もはやおマンマの食い上げ「原子力ムラ」

班目さんの母校東大は93年に原子力学科を廃止。とうの昔から優秀な若手はそっぽを向いていた。

2011年8月号 DISASTER

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この程度の人物しかいないのか(班目春樹原子力安全委員長)

Jiji Press

東京電力福島第一原子力発電所の事故は収束のメドがつかないまま。安全神話の崩壊で国内の原発行政の混乱も収まる気配がない。脱原発の動きが強まる一方で、真夏の電力不足を避けたいと定期点検を終えた原発の運転再開を焦る動きが目立っている。しかし、電力業界や産業界がいくらもがいても、安全確保の拠り所となるべき土台自体が瓦解してしまった。日本の原発は衰退の道を歩まざるを得ない。

事故で原子力の専門家が頼りにならないことがはっきりした。メディアに次々に登場した学者は東電や政府の発表をなぞるだけ。炉の状態や危険性、周辺への影響、展開を的確に解説したコメントはほとんどなく、事故を小さく見せかける役回りを演じた。東電も原子力安全・保安院も発表ではディテールの断片情報を次々に出して大局をつかみにくくし、本当のことはほとぼりが冷めて国民が鈍感になったころにさりげなく出すという小賢しい手を使った。原発が爆発して大量の放射能をまき散らした段階で事故がチェルノブイリ原発事故とほぼ同程度の規模と分かっているのに過小にみせかけ、1カ月たってからようやく認める。炉心の核燃料が溶けるメルトダウンが起きていたと認めたのは2カ月後だ。学者が東電や保安院とつじつまを合わせ、国民を欺く一端を担ったのだから権威の信用もがた落ちだ。

蚊帳の外に置かれた「班目」

チェルノブイリ原発は事故から25年経ったいまも30キロ圏内は立ち入りが規制され、幽閉状態にある。ごく一部の住民が自宅に戻っているが、許可されたのは10キロ圏外で、高齢者だけだ。10キロ圏内にある大団地は廃墟のままになっている。

放射能の除染は特に森林が厄介で、緑豊かなところほど汚染が残る。福島原発の状況も似たようなものだから、常識で考えれば双葉町などの近隣や汚染の酷い周辺地域は住民が長期間、場合によっては生涯戻れない。政府は避難住民にいずれ帰宅できるという幻想を抱かせているが、専門家はせめて罪滅ぼしに本当のことを言うべきではないか。大気や海洋の汚染に加えて地下水の汚染の深刻さももっと語られていい。

事故処理の拙さは菅政権の未熟な判断、場当たり対応、指導力不足ゆえだが、政府の要職に就いている学者もお粗末だった。事故時に陣頭で指揮してもおかしくない原子力安全委員会の班目春樹委員長は的確な判断もできずに早々に菅首相に見限られ、蚊帳の外に置かれた。国民の安全のため身体を張って首相に進言でもすれば評価も上がっただろうが、発言は責任回避の言い逃ればかり。原発周辺への放射性物質の飛散予測を事故後10日も経ってから発表し、30キロ圏外でも強い飛散が分かっていた北西地域の避難進言や注意喚起をしなかった。

政府が北西の飯舘村を計画的避難区域に指定して避難させたのは事故後2カ月経ってからだ。すぐに高い汚染地域の幼児、子供を避難させて小児甲状腺ガンの原因となる放射性ヨウ素を体内に取り込ませない対策をとるべきなのに、国民を守る気概も気骨もなかった。

役割を自覚しない原子力安全委は停止中の原発の運転再開問題でも混乱をもたらしそうだ。批判にさらされる班目委員長は辞任を拒否して居座り、安全指針の見直しを進める考えを示している。だが、論点整理だけでも年度末までかかり、結論は2~3年も先。班目委員長のもとでの指針改定が信用できるかという問題もあるが、事故の検証や指針見直しの前に既存原発の安全が確認できるはずもない。とってつけたストレステスト(安全性評価調査)を終え地元が運転を認めても、運転差し止め訴訟が続出するのは想像に難くない。原発訴訟ではこれまで、安全性に絡む問題は専門家の判断を是として反対派の主張を退ける流れができていた。だが、安全確認手続きが乱れ、専門家の判断も当てにならないとあって裁判所の判断も揺れるだろう。

菅政権は安全規制体制を改組して原子力安全・保安院を原発推進の経済産業省から独立させる考えを示している。安全委と合体して独立性の高い組織を考えているようだが、これが安全強化につながるかは微妙だ。安全委の班目委員長はいざという時に十分な知識も心構えもなかった。安全規制のトップになるべき原子力の専門家にこの程度の人物しかいないのなら、同様の事故が起きた時に対応は知れている。近年の安全委員長は、JCO事故で陣頭指揮した佐藤一男氏を除くと、危機対応に鈍感で気概に欠けた学者ばかり。1995年の高速増殖炉「もんじゅ」の事故では、翌日早朝から当時の都甲泰正委員長が雲隠れして夕方まで委員会を緊急招集できなかった。ゴルフにうつつを抜かしていたと言われている。安全規制の組織をどう変えてもトップに知識と気概のある人材がいなければ、建て直しはできない。

「日本の原発」は衰退の道

原子力分野の今後を考える上で致命的なのは、将来を担う若手の確保が難しくなることだ。

日本の大学ではチェルノブイリ原発事故や国内での事故、トラブルの余波で90年代に原子力の人気が落ちた。東京大学は93年に原子力学科を廃止し、主だった他大学も追随した。「原子力」の名が残っているのはほとんど大学院だけだ。人材先細りを懸念した原子力ムラはこの数年、地球温暖化防止を追い風に「原子力ルネッサンス」を声高に叫び、優秀な人材を引き寄せようとした。メーカーも原発輸出に力を入れ、人材を引きつける環境は整ってきていた。

だが、そのシナリオは福島事故で完全に狂った。国内では新規原発の計画の行方が分からなくなり、脱原発の動きは世界でも広がっている。将来性に大きな疑問符がつき、人材を引きつけるどころではなくなった。原子力を専攻するとなると、放射線をかなり浴びる覚悟がいると分かってしまったから、学生は原子力を敬遠するし、しなくても親が避けさせるだろう。

兆候は出ている。東大では大学院の志願者向けに説明会を開いているが、原子力関連の専攻分野では希望者がかなり減っているという。他の大学でも同様で、ある関係者は「原子力は定員割れが心配だし、そうならなくても優秀な人材には見放されてできの悪い人材しかこなくなる。質が低下するのは必至」とこぼす。電力会社ではこれまで他分野の優秀な学生に原子力を教え込み、質の低下を防いできたが、今後はそれも難しくなる。

福島原発の後始末は10年でケリがつくほど甘くはない。放射能の封じ込めができたスリーマイル島原発事故でさえ、核燃料撤去までに10年以上かかっている。放射線量の高いところだらけの福島原発では20年、30年かかってもケリがつかず、ひょっとすると50年、100年、あるいはそれ以上かかるかもしれない。原子炉や破損した核燃料が撤去できても、それをどこに処分するかでもめる。

負の遺産を抱え込み、人材は先細り。観念論でエネルギー確保に原子力が重要と言うのはたやすいが、今後誰がその仕事を担うというのか。日本の原子力はもはや足腰がついていかない。

   

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