原子力災害を逆手に取った「ふるさと再生」

志賀 稔宗氏 氏
南相馬市議会議員

2011年8月号 DEEP [インタビュー]
インタビュアー 本誌 宮嶋

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志賀 稔宗氏

志賀 稔宗氏(しが としむね)

南相馬市議会議員

1952年南相馬市生まれ。農業を営みながら、合併前の小高町議を経て、現在7期目(公明党所属)。自宅は警戒区域内。妻子は南会津の避難所で暮らし、自らは地元の親戚宅に身を寄せる。

写真/鈴木浩

――7月3日、南相馬市は「東日本大震災慰霊祭」を催しました。

志賀 大津波による犠牲者580名、いまだ行方のわからない方が109名おられるほか、家屋被害は5966棟に及びました。行方不明の方が多いのは、原発事故でご遺体捜索が1カ月以上遅れたからです。復興へのスタートにしたいのですが、何代もかけて築き上げた大切な住まいと田畑は瓦礫と化し、皆さん今も打ちひしがれています。小高区の山沿いにある私の家は津波を免れ、震災の翌日、バイクで海側を見に行きました。朝5時に原発から半径10キロ圏に避難指示が出ており、浪江町は気味の悪いゴーストタウンになっていました。午後3時すぎの水素爆発はドンと聞こえ、夜7時に小高区全域を含む20キロ圏にも避難指示が出ました。家畜がいるので逃げられないという住民の説得に回り、その晩はクルマの中で寝ました。妻と娘は会津に逃げ、私は福島市に退避し、連日県庁の災害対策本部に出向き、「南相馬は避難するにもガソリンがない」と直訴し、東京の公明党本部へも緊急支援を要請しました。

――ご自宅はどうなっていますか。

志賀 屋根の一部が壊れたので、放射能の雨が漏れたら住めなくなる。ビニールシートで穴を塞ぐ応急措置をしたけど、4月22日に警戒区域が設定されてからは立ち入ることができません。小高区の放射線モニタリングでは海側は低いが、私が住む山側は毎時10マイクロシーベルトを超えるところもある(※)。専門家は6年で3分の1に減るというが、10年は住めないと覚悟しています。

――南相馬市は警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域に加え、局地的に放射線量が高い「ホットスポット」が見つかった。市域が分断され、行政対応が難しいですね。

志賀 政府から「避難」または「屋内避難」を指示された半径30キロ圏の住民には、東電から1世帯当たり100万円の仮払い補償金が払われました。しかし、30キロ圏外に住む約2千世帯の中にも、市の勧めに従って避難した方が多く、全く同じ生活困難を経験したのに仮払いの対象になっていません。いくら緊急時の応急対策とはいえ、これ以上市を分断する区域設定は止めてほしい。

――政府は「緊急時避難準備区域」を解除しようと検討しています。

志賀 鹿島区、原町区の中心部は毎時1マイクロシーベルト以下ですから、徹底的な除染により安全な地域を再生できる。安心のための生涯にわたる住民の健康管理システムを構築し、一日も早く解除してもらって、事業活動を再開させたい。その一方で、我が故郷の風評被害は非常に深刻です。今年は市全域で田畑を断念したが、来年は再開できるのか。南相馬産のコメや野菜を買ってもらえるのか。地元の生活再建には風評被害に見合った補償が不可欠です。また、仮に政府が避難準備区域を解除しても、30キロ圏内の幼稚園、小中学校を再開できるのか。避難した妊婦さんや子どもたちが、すぐに故郷に帰ってくるとは思えません。政府には、子どもと母親の身になって、思いやりのある対応をしてほしい。

――故郷をどう復興しますか。

志賀 年内をメドに市民総参加による復興計画の策定を目指します。「南相馬」は、チェルノブイリに匹敵する「レベル7」の原発事故被災地として、世界的に有名になりました。そこで私は、放射能被害をものともしない復興プロジェクトを提唱したい。原発事故が収束すれば、世界の原子力機関と研究者の目が向き、南相馬で放射能の研究をする人が多数現れるでしょう。この地を世界的な原子力研究機関のメッカにできないか。その前提として、南相馬に国内の原子力研究機関や大学を誘致し、放射能被害を克服する国家プロジェクトを実施するのです。耕作に向かなくなった20キロ圏に、風力発電やソーラーパネルを敷き詰め、自然エネルギーの供給基地にするプランと合わせて、原子力災害を逆手に取ったふるさとの再生を目指します。

   

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