぞくと空きが出たほど。「夢を売る商売ですから、ああいう事件は影響しますね」(松竹幹部)という。

昨年は、市川亀治郎の猿之助襲名、香川照之の歌舞伎役者転向など話題にはなったが、大きなうねりにはならなかった。新装の建物の魅力だけで客を呼ぶのには限界がある。魅力のある若手が登場しないと、舞台が華やかにならない。まだまだ、前述のベテラン役者の力を借りなければならない。

人の災難をとやかく論ずるのは本意ではないが、偶然にしてもこの時期にきて重なり過ぎている。外国メディアが面白おかしく伝えたように、日本人が最も忌み嫌う「4・2」をオープン日にした、という記事はともかく、「4・2」は日本人が祝事に使う「大安」でもある。

とにかく、4、5、6月と続く杮落とし公演は、3部制となり、最も多い席でもある1等席の入場料は2万円である。1日、全部見ると6万円。「うーん?」というファンの声も聞こえてくる。

   

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