アデランス解任社長が「ハゲタカ」に逆襲

正体見たり。米系ファンドのスティールは、やはり「出口戦略」として資産切り売りが狙いだった。

2011年9月号 DEEP

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「モノ言う株主」として日本企業を震えあがらせた米系ファンドのスティール・パートナーズに、かつら大手アデランス(東証1部)の社長の任を解かれて半年、大槻忠男氏(68)が反撃を開始した。

「虚偽の解任理由の公表で名誉を傷つけられた」として、アデランスに慰謝料など計2300万円の損害賠償を求め、このほど東京地裁に提訴したのである。

確かに、社長就任からわずか1年強で「結果を出さない」として解任するのは、こらえ性のない米系ファンドが支配する会社とはいえ無理があり、「裏がある」と囁かれていた。

その「裏」は後述するとして、そもそもアデランス騒動とは何だったのか。発端はスティールが09年5月の株主総会で株主提案に成功、日本ペプシコーラ、日本ドレーク・ビーム・モリンなどの社長を歴任した大槻氏を社外取締役に送り込んだこと。

「乱用的買収者」の烙印

運用資産8400億円のうち過半を日本に投じていたスティールは、ピーク時に40社前後の株式を取得、敵対的TOB(株式公開買い付け)や増配要求で日本市場を揺さぶった。

だが、ブルドックソース株をめぐる法廷闘争で07年7月、「企業価値を破壊する乱用的買収者」と東京高裁に断じられて敗れ、それ以来急速にパワーダウン。そこにリーマン・ショックが追い打ちをかけ、日本撤退を余儀なくされた。


アデランスの大槻忠男前社長(上)とスティール・パートナーズのウォーレン・リヒテンシュタイン代表

AFP=Jiji

その最後の銘柄となったのがアデランス。約30%を握る筆頭株主だったが、売るに売れず、「支配権を握るしかない」と株主提案を行ったところ、皮肉にも可決され、初めての経営参加となった。だが「出口戦略」は成功しなかった。「プロ経営者」の大槻氏が、スティールの言いなりにならなかったからである。

まず、社外取締役となった大槻氏は、09年12月に社長に就任し、経営の指揮を執ることになった。大槻氏はスティールと3年間の委任契約を結び、①初年度はウミを吐き出して50億円の赤字、②2年目に改革を軌道に乗せて6億円の黒字、③3年目に普通の会社のレベルである営業利益率8%を達成する――ことで合意していたという。

アデランスの業績は男性の「かつら離れ」もあって芳しくなく、売上高は右肩下がりを続け、10年2月期は前期比18.6%減の約574億円、11年2月期は16.0%減の約482億円まで落ち込んだ。

しかも、オーダーメードで顧客を囲い込む戦略は、手厚いサービスを謳っている分、余剰人員を生みやすく、効率性を重視しない家族経営的側面が高コスト体質につながり、結果として10年2月期は約53億円、11年2月期は約59億円の営業損失を出している。

筆頭とはいえ3割株主に過ぎないうえ、資産切り売りでてっとり早く利を得ようとするため「ハゲタカファンド」の悪名高いスティールが、他の株主の賛同を得て経営権を握るに至ったのは、「展望なき経営」に絶望した株主が、ハゲタカの荒々しさに期待した側面もある。

しかしスティールは、「ワシ鼻に鋭い目」のウォーレン・リヒテンシュタイン代表が、93年、最初の投資先を「スティール」(鉄鋼株)に定めた設立当初から、経営を手がけるファンドではなかった。要は「儲ければいい」の売り抜け一点ばりなのだ。

当然、経営を委ねる人材は外に求めるしかなく、白羽の矢が立ったのが、スティールの顧客から紹介を受けた大槻氏だった。経営コンサルタントを務めていた大槻氏は、前述のように条件をすり合わせたうえで社長に就任、10年5月の株主総会で最高経営責任者(CEO)を兼務してからは、いっそう大胆な改革に乗り出した。

リストラ、物流体制の効率化、本社移転、集中購買体制の確立……コスト削減は“聖域”なく行われたが、それ以上に大きな改革は、「電話相談」の客を店舗に呼び、高額商品を売りつける強引な「押しつけ商法」からの脱却だった。

大槻氏はその“覚悟”を示すように、知名度のある「アデランス」から「ユニヘアー」に社名を改めた。世代や性別や国境を超えて、ユニバーサルにヘアーサービスを提供するという意味である。「アデランス」は男性用かつらの商品名として残され、女性用かつらの「フォンテーヌ」、植毛・育毛事業の「ボズレー」の三つの分野を同社の中核事業とした。

この大槻氏の再建計画を阻んだのはスティールである。

「ボズレー」は米子会社のボズレーが手がけている分野で、限界の見えたかつらに代わって、中心事業に育つことが期待されている。しかも、連携する米子会社のアデランス・リサーチ・インスティテュート(ARI)の細胞培養による毛髪再生は現在研究中で、将来性のある事業になるのではないかと見られていた。

この北米事業をめぐって大槻氏とリヒテンシュタイン氏が、衝突したようだ。アデランスをカバーする証券アナリストがこう推測する。

「昨年10月、米国出張でリヒテンシュタイン氏と会ってから、大槻氏へのプレッシャーがきつくなり、2月に突如解任となった。ボズレー、ARIをアデランスから切り離して、高値売却するのがスティールの戦略で、それに大槻氏は反対したから切られたのではないか」

71歳創業社長へ「回帰」

経営コンサルタントに戻った大槻氏を直撃した。

――期中の解任劇だったために、さまざまな憶測を生んだ。

「突然ということはない。事前にいろんな軋轢があり、私を退任に追い込む動きはあった」

――スティールに送り込まれながら対立したのはなぜか。

「経営者は大株主にだけ顔を向けるわけにはいかない。さまざまなステークホルダー(利害当事者)に配慮し、最良の経営を目指す義務がある。今回、私はスティールや創業者の根本信男氏(約11%を保有)と意見が対立した。彼らの方針は会社のためにならないからだ」

――対立の原因は?

「米国のボズレーとARIはアデランスにとって必要不可欠という認識が私にはあった。それがリヒテンシュタイン氏は気に入らなかった」

――後任社長となったのは、経営を退いていた根本氏だが、その思惑は何か。

「アデランスへの郷愁だろう。私がユニヘアーに社名変更したことへの反発は強く、その気持ちに乗っかる形でスティールは根本氏を復活させ、私を切った」

社名もこの7月にユニヘアーから再度変更して元のアデランスに戻り、71歳を迎えた創業社長のもとで「原点回帰」した。

それが実を結ぶかどうか。「出口戦略」を模索するスティールにとって、海外に目を向けず、これまでの経営手法にこだわる根本氏のほうが、大槻氏より与しやすい相手であることだけは間違いない。いずれスティールは「乱用的買収者」の本性をむきだしにするだろう。

   

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