各界を巻き込んだTPP狂騒曲。政治家、農業団体は“弱者”ぶるが、これぞ勝利の方程式。
2011年12月号 POLITICS
「国を開くのは最重要課題。11月が環太平洋経済連携協定(TPP)参加表明の最後のチャンスだ」(経団連の米倉弘昌会長)
「国内農業は壊滅的打撃を受ける。TPPと国内農業の振興、食料安全保障は両立できない」(全国農業協同組合中央会=JA全中の萬歳章会長)
昨秋に続き、国内を二分する論争が繰り広げられたTPP交渉参加問題。医療制度や食の安全といった分野にまで戦線が拡大し、お茶の間の関心も高まったが、「締め切り」のアジア太平洋経済協力会議(APEC)直前、野田佳彦首相の「決断」で、交渉参加を表明する政府方針がようやく決まった。
この決定に国会周辺で座り込みを続け、デモ行進で抵抗していた農業団体や反対派議員らは怒りに唇を震わせてみせた。しかし内実はそう単純ではない。
「首相の意向は早い段階から伝わっていた。結論が覆る可能性がほとんどないとしても、選挙を考えると、地元の農業団体の意向を無視できない。抵抗姿勢を示すことが重要だった」。TPP交渉参加に慎重な発言を続けていた民主党の農水関係議員の一人は舞台裏の事情をこう明かす。
都内に何度も足を運んだ東北地方のある農協幹部は、充実感すら漂わせながら証言する。「組織の弱体化など最近の農協にはいい話がとんとなかった。久々に攻勢に転じ、存在感を示すことができたのはよかった」
経済重視vs保守派、米国重視vs中国重視、産業界vs農業界……。表向きの“高尚な”論点は隠れ蓑にすぎない。一皮めくれば、TPPをめぐる論争の底流には、農協という構造問題が横たわっている。
野田首相の交渉参加表明に先立つ11月8日。東京の国技館で、JA全中などが呼び掛けたTPP交渉参加に反対する集会が開かれた。会場は全国から動員された約6千人の農林漁業関係者らで埋め尽くされた。
既視感にとらわれたのは筆者だけではあるまい。今を遡ること18年前の1993年11月10日。ウルグアイ・ラウンドの農業交渉妥結の直前に同じ会場で農業関係者らが「関税化拒否・米市場開放阻止国民総決起大会」を開催し、関税化拒否を訴えた。
結局、細川護煕首相率いる連立政権がコメの部分開放を決断。最低輸入義務(ミニマムアクセス)を受け入れたが、農業団体の影響力に配慮した次の村山富市首相(自社さ政権)が対策費を積み増し、6年間で6兆100億円という巨額の財政資金を引き出すことに成功した。対策費がハコモノ事業や農協への補助金に消え、農業の生産性向上につながらなかったのは周知の事実だ。
なんのことはない。与野党議員、生活協同組合などに支持のウイングを広げた点こそ違っても、抵抗の対象がTPPに置き換わっただけ。18年前と今回の農業団体の行動原理はほとんど変わっていないのだ。
農協が一貫して守ろうとしているものとは何か。農協に批判的な石川県の大規模コメ農家はこう喝破する。
「農家が社会的弱者という前提が崩れれば、農協組織は崩壊する。農業は守るものという現在の農業構造を変えたくない。その一点だろう」
農協は戦後最大の圧力団体として米価引き上げの政治運動を主導してきた。国境に壁を立て、国から有効性に欠ける補助金も引き出し、高い米価を維持してきた。それにより潤沢な販売手数料収入を得てきた。
高米価は零細な兼業農家がコメづくりを続けることにつながった。多数の組合員農家を維持したことで、農協の政治力は温存された。兼業農家への資材販売や農産物出荷を独占的に引き受け、預金運用などを通じて経営が一段と発展する好循環に結びつけてきたのだ。
こうした農協の「勝利の方程式」を維持するには、ことさらに日本農業を「弱者」に固定し続ける必要があった。もっとも野菜や酪農、果樹などは今や、農業で主な収入を得る主業農家が8割以上を占める。これらは関税もすでに低い。外国産や国内産地間との競争を通じ、経営効率を高めてきた「プロ農家」がほとんどで、「TPP参加で崩壊する」は誇大広告といっていい。
結論を言えば、農協が死守したいのはコメだ。農水省幹部が解説する。「EU(欧州連合)などのように、関税引き下げによる農家の不利益を財政で補填する直接支払い制度を進めていけば、農家の手取り額は維持できる。しかしコメの販売価格は圧縮され、農協の販売手数料は大幅に減る。直接支払いの対象を絞っていけば、兼業農家も激減するだろう」
組織防衛と、力の源泉となる兼業農家の数を守るため、高米価を維持するのが至上命題というわけだ。
もっとも、強大な政治力を誇ったのも今は昔。農家戸数の減少などから、2009年度の農協の正組合員は478万人と、1975年度から約100万人も減少した。
野党に転落した自民党との蜜月関係も終わり、10年の参院選ではJAグループとしての組織内候補擁立を見送る事態にいたった。政権を奪取した民主党との関係構築も思うように進まず、ジリ貧ムードに包まれていた。そこに昨年、降ってわいたTPP参加問題は「農協に農家を再び引き寄せ、組織を引き締めるチャンスになった」(自民党議員)。自民党べったりから脱せざるを得なかったことも、結果的に好都合になった。来年中の衆院解散・総選挙も囁かれる中、TPP反対を掲げることで、地方での農業票の魅力を捨てきれない与野党がこぞって擦り寄ってきたのだ。
こうした構図は、東日本大震災の復興予算の手当てで財政難に拍車がかかった現状でも、予算維持や上積みを目論む農水省にとっても望むところ。与野党がTPP対策名目の予算獲得の「応援団」になってくれるからだ。TPP参加で「国内農業は壊滅的な被害を受ける」との欺瞞に満ちた試算を示して抵抗運動を後押しした背景には、こうした思惑が透けて見える。
民主党のTPPに関するプロジェクトチームの幹部は「鹿野道彦農水相は早い段階から交渉参加容認派だった。農業県の山形が地盤ということもあるが、あえて慎重な発言を繰り返し、絶妙な役回りを演じた」と評する。
こうした農協、与野党慎重派議員、農水省の「新トライアングル」の確立の効果はてきめん。政府関係者によると、政府・与党内では「ウルグアイ・ラウンド対策の半分程度の2.5兆~3兆円規模の予算」構想が浮上してきたという。「人の言うことをよく聞く」と評判の首相の下、農業の構造改革に寄与せず、効果が薄いつかみ金を大盤振る舞いする愚が繰り返される恐れが出てきた。