編集者の声・某月風紋

2012年7月号 連載
by 宮

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5月26日、南相馬市の中心街からクルマで約20分。国道6号線を南下し、警察の検問がなくなった小高区(原発20キロ圏)に入る。この地は、事故後間もなく立ち入りを禁じられ、4月16日に解除されたばかりだ。

津波は小高川を駆け上がり、海から3キロ離れた常磐線小高駅に迫った。大破した車が四つ角のガードレールに乗り上げ、倒壊した民家の残骸が車道にはみ出している。商店街には人影がなく、行き交う車はごくわずか。聞こえるのは蛙声(あせい)と鳥の囀(さえず)りばかりである。

駅の近くに自宅があるNさん(48)は3月12日の夜、家族5人で命からがら逃げ出した。避難所を転々とした後、相馬市内の体育館でひと月暮らした。そこで体調を崩した80代の義父が間もなく亡くなった。夫の兄の自宅があった海沿いの村上地区は根こそぎ流され、70人余が犠牲になった。原発の影響でご遺体捜索が始まったのは1カ月後。義兄の穏やかな死に顔がせめてもの救いだった。義兄の妻子は故郷を去り、Nさんの二人の息子さんもいわき市と茨城県で新たな仕事を見つけた。Nさんは今、仮設住宅で夫と猫と暮らす。小高の家の周辺の線量は低いが宿泊は禁じられている。電気が通じても、水道は来年、下水道は再来年にならないと復旧しない。ペットボトル持参でトイレは学校の仮設を借用ではどうにもならない。再開した商店はほとんど皆無。悲しい哉、これが旧警戒区域の現実だ。

6月13日、衆院議員会館に大飯原発再稼働に反対する民主党議員約30人が集まり、「政府は電力不足を過大評価している。節電と電力融通で乗り切れる」(呼びかけ人代表の荒井聡衆院議員)と訴えた。民主党全議員の3割を超える122人が署名し、もはや無視できない。反原発のアイドル、藤波心(こころ)さん(15)も登場し、「ぜひ、新党を作って!」と声を張り上げた。

   

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