美貌すぎるパキスタン外相の危うさ

2011年9月号 GLOBAL
by ナシーム・ゼヒーラ(パキスタンの安全保障問題アナリスト)

  • はてなブックマークに追加

注目の的のカル外相

EPA=Jiji

2月の内閣改造でアーシフ・ザルダリ大統領と対立したマフムード・クレシ前外相が更迭されてから空席だったパキスタン外相に7月19日、33歳のヒナ・ラバニ・カルが就任した。同国最年少で初の女性外相の誕生は、与党パキスタン人民党(PPP)が、女性を国政の主流に積極的に迎え入れているあかしだと大統領は強調した。1週間後の26日、カル外相はインドのクリシュナ外相(79)との会談のため、インドの首都ニューデリーを訪れた。美貌の外相にインドのメディアは興奮、報道が過熱した。

「BOMB(目のさめるような美女)が着弾!」。一部では新外相の外交能力ではなく、容姿や真珠のアクセサリー、青のチュニックとパンツのアンサンブル、サングラス、高級ブランドのバッグなどを書き立てた。

カル外相は米マサチューセッツ大学アマースト校大学院で経営学修士課程修了、ラホールのポロ・クラブにレストランを所有している。個人的な関心の対象は、高級レストランの運営やトレッキング、登山などだ。ハキハキした利発な女性だが、外交官やアナリストを務めたこともなければ、議会の外交委員会のメンバーにもなったことがなく、国際問題の実務経験もない。

外務担当だったカルの外相昇格は予想されていたこととはいえ、自由闊達なパキスタンのメディアは経験不足の新外相任命には批判的だ。パキスタンは、頻発する自爆テロや部族地域での武装勢力との戦い、派閥主義、核兵器保有、経済危機、制度疲弊、エネルギー問題など、途方もなく多くの危機が絡みあう断層線にあり、どこよりも優秀な外交手腕を必要としている。求められているのは外交問題に精通し、熟練した外交手腕の持ち主なのだ。

第2次印パ戦争の1960年代、バングラデシュ(旧東パキスタン)の分離・独立後の70年代を経て、パキスタンは熟練した有能な人材の存在の重要性を思い知ってきた。PPPの創設者で、ザルダリ現大統領の亡妻ベナジル・ブット元首相(07年暗殺)の父、故ズルフィカール・ブットは60年代に外相、70年代には大統領、首相としてパキスタンの外交政策を担い、対中国関係を巧みな手腕で深めることに成功した。

しかし、77年にクーデターで失脚。陸軍参謀長だったムハンマド・ジア・ウル・ハク大統領の軍事政権が始まると、パキスタンの外交政策は一変した。軍関係機関がほとんどの政策を決め、外相は少々の修正をするだけ。以来、巧妙な外交手腕を発揮する外相は出たことがない。

選挙で選ばれたザルダリ現政権も、制度上の拘束もあって包括的な外交政策を打ち出す努力をしていない。代わりに大統領と軍司令官、情報機関(ISI)長官の三者で、おそらくほんの少しの情報を外相から得て外交方針を決めている。

アル・カイダの最高指導者オサマ・ビンラーディンを米国が単独で抹殺してから、米パ関係はギクシャクしているが、関係修復へのパキスタン政府の対応が場当たり的なのは、ほとんど軍が決めているからだ。

カル外相任命に批判的な人々は、政府が真剣に文民政治家に米パ関係の修復プロセスを主導させようと考えるのであれば、能力の高い人材を外相に任命すべきだと主張している。たとえば、国家安全保障に関する議会の超党派委員会のメンバーで、シンクタンクを運営するシェリー・レーマン元情報相などだ。

カル外相はむろんそう考えていない。就任前の6月に米紙インタビューで、軍部が押さえている外交政策の決定権を文民の手に取り戻すことについてこう語っている。「パキスタンでは責任分配で本格的な変化が起きている。変化は革命的な方法ではなく進化的な方法で進むだろう」。これには「根拠のない楽観主義」と反論の声があがるかもしれない。(敬称略)

著者プロフィール
ナシーム・ゼヒーラ

ナシーム・ゼヒーラ

パキスタンの安全保障問題アナリスト

テレビ番組のディレクター兼司会者も務める

   

  • はてなブックマークに追加