亡父の十字架で「親日派の娘」の烙印が怖い。国内も米中重視・日本軽視の「空気」では。
2013年2月号 GLOBAL
訪韓した額賀福志郎特使(左)と握手する韓国の朴槿恵次期大統領
AFP=Jiji
安倍首相の特使として自民党の額賀福志郎元財務相が訪韓した1月4日、韓国外交通商部の金星煥長官は「2013年は日本との関係が外交分野の大きな課題になるだろう」と韓国外交協会の新年会で述べた。やや傍観者的な口調だったが、李明博政権の任期切れ(2月24日)で退任する人だから、当事者意識が薄れてくるのも当然だろう。
外交官出身の金星煥は、不動産売却での所得過少申告による脱税疑惑があるほか、大局観に欠ける人物でもあった。駐韓日本大使館前に慰安婦を象徴する像が反日団体によって建てられた時も、「友好国への外交儀礼に反する」と善処を促した官僚の進言を取りあわなかった。李大統領が竹島に上陸する直前も、察知した武藤正敏駐韓大使(当時)からの度重なる携帯電話を無視している。信念があるわけではなく、圧力団体や為政者の「空気」を読むことしか知らない。
それだけに、金星煥の発言からはその時の韓国の「空気」がわかる。「領土主権を守って日本に正しい歴史認識を促しつつ、未来志向的な関係を発展させなければならない」「今年は韓米同盟と韓中戦略的協力パートナー関係をどのように調和して発展させるかも重要な外交課題の中の一つ」とも、この新年会で発言した。
つまり、韓国にとって重要なのは米中両国との関係であって、安倍政権の発足で「右傾化するトラブルメーカー日本」には徹底的に対処しなければならない――韓国紙の論調を含めて、これが年末年始の「空気」なのだ。
この「空気」を考えると、時の世論に迎合する傾向がある韓国の法廷が、慰安婦問題に抗議するとして靖国神社に放火した疑いの中国人元受刑者を「政治犯」と認定し、日本への引き渡し拒否を決定したのは予想されていたことなのだ。
ところで、朴槿恵の大統領当選は日本の政界や官界を「ホッとさせた」。対抗馬だった文在寅に対し「野党統一候補は『超反日家』」(産経新聞12年11月25日付)などと一部メディアが煽った反動からであろう。確かに文在寅は「対日5大歴史懸案」(①竹島、②慰安婦、③徴用にかかわった日本企業、④教科書、⑤文化財返還をめぐる問題)で日本には絶対に譲歩しないという構想を発表したことがある。北朝鮮問題などでの対日協力にも否定的見解を示していた。
では、朴槿恵ならば日本に友好的な政策をとってくれるかといえば、「文在寅よりも厳しい対日姿勢を示すのではないか」という観測すらソウルでは少なくないのだ。父親の朴正煕元大統領が「親日派の頭目」のように思われており、それを意識せざるを得ないからだ。選挙戦中のテレビ討論会で少数左翼政党の泡沫女性候補から「親日と独裁の後継である朴槿恵候補を落選させよう!」などと攻撃された。今後日本に少しでも微笑めば「親日派の娘だからだ」と決めつけられかねず、自身の支持率へ跳ね返るであろう。
実際、朴槿恵が額賀から「『選挙の女王』として日本でも知られていますが、秘訣は何ですか」と問われて顔を綻ばせただけで、韓国の一部メディアに揶揄(やゆ)された。その場で「歴史を直視しながら和解と協力の未来をめざし、そのためには両国が信頼を築き合うことが重要だ」と発言すれば、「イミョンバククネ(「李明博も朴槿恵も変わらない」という意味を込めた朴槿恵への蔑称)が信頼云々とは笑わせる。独裁者の娘が歴史を直視せよとは世も末だ」といった書き込みがネット上に現れる始末である。
ましてや、前述した「米中重視・日本軽視」の「空気」が充満する現状は、朴槿恵の対日政策を狭める。「大統領秘書室長も経験した文在寅のほうが日本にも優しい思い切った対日政策を期待できた。日本のメディアが騒いだ対日5大歴史懸案は選挙戦中に議論にもならず本人も忘れていたはず」(ソウルの大学教授)といわれるほどだ。
日本通のある野党議員は「朴槿恵は無駄なことは言わない人なので、失言による対日関係悪化はないだろう」と楽観視しつつ、「大統領府入りが予想されるスタッフに日本通がいるかどうかは疑問」と言う。外交は大統領の情緒だけで行い得るものではない。この議員が言うように、対日関係の方向性はどんなスタッフが外交政策にかかわるかによるだろう。たしかに、李政権末期の外交通商部長官が金星煥でなければ、日韓関係はここまで悪化しなかったかもしれない。したがって、2月25日の政権発足後の人事が注目される。
先行して1月6日に発足した大統領職引き継ぎ委員会のなかには日本通がいない。この委員の多くが政権発足後も政策決定にかかわることになる。李政権発足時の同委員会には日本通が複数いたことを考えると不安を拭えない。同委員会外交・国防・統一分科委員3人のうち、外交政策の司令塔は尹炳世という元外交官(59)だ。朴槿恵が額賀と会った際も同席している側近で、朴槿恵外交の中枢になるのは確実な人物である。
親米的で合理的な実務家といわれるが、駐日公館に勤務した経験はない。ただ、金大中政権下での外交通商部アジア太平洋局審議官の時は竹島周辺水域の扱いで難航を極めた日韓漁業協定で、盧武鉉政権下で同部次官補、国家安全保障会議(NSC)政策調整室長、大統領府外交安保首席秘書官を歴任した時は小泉首相の靖国神社参拝などの歴史認識問題などで、ハードな対日交渉にあたった経験がある。
日本にとってはタフネゴシエーターである半面、対日外交の難しさを身をもって知っているだけに、「実務者としての対日外交を知らない金星煥のようなことはないだろう」(ソウルの外交筋)ともいわれている。
菅義偉官房長官は日本政府の歴史認識について「21世紀にふさわしい未来志向の新しい談話を有識者の懇談会を作って発表したい」と1月4日に述べた。安倍政権の姿勢によっては、朴槿恵政権は早々と厳しい姿勢を示さざるを得ない。野田―李明博両政権間で解決できていない慰安婦問題がすぐに浮上してくるであろう。(敬称略)